2008年9月 3日 (水)

12人の怒れる男/ミハイルコフ版

デジタル放送用のテレビを買ったら、画面の向こう側がメチャメチャ生っぽくて、気持ちが悪くなった話は昨日した通り。実際、肉眼で見ている人の顔や光景よりも、細かく観えてしまう気がするのは、まだこの新型テレビに慣れていない私だけだろうか?なんだか、昔カッコつけで読んでいた、ヴィリリオやボードリヤール達が論じていたポストモダンの考えを、今、実感した気になった。(そういえば、ボードリヤールの『シミュラークルとシミュラシオン』は映画『マトリックス』のバイブルだった筈。)もし、画面の向こう側の世界の方が現実よりもリアルに感じるような世界になったら、っていうか、もうけっこうそうだし、一部の人達は120%そうだけど、その実態の無さがもたらす危険に対抗するために、もう一度自分自身と向き合って、一個人の自覚と感覚に働きかけなければならなくなるだろう、と思うこの頃…。なんて、にわか格安思想を綴るつもりはないですけど。けど、けど、先日、映画『12人の怒れる男』(ニキータ・ミハイルコフ監督)を観て、そこでもまた、自覚を持って個人的な感性で物事を理解することの大切さを目の当たりにしたのだった。1957年にベルリン国際映画祭で金熊賞に輝いたアメリカの名作(シドニー・ルメット監督)のリメイクにチャレンジしたミハイルコフだが、もう、チャレンジとかいう枠を完全に超えてしまっている。物語は、市民から選ばれた12人の陪審員の論議で構成されていて、彼らの評決によって、殺人の容疑をかけられている青年の有罪か無罪が決定されるのだ。有罪となれば、青年に未来はない。そこでみんなが法律や裁判官のジャッジをそのまま鵜呑みにする中で、たった一人が無罪を主張する。ドラマはそこから展開するのだ。オリジナルで黒人が青年となっているところを本作品ではチェチェン人の青年に置き換え、舞台を真夏のニューヨークから真冬のモスクワに移し、かつてアメリカが抱えていた人種問題を、現代のロシアが抱える大きな闇に塗り替えた、その勇気と器用さに、私は脱帽した。これほどのロシア批判は、監督がロシアの国歌作詞者の息子であり、プチーン現首相とも交流がなければできなかったかもしれない。なお、オリジナルがストイックな社会派であるのに対して、本作品はおしゃべりでユーモア満載。極めてロシア的だと、ロシア語ができる人が言って、上映中ケラケラ笑っていた。ハリウッドがネタ不足でミニシアター系秀作のリメイクばかりしているけれど、そこにはスターを揃えて膨大な興行利益を得るため以外の必要性はないんじゃないか。だから一部例外以外、多くのリメイク作品は、しょぼくなってしまう。リメイクする必要性とはこの事よ、と叫びたい、ミハイルコフ版『12人の怒れる男』。傑作だ!(by Anne)

12人の怒れる男
『12人の怒れる男』(監督:ニキータ・ミハイルコフ、配給:ヘキサゴン・ピクチャーズ)
http://www.12-movie.com/

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2008年9月 2日 (火)

賢くなったテレビ?

随分前にキャスターをやっていたお友達と代官山でショッピングをしていた時の事。セレクトショップに入り、ふたりでマルニの服だったかを手に取ると、あまりのかわいさにキャアキャア言った。キャスターの子は「どうしよう、仕事の時の服にしようかな」とつぶやいたので、私はびっくりした。「わざとだけど、こんな生地がほつれた感じの着てニュース読むの?大丈夫?」。当時の私は、日本のテレビでニュースを読む人は、カッチリとしたスーツじゃないといけないと思い込んでいたからだ。しかし彼女は、「うん。大丈夫なのよ。それにこのほつれた感じだけど、テレビってバカだからこんな細かいところまで、映んない、映んない」。彼女は首を振った。ところが時代は代わった。先日しつこいデジタル化の勧誘にとうとう降参して、新型テレビを購入した。人の話によると、テレビ売り場では、大きすぎるように見えても、いざ家に置いて暫く経つと、もうひとまわり大きいサイズにすれば良かったと後悔するものらしい。それを聞いて、ウチにも本来購入予定していたサイズよりも、ひとまわりどころか欲張ってふたまわりも大きいテレビにしてしまったのだ。無事入ったから良いものの、電源を入れてみると、なんだか気分が悪くなった。画面が大きすぎて、すぐそこの窓の向こうに人が居るような感覚になる。大して広くないリビングに大の大人がウヨウヨ。おまけに質感がクリアすぎて生々しい。ファンデーションののりまではっきり見えると言ってもいいぐらいだから、オエ、オエ。しかしDVD観賞と大きさの面ではミニシアター気分で楽しめてなかなか良いが、ブルーレイで観る画質に関しては、まだ慣れない。クリアすぎて映画を観ても映画じゃないみたいだ。昔、ビデオ映像が出始めた頃、ゴダール以外のシネフィルが挙って、観るに絶えない映像だと罵倒して、フィルム映像の美学に執着していたのを思い出す。私は、あのざらついた感じ、あの「バカ」っぽい感じの、アナログ映像にすでにノスタリジックになっている。もはや、テレビは賢くなった、デジタルと共に???(by Anne)

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2008年8月28日 (木)

ベルナデットの涙/その2

(つづき)ベルナデットだ!
ベルナデットとは母のフランス留学時代以来の友人で、哲学の教授かなにかで、専門は確かサルトルとボーヴォアールだったと思う。要するにインテリだ。母が留学を終え、日本に帰った後も手紙を通じて彼女との友好を深めていた。そしてまた久し振りにパリに行くことが決まり、その知らせを受けて喜んだベルナデットは空港まで迎えに来てくれると言った。恐らくまだ私が九つか十かの頃だ。その頃フランス人の来客が多かった当時の東京の我が家で、私は母から散々忠告を受けていた。「フランス人から何か頂いたら恥ずかしがらずにすぐメルシーと言いなさい」、「メルシーの後には必ず相手の人の名前を付けて。いいわね?」、「そしてすぐにプレゼントを開けなさい。喜びは直ぐ表現した方が良いから」、「フランス人は、感謝の気持ちを伝える事に厳しいからね」、「決してプレゼントを頂いて悪がっちゃだめよ」、「『ごめんなさい』じゃないのよ」、「何よりも先に『メルシー』よ」、「そしてほっぺたにキスよ、いいわね?」…。私は「うん」と返事をしながら、「毎回、そんなに口を酸っぱくして忠告しなくても『メルシー』ぐらい簡単、簡単。それにプレゼントは正直直ぐに開けたいし」と内心でニンマリしていた。お陰で私は、フランスに渡ってフランス語を習得するずっと前から、あの痰が絡んだような独特のRの発音をすでにマスターしていたのだった。「メルシー、ピエール」、「メルシー、パスカル」、「メルシー、パトリック」…。ほら、上手に言えたでしょ?私は得意だった。しかし、そんな母のメルシー忠告以上に頻繁に聞かされたのは、そのベルナデットが空港に車で迎えに来てくれた話だったのだ。
無事に飛行機が東京と発ったのは良いが、久し振りに行くフランスに心を踊らせているというのに、飛行機が大幅に遅れてしまっていた。機内で母は何度も腕時計を見ながら、パリの空港で待っているベルナデットを思った。「待たせちゃって悪いわぁ」、「ああ、もう2時間も待ってくれているに違いないわ」、「きっと待ちくたびれてるでしょう、本当に悪いわぁ」…。申し訳なくて、申し訳なくて、おちおち寝ても居れなかった。結局飛行機は6時間近く遅れてパリの空港に到着した。長旅の疲れを感じることもせず、母はベルナデットが待っている到着ロビーの出口へと向かった。人ごみの中に栗色の髪をしたベルナデットを見つけると、母は息を切らせながら「ああ、ごめんなさい!本当にごめんなさい。随分待ったでしょう?」と謝った。ベルナデットはにっこり笑って「大丈夫よ。それより元気?会えて嬉しいわ。キスしましょうよ」と言って、挨拶のキスをしようと頬を近づけてきた。母はキスを忘れていたことにハッとして、慌てて頬を彼女の頬に寄せた。「元気よ。でも本当にごめんなさいね。待ったでしょう…」。母はどう償えば良いか分からないくらい申し訳ないと思っていた。ベルナデットの白いルノー・キャトルに乗ると、パリ市内に向けて高速を走り出した。助手席に座った母は、あれだけ待たせた上にこうして運転してもらっていると、一層申し訳なく思った。「ベルナデット、本当にごめんなさいね」。謝る母に彼女は「気にすることないわ。だってあなたのせいじゃないもの」と優しく言った。「そうだけど、でも、悪いわ、あんなに待たせちゃって」。「もういいじゃない、無事に到着したんだから」。「そうは言っても、ごめんなさいね。ほんとうに悪かったわ」。母は何度も何度も謝った。そのうちベルナデットは返事をしなくなった。母はより一層申し訳ないと思った。「ごめんなさい」、「ごめんなさい」、「ごめんなさい、ベルナデット」…。ルノー・キャトルはパリ市内に入り、赤信号で止まった。「悪かったわ、ベルナデット…」。そう言い続ける母を、一つ小さなため息をついてから、ベルナデットはキッと見つめた。「いい加減にして。遅れたのは飛行機のせいよ。あなたはさっきから『ごめんなさい』しか言ってないわ。久し振りだというのに、一言も私に会えて嬉しいって言ってくれてないじゃない!」。はっきりとした発音の、奇麗なフランス語。その目には涙が滲んでいた。そうだった、これがフランス。「ごめんなさい」よりも「ジュ・テーム」。恋人のみならず、大切な人に対してきちんと愛情表現をしないなんて、ろくでもない。人でなしに等しい、そんな国なのだ。そう母は痛感したのだった。
ここまで書いて、時計を見上げるともう夜の11時。そろそろ主人が帰ってくる。今日はワインを飲んでいないから駅まで車で迎えに行こう。だけど車に乗り込む彼にいきなり「愛してるわ」と日本語で日本語で言うのは難しい。きっと2人で吹き出してしまうだろうから。(by Anne)

お迎えに


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2008年8月26日 (火)

ベルナデットの涙/その1

オリンピックは終わった。中でも、陸上競技、とりわけ棒高跳びには完全に目を奪われてしまう。あの、一瞬、天に上るような伸びやかな動きを観ていると、幻想的な世界に心を奪われるように恍惚としてしまうのだ。けれど、ウチの主人に、金メダリストのイシンバエワ選手を、奇麗だ、奇麗だと連呼されると、意地になってハンマー投げに気を移した。室伏選手ってカッコイイ。負けじとそう言ってみたが、効果はないようだった。それにしてもテレビのインタビューで、日本の選手の「支えてくれた家族やコーチ、ファンの皆のお陰だ、感謝している」という返答が多かったように思う。感謝の気持ちって大切だなぁ、と改めて教わる傍らで、果たしてこれは国柄なのだろうかと疑問に思ってきた。中国の選手だったらどう言うだろうか?アメリカだったら?エチオピアだったら?フランスだったら?一見自己中心的に見えるフランス人も感謝の気持ちを述べるだろうか?そういえば映画際の授賞式とかでは、「この映画を作れたのは妻の…」のみならず、「スタッフの」お陰だとよく言っているから、多分フランスのオリンピック選手達も同じような事を言っているのかもしれない。いや、フランスといえば、そういえば、そういえば、「ありがとう」の国だった。「Merci(メルシー)」の。
こんなことがあった。以前にある会社の経営者の方とランチをした時の事。その方はフランスでの仕事を終えて帰ってきたばかりだった。初めて直接フランス人と仕事をしたからだろう、やり取りに苦労したというエピソードを面白可笑しく語って下さった。何が問題だったかというと、お互い母国語でない英語で会話をしないといけないもどかしさではなく、「モラルの違い」だったそうだ。「信じられないよ。やつらは平気で嘘をつくんだから。明らかにやってない事もやったと言うんだから。そして絶対に謝らない…」。そうとう呆れてしまっていたのだろう。「やつらにはモラルがないんだ。人間として恥ずかしい」とかなり批判的な感想にもなった。私はフムフムと聞いていた。なるほど、確かにフランス人はそういう所もある。というか、大いにある。彼らはいかに自らの主義主張を肯定するかが勝負、という教育を受けてきたから、自らの非を認めるのは最後の最後、と言っても過言ではないんじゃないか。けれど、その方の発言を聞いて「そうだわぁ〜」と思いながも、どういう訳か「本当にそうですよね」と相槌を打てなかった。100%同調できない。何かがひっかかる。何だろう?私は家に帰るまでずっとその事を考えていた。家に着いて、ぼんやりと昔フランスに関する本をめくっていたら、ある車のシーンを思い出した。あ!そうだ、100%同調できなかった理由はこれだ!つづく。(by Anne)

フランス7つの謎
最近読んだフランスに関しての本『フランス7つの謎』(著:小田中直樹、出版社:文春新書)。この手の表紙の本はきっと難解なんじゃないかという偏見があるけど、読んでみるとそんなことはない。けっこうフランクで面白い。


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2008年8月22日 (金)

マジック・アワー/その2

(つづき)要するに『マジック・アワー』が面白かったというだけの話なのに、オーバカナルのテラスで友達の「趣味の良いチンドン屋」に、そんなふうにだらだらと、語っていた。夕立が来そうな昼下がり。暑くて気持ちが緩んでいるのか、レモンタルトに夢中なのか、キレのない私の話に珍しく突っ込んでこない。聞いてなかったのかしら?疑いたいぐらいであったが、私も気にせず、自分のプレートに没頭することにした。食べ直しのプレートである。ランチに頼んだブイヤベースが、大きなお皿に雀の餌ほどの量しかなくて、そのケチ臭さに腹を立てた私は、某有名シェフのレストランを出る時、「ごちそうさまでしたぁ〜」の代わりに「おなかすいたぁ〜」と言って出てきた。あまりに欲求不満だったのでオーバカナルに移動し、「趣味の良いチンドン屋」は大きなレモンタルト、私はケチなブイヤベースを忘れるために、同じような魚のプレートを選んだ。とはいえいくらなんでも2回もランチをするなんて、危険、危険。夜は控えよう。そう思った頃、「趣味の良いチンドン屋」は口を開いた。「そうなのよ、三谷幸喜の作品って面白いのよね」。なんだ、私の話は聞いていたんだ。「よく見に行くわよ、前にもゴッホとゴーギャンの話のお芝居を観に行ったわ」。「ゴッホとゴーギャン?ああ、喧嘩するやつ?」と私は魚とラタトゥイユをフォークにさしながら相槌を打った。「そう、そう、仲悪かったじゃない?えっと、もう一人誰だっけ?仲を取り持っていた人」。宙を仰いで、人名を探している様子の彼女に、「セザンヌでしょ?」と答えた。「あ、そっか、セザンヌね」と彼女。「そうじゃない?彼も南仏だし」と私。「でも、彼もキャラ強そうよ!きっとセザンヌじゃないわよ」。「そう?じゃあ、あれだ、南の島に行っちゃった人」。「だから、それはゴーギャンよ!」。「あ、そっか、じゃあ、誰だったけ?」…。うーん。私たちは黙りこくった。オーバカナルのテラスで、足を組んで、腕を組んで、首をかしげたり、宙を仰いだり。必死になってもう一人の画家を思い出そうとしていた。片方は、有名な彫刻家の娘でソルボンヌの美術史卒。もう片方はフランスの勲章まで授与した美術評論家の儘娘。とてもそんな2人の会話だと思えない。「良かったわ、誰にも聞かれなくて」と辺りを見渡した私たちであった。しかしそんな間抜けな姿を、私は書かないではいられない。(by Anne)


『マジック・アワー』のストラップ
結局ゴッホとゴーギャンの仲を取り持っていたのはスーラ、と言いたかった私たち。三谷幸喜の作品『コンフィダント・絆』には、もうひとりシュフネッケルが登場する。

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2008年8月21日 (木)

マジック・アワー/その1

先日、ワイン友達の「ビー玉」と「アイドル」と共に、夕方からシャンパーニュ7種をティスティング&飲み比べるという会に参加してきた。そもそも私のワイン友達は白や赤ワインよりも泡を好んで飲むので、私も頑固なボルドー派だったのが、今じゃすっかり影響されてスタートでもしっかり泡、〆にも泡、その間も泡ならなお良いと言うようになってしまった。カジュアルな時はCAVAやスプマンテで済ますけれど、やっぱりシャンパーニュは香りをかぐだけでもうっとりする。と、いうわけで、そのシャンパーニュの会のお誘いに積極的に参加した。丁度日が沈んで、青と赤に染まった空の光が銀座のビル郡を照らす頃、「アイドル」と映画の話をし始めた。シャンパーニュに気を取られていたので、何の映画の話をしたのかあまり覚えていないのだが、彼女が『マジック・アワー』(監督と脚本:三谷幸喜)は面白かった、と言ったことだけはなぜか、その翌日日比谷のシャンテ・シネの前を通った時に思い出した。そこでどれどれ、観てみようか、と軽い気持ちで入場したのだが、映画館を出る頃には完全にやられて、その余韻は翌日まで続いた。物語が進行すればするほど面白い。規模もジャンルも違うけど、スピルバーグさながらアイデアの連続。言葉の面白さを存分に披露しているのと同時に、佐藤浩市の役者としての面白さも120%見せられてしまった。翌日、主人とランチをしていても『マジック・アワー』の台詞や佐藤浩市の仕草を所々思い出しては、薄ら笑いをしていたくらいだ。気味が悪いと言われも仕方がないが、だったら観に行こう、と主人を引っ張って、またしてもシャンテ・シネに入場することにした。要するに私は2日連続で観たというわけだ。シャンパーニュを片手にしたマジック・アワーにすっかり魔法をかけられてしまったのかもしれない。今だって、もう一度、観たいと思っている。そういえば、アン・リー監督の『ラスト・コーション/色・戒』も2回目はここだった。どうやら、この映画館は私が癖になる作品を上映することが多いのかもしれない。つづく。(by Anne)


ルイーズ
シャンパーニュの会で、最後に特別に出てきたポメリーの『キュヴェ・ルイーズ』の89年。泡はまだきめ細かかった。


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2008年8月 8日 (金)

マイコサクラ失踪事件/その2

(つづき)「ニニ、ちょっと待って!」。包丁を置き、火を止めて、エプロンで手を拭きながら母はニニの後を追った。「ここ、開けて、開けて!」ニニはドアをガリガリと掻いた。開いてやると、芝生の上をタッタッタッと駆けて、外の空気を匂ってみている。そして、くるりと母の方を向くと、「こっちかもしれないよ、ついてきて!」と言って、池の茂みの方へ向かった。母はニニに案内されるまま、しばらく探し回ったが、マイコサクラは見つからなかった。「ニニ、もうお家に入りましょ。きっとじきに戻ってくるわよ」。そう言う母に、ニニは納得がいかない様子をみせながらも家の中に戻った。母はまた台所に立った。ニニもまた台所の流し台に乗り、母がニンジンを切るのを見つめていた。けれど、心ここにあらず、といった風。しばらくしてニニは、母の顔をジッと見て、「ねぇ、かあさん、お家の中も探してみようよ。どこか押し入れの間に挟まれちゃって出て来れないのかもしれないよ」。そう言うと、流し台からピョンと下りた。「こっち、こっち!」。母はまたニニの後を着いて行った。追いつくとすばしっこく階段を上り、「こっち、こっち!」と母を案内する。「屋根裏部屋のミシン台の下かもしれないよ」。「アンヌの部屋の、ダンボールの間かもしれないよ」、「かあさん達のベットの中で寝てるかもしれないよ」…。ニニは次から次へと母を連れ回し、マイコサクラを探し出そうとした。けれど見つからない。さすがのニニもくたびれたらしく、しばらくしたら暖炉の前でぐっすり朝まで寝てしまった。
翌朝、母は朝食の準備をしながら、台所の窓から庭を見つめ、マイコサクラのことを思った。どうしちゃったのかしら?いつもならどんなに外に出かけていっても、朝までには帰ってくるのに…。誘拐されたのかしら…?だったら悲しいわ…。すると、朝露に濡れていっそう緑色に輝いている芝生の上を、2匹の猫がこっちに来るのが見えた。よく見ると、ニニだ。そしてニニの後ろをマイコサクラが歩いている。母は庭のドアへ向かうと、マイコサクラは何事も無かったように家の中に入り、ニニは「連れて帰ったよ」と言いたそうに小さく「ニャ」と鳴き、目配せした。
「結局ニニが連れて帰ってきてくれたのよ!」。電話で一部始終を話した母は少し興奮して笑っていた。私は、母がニニばかり可愛がってるとマイコサクラが思いこんでいたら…、と想像した。だから「ふてくされちゃったんじゃないの?」と聞いてみた。母は、「そうなのよ、そうだったみたいなのよ。人間みたいで可笑しいわ」とずっと笑っていた。
前の夜暖炉の前で寝てしまったニニは、明け方になってふと、またマイコサクラのことが気になり、目を覚ました。まだ薄暗い部屋の中に細い朝の光が差し込んでいる。ニニは急に立ち上がった。「裏庭のドアが半開きになってるんだ!」ニニはドアをすり抜け、急いで外に出てみた。早朝の涼しい風にあたると、はっきりと思い出した。「そうだ!あそこだ!あそこに違いない!」。前にマイコサクラが、こっそりと教えてくれた場所。「『ここに居るととっても落ち着くのよ』って言ってた場所!」。ニニは裏庭の隅っこにある、お墓めがけて走って行った。先代、アスチュのお墓だ。その墓石の脇のエニシダの茂みに、きっと、きっと、姉さんが居るに違いない!アスチュのお墓を跨ぐ時に、少し会釈をして、ニニはエニシダをかき分けた。「姉さん?」ニニがそっと声をかけると、「ニニ?1人なの?」と小さな声が帰ってきた。やっぱりここだったんだ!ニニは嬉しくて嬉しくて、「姉さん、帰ろうよ!帰ろうよ!母さんも心配してたよ」とはしゃいだ。でもマイコサクラは「いやよ!」とそっぽを向いている。「だって、母さんたら、昨日私たちのお手洗いを掃除しなかったのよ。汚いのは嫌!だから仕方なく、暖炉のところで…。灰がいっぱい積もってたから、良いと思って…。なのに、なのに…。」マイコサクラはしくしく泣き始めた。それでも続けた。「なのに、なのに、あんな剣幕で怒るんですもの!酷いじゃない!」。ニニはしばらく姉さんのそばで落ち着くのを待った。どのくらい時間が経ったのだろう…。「姉さん、もう帰ろう。母さんが心配してるよ…。ね?ね?」マイコサクラは、ゆっくりと涙を拭って顔を上げ、そして小さく言った。「そうね」。(by Anne)


アスチュと
先代アスチュの写真が、不思議な事に一枚しか出てこない。沢山撮ったのに、どこへ行ったのだろう?マイコサクラとの血の繋がりはないが、アスチュも人間嫌い。ちょっと撫でても、ちょっと抱っこしても、嫌がることの多かったこの先代は、しかしながらゆったりお姫様ではなかった。一匹狼(?)で野性的。ハンターとしての腕前はバツグン。女々しいところは一つもない、ジャンヌ・ダルクのようだった。ちなみにアスチュも私もアメリカンショートヘアもどき。

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2008年8月 7日 (木)

マイコサクラ失踪事件/その1

娘2人はとうの昔に家を出て、居候していた若い学生も一人暮らしを始め、とうとう飼っていた猫のアスチュも昨年天国へ行ってしまった。そんな私の実家は、なにか寂しいというよりも物足りない、と母は思ったらしく「やっぱり猫をまた飼うことにしたの」と電話口で言った。今年の春のことだ。近所のお宅で猫3匹生まれたという知らせを受けて、そのうちの1匹が欲しかった黒猫だというから、母は飛んで行ったそうだ。ところが、そのお目当ての黒猫はとっくに貰い手がついていたらしい。だったら、と言って、母は2匹連れて帰ってしまった。黒猫がダメなら2匹という発想は普通なかなかしないものだが、母の場合は大いにありうるのだ。ああ、やっぱりまた2つだわ、と家路についたという母の話を聞いて、私は、やっぱりね、だった。なにせ、買い物にでかければ、なんでもかんでも同じものを2つ買う癖があるのだから。(2007年8月10日付けのブログ『私のビョーキ』参照)
やってきた2匹の猫は、ニニとサクラ。妹のニニはやんちゃで姉のサクラはお姫様の様だという。(2008年4月2日付けのブログ『春うらら、うわの空/その2』の写真参照)
ところが、途中からサクラの名前を母は変えてしまった。マイコにしたという。「だってフランスっ人たら、みんなサクラのラをLで発音しないでRで発音するんだもの。喉をゴロゴロ鳴らして『SAKOURA』なんてなんだか汚らしくて」。そして、ニニは人懐っこくていつも自分の後を付いてきて、かわいくってかわいくってしょうがない、と言い、サクラならぬマイコは人間嫌いで、抱っこされようとしないお澄ましで、あまりかわいくないとでも言いたそうだ。そう電話口で聞くと、サクラならぬマイコを不憫に思った。主人に十分かわいがられないで、さらに名前まで勝手に変えられて。お姫様キャラならプライドも高い筈。ふてくされて余計人間嫌いにならないと良いな、と密かに私は願った。
8月に入り、フランスがヴァカンス一色になっただろう頃を見計らって、パリの実家ではなく、ノルマンディーの家に電話を入れた。一回ブルルと鳴っただけで、母は出た。やはり休暇を取っていたようだ。暑中見舞いというより、私は用があって電話をしたのだが、母は私だと分かると「ちょっと!昨日、大変だったのよ!」と叫び始めた。私の用件も聞かずに。うっかり母の話に巻き込まれて、肝心の用件を話さず終いになってしまわないように、目の前にあった領収書の裏に用件をメモしてから、「どうしたの?」と聞いた。「昨日、マイコが居なくなっちゃったのよ、心配したわぁー」。マイコ…、ああ、サクラか!マイコサクラね。ややこしいので私はダブルネームで呼びことにした。
その日は、日中、ニニとマイコサクラは庭で遊んでいた。しかし夕方になって気がついてみるとニニしか庭にはいない。どうしたのかしら、と母は思った。「でも、きっとじきに戻ってくるでしょ」と気にせず、夕食の準備を始めた。蛇口をひねる音がすると、ニニが飛んでやってきた。「わぁ、お料理始めるの?」「わぁ、お水がポトポト落ちて面白ーい!」「わぁ、このオレンジ色の長いの、なぁに?」と、横から母の顔をチラチラ見ながら聞いてくる。台所が面白くて仕方がないらしい。「これはね、ニンジンっていうのよ」と母。また娘ができたかのように楽しんでニニに教える。ふと時計を見上げると、もう夜の8時になっていた。夏時間のトリックで、まだまだ夕方のようだった。「それにしても遅いわね、まだ帰ってこないわ…」。母がマイコサクラを心配し始めると、ニニもそわそわし始めた。「ねえ、ねえ、お庭に探しに行ってみない?」ニニはそう言って、ピョンと流し台から飛び降りると、一目散に裏庭のドアの方へ駆けて行った。つづく。(by Anne)

Maikosakura en paix
マイコサクラはゆったりしているので写真に撮りやすいそうだ。これはカール・ロイターヴェルスというスエーデン人の作品『結ばれたピストル』で、平和のシンボルとして国連本部にも置かれている物らしいのだが、なぜかマイコサクラは大好きで、いつも握りしめている、と母は言う。

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2008年8月 2日 (土)

2008.08.02

お行儀のsaboriday。
姦しい3人が集まれば、
お皿の上も戦場と化す。
(by Anne)


プロフィテロル
プロフィテロルは3つお皿にのっていたのに、なぜか急いでがっついた3人。


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2008年8月 1日 (金)

けっこうです!

先日、暑さにやられて真っ昼間に家でゴロゴロしていたら、ピンポーンとベルが鳴った。デリバリは済んだし、大家さんかな、誰かな、とぼんやり考えながら出た。「はい」。すると、インターフォンの向こうでひと呼吸おいてから、「あの」と話始めた。男の声。明らかに他人だ。セールスか勧誘に決まってる。そういう場合、私は必要以上に防衛する。決してひっかかるまい。決して。話を聞いてうっかり「ハイ」と相手の思う壷の返事をしたら大変だから、話は聞かないことにしている。最初から「ウチはけっこうです!」と言えばいいのだ。私はその決まり文句を喉元に準備して、もう一度インターフォンの男に「はい、なんでしょう?」と尋ねた。「あ、あの、テレビでお馴染みの○○ですけど…、」。オッ!!!某有名保険会社だ!セールスだ!私は相手が話を続けようとするのを遮って、必要以上にキツイ口調で「ウチはけっこうです!」と言ってインターフォンを切った。ついついキツい口調になってしまうのは、押し売りされたらどうしようかという不安がよぎるからだが、単に断れば良い話で、わざわざ感じの悪い口調になる必要もないわよね、と後から反省するのであった。ともあれ、セールスとピンと来て、当たりだったから良かったものの、決まり文句の「けっこうです」をのっけから言っても当たりじゃないこともあるから難しい。
つい2ヶ月前のことだ。家で食事の準備をしていると、お向かいのお宅の玄関先をウロウロしている中年男性が見えた。ん?なんだか怪しい。でもジッと観察するのもいやらしいので、そのまま食事の準備を続けた。するとお向かいのお宅から声が聞こえた。チラッと見ると、先ほどウロウロしていた男性がペコペコしながら、玄関先のお向かいのおじさんに何か話している。私は、きっとセールスだわと思い、また食事の準備を続けた。しかし、一向に話し声は止まない。またチラッと見ると、お向かいのおじさんもペコペコして、なにやら紙を受け取っている。あら、セールスにひっかかっちゃったのかしら?しっかりしてそうなおじさんなのに…。すると、セールスマンらしき男はお向かいのお宅を離れ、右見て左見て、道の安全を確認してから、ウチの方に渡って来るではないか!うわー、ウチにもセールスマンが来ちゃう!私はお鍋の火を消して、「ウチはけっこうです」を喉元に準備し、インターフォンの前で待ち伏せた。ピンポーン!やっぱり来たか!私は防衛体制に入り、インターフォンの受話器を取って、キツいトーンで「ハイ」と出た。「あのう…」。中年男性の声だ。やっぱりさっきのセールスマンだ。「なんでしょう?」、とまたもやキツい口調で。「あのう、東京なんとかかんとかで、なんとかかんとかの者ですが…」。なんだかよく分からないけど、どうせセールスでしょ。そう思った私は、さあ、いくよ、と心の中でかけ声をかけて、力強く「ウチはけっこうです!」と言った。中年男性は一瞬怯んだのか戸惑ったのか、「え!」と言い、それから数秒「あのう…」と続けようとしたのも束の間、諦めた様子で「じゃあ、ご案内を郵便受けに入れときますんで」と言って去っていった。しめしめ、追っ払ってやったゾ!私は満足した。しばらくして、何のセールスだったのか正体が知りたくなって、郵便受けをのぞきに行った。すると中には、「電気工事へのご協力のお願いについて」という紙が入っていた。近所で長期に渡る管路整備工事が実施されるので、その報告とお詫びだった。わざわざ一軒一軒、人が挨拶して回っていたってことか!ああ!なんてこと!ごめんなさい!とんだ勘違いでした!(by Anne)

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2008年7月30日 (水)

下田珍道中/その2

(つづき)エッ!?石ころ?いや、フジツボだ!驚愕とは、まさにその時の私。食事中、フジツボは頭から離れなかった。なんでフジツボなの?正面でお刺身をがっついてる大分漁師町出身のトムも、「ウチの田舎だって食べないゼ」と言っている。もしかして、ここはヤミ鍋ならぬヤミ味噌汁を食わすところなのかしら?観光客用の味噌汁なんて、適当なものをぶち込んでおけば良い、ということかしら?と、メチャメチャ、ナンセンスな想像をしてしまう。あまりに気になったのでお会計の際に、聞いてみた。失礼のないように。「フジツボなんて初めてでした」。すると、そう言われたことに驚いた様子で、「あ、そうですか!この辺じゃ、私の子供の頃なんか、こればっかです。これが一番良いダシがでるんです」と説明してくれ、一枚のA4コピーをくれた。先ほど口にしたフジツボ入り味噌汁の説明が書いてある。「お椀の中に磯がある」とあり、十種類以上もの貝などが紹介されている。本当に地元の味なんだ。またしても驚愕。確かに味は美味しかった。お店を出るとスーパーに立寄り、CAVAを買った。小屋に戻って飲みながら、レッカーって言うのか知らないが、ウチの車をなんとかしてくれる人を待った。しかし待てど暮らせど、なんとかしてくれる人は来ない。眠気と戦う努力をしない私は、その時ばかりは薄情で、一人サッサッと寝てしまった。なんとかしてくれる人は翌朝の6時になってようやく来たらしい。車は東京へ運ばれて行った。それでも一日下田に残ってビーチを楽しみたかったので、タクシーで海へ行った。夕方になるとまた、タクシーをビーチに呼んだ。その足で温泉へ。温泉からもタクシーで下田の駅へ。東京へはレンタカーをせず、電車で帰ることにしたからだ。乗車券を買い、荷物の整理をしていると、食べかけのパンを小屋のソファーに置き忘れてきたことに気付いた。またしばらくは閉めっぱなしの真夏の小屋に、食べかけのパン。蟻がウヨウヨ寄ってくるのが想像できた。慌ててタクシーで取りに戻った。下田駅から小屋まで、小屋から下田駅まで。食べかけのパンのために往復5千円。「やんなっちゃうわね」と一息ついて、いよいよ電車に乗ろうとした、その時。私は腰を折り曲げて叫んだ!「私、スニーカー、小屋に忘れて来ちゃった!」。他のみんなは私を睨んだ。冷ややかに「また5000円」と書かれた目を見れば、「もちろん戻らないわよ」と返事をするしかないだろう。帰りの踊り子号の中で私はまだ驚愕のフジツボを思い出し、その余韻は家に帰るまで尾を引いていた。エメラルドグリーンの海を思えば、これしきの珍道中なんてどうってことない。けれど、フジツボ味噌汁だけはどうってことないで終わらせたくない。皆様にも是非味わって頂きたいものだ。(by Anne)


緑のレース2
金目鯛もお刺身も、そして目玉のフジツボ味噌汁も、全部写真にとったのに、なぜか消えている。珍道中らしくて良いけれど、実に地元っぽくて美味しくて、良いお食事処だったので、また是非行きたい。お刺身は、切り方もとってもきれいでした。。。


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2008年7月29日 (火)

下田珍道中/その1

海の日の頃を狙って下田の海に泳ぎに行くのは恒例となっている。泳ぎにというよりは、浮きに、といったほうが適切だろう。とはいえ、夏期の休日といえば軽井沢で木こりばかりしている私達にとって、張り切って下田で海坊主もどきをしても、生っ白い肌じゃ格好もつかないのが口惜しいところだけれど、日本とは思えないエメラルドグリ−ンの海を目の前にすると、なんだかいろんなことがどうでも良くなってくる。東京からは少し距離があるが、その美しさと開放感のためだったら、4時間ぐらいの運転もたいしたことはなく、毎年飽きもせずに遊びに行っている。とはいえ、下田を熟知しているとは言いがたい。毎回同じ行動パターンを繰り返しているだけだから。
朝早く東京を発ち、10時ぐらいに親戚の小屋に到着。それから、毎回同じビーチへ向かい、パラソルを立てて一寝入り。暑さで目が覚めて、海に入り、しばらく波乗りをすると、丁度ランチタイム。近くの洋風海の家でクラブサンドやカレーを食べて、またビーチへ。人が少なくなる夕方までのんびり過ごした後、いつもの温泉へ向かう。その後は、いつもの定食屋で夕食。二泊する時はいつものお寿司屋さんにも顔を出す。そしてスーパーでワインを買って小屋に戻り、みんなで飲んで、おやすみなさいだ。未だかつてこのスケジュールに狂いが生じたことはない。
ところが、先日は最初っから変だった。3人で行く筈が4人になり、それが5人になったことから始まった。そこまでは、よくあること。しかし1人が、前乗りするかもしれない、レンタカーをするかもしれないと言い出して、出発当日になっても一体何人がウチの車に乗るのか分からなかった。結局、レンタカーを手配するにはトゥーレイト。ギリギリになって予定通り5人車に乗っての出発となった。食に対する拘りは到底譲れはしない私たちだが、その晩に限って、先を急ぐためにファミレスで済ませたのも今となっては珍行動だ。それでも東名を下りて、小田厚から西湘バイパスを抜けるまではスムーズだった。しかし真鶴に着いた頃、いきなり車がピーピー騒ぎだし、STOPしろという。具合が悪いらしい。その後もちょっと動かすとピーピー言う。高速が通っていないド田舎で、深夜営業のガソリンスタンドを見つけるまで相当時間がかかった。やっと見つけたと思ったら、石油代高騰のしわ寄せで深夜は無人営業となっていた。車を点検してもらえない。仕方なく、休ませては動かし、ピーピー言われては休ませと、騙し騙しでなんとか下田に辿り着けた。予定到着時刻を遥かに過ぎた、深夜2時。眠い。とにかく車のことは明日考えよう、とスカーレット・オハラさながらその日は寝たのだった。翌日は、嬉しいことに快晴だった。一刻も早くビーチへ行こうと、車の点検は後回しにした。朝食は下田駅前のマック。仕事で忙しい時、マックのバーガーを齧るという主人を白い目で見ていた私も、いつの間にか最近は「じゃ、マック行こう!」と提案するようになった。100円コーヒーが驚くほど美味しい。すると目の前を東京のご近所さんが通った。なんでまたこんなところに!大騒ぎで挨拶をした後、別のビーチに急ぐ彼らに手を振って、私たちも海へ繰り出した。車は相変わらずピーピー言っていたけど、やがて気にならなくなった。海は透き通ったエメラルドグリーンに輝いていた。私たちはパラソルの下に半分体を入れて、ジャンクフードとジャンクマガジンを広げ、ジャンクな会話を楽しみ、飽きた頃、波乗りをした。ランチタイムになるといつもの洋風海の家でクラブサンドやパスタをたのんだ。けれどメチャメチャ待たされた。おまけに出てきたコーラとペリエは炭酸が抜けきっていた。メチャメチャ不機嫌になりそうなところを私らしからずグッと我慢して、大人しくビーチに戻った。何度も何度も波乗りをして遊んだ後、いつもの温泉に向かった。温泉はメチャメチャ混んでいた。食事をしようといつもの定食屋へ行くと、メチャメチャ混んでいた。あきらめていつものお寿司屋さんに行ったら、そこもメチャメチャ混んでいた。どこもかしこもメチャメチャ三昧。もはや今夜は断食か。そう思った頃、一軒の御食事処から5人ぞろぞろ出てきたのを発見。一目散にその暖簾に突っ込んだ。「入れますかぁ?」「ああ、今片付けるね」。困った様子もなく入れてくれる。混んでない。ひょっとして評判の悪い店なのかしら?でも断食よりはマシ。注文の後、目の前に金目鯛の煮付けが置かれると、その大きさに驚いた。二人前はあるだろう。とりあえず付け合わせのお味噌汁をすすろうとして、お箸でそっとかき回したその時。ゴロゴロッと何かが見えた。つづく。(by Anne)

緑のレース1
折角撮った下田の写真も、なぜか全て削除されていた。今回のこの旅は、もう、なにもかも、メチャメチャ。写真がないと殺風景なので、緑をお見せいたします。


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2008年7月21日 (月)

夢が見た夢/その2

(つづき)要するに、黒人を軽蔑している彼女だが、本当のところ、無意識の状態では黒人男性に憧れている、もっと言うなら襲われたいという性的抑圧があるという話だ。儘父は、アメリカには人種差別が根強く残るという話をする時に、人種差別を揶揄したこのジョークを思い出したのだったが、私は先日、マチ子の夢の話で思い出したのだった。
恵比寿で計10名ぐらいで食事をしていた時のこと。ド真ん中に座った女王様気取りのマチ子が、テーブルの一番端でひどい頭痛に襲われ黙りこくっていた男友達に向かって、突然叫んだ。「ちょっと!サトル!そういえば、あなた、ずうずうしいわよ!」。頭痛が一瞬にして消え去ったかのように彼はハッとした。「な、なに?」。「ねえ、聞いて!この人ったらね、」とマチ子。みんなに聞こえるように大きな声で、「この人ったらね、私の夢に入ってきたのよ!ずうずうしいと思わない?」と言うのだ。「人の夢に勝手に入ってきて、おまけにもっとずうずうしいのが、なんとこの私に言い寄ってくるのよ!」。周りはキョトンとしている。サトルは、ついさっきまでひどい痛みと戦っていたと思ったら、今度は散々ずうずうしいとののしられて、気の毒に言葉を失っている。しかしそんなことはおかまいなしの『女王様』は続けた。「でもね、私って良い人だから、『あなたの彼女に悪いから』って言って誘惑を断ったのよ。確かにそれもそうなんだけど、それ以上にホンネを言ったら傷つくだろうと思って」。ひと呼吸置いて、彼女は言った。「ホンネはね、あなたに興味がないってことなんだけど」。ようやく話の流れを理解した彼は、「自分が勝手に見た夢だろうが!」と言い返していたが、私は彼と黒人男が重なって、案外、マチ子はサトルに惹かれているのかもしれない、と密かに思った。しかし、すぐにその考えは取り消した。なぜなら、マチ子のご主人は、繊細なサトルとは似ても似つかない、『ドカベン』だからだ。(by Anne)
注意:登場人物の名前は、ジャン以外匿名です。

女の子の夢
マチ子とお茶した銀座のダロワイヨで。マカロンアイスとマカロンケーキを目の前に、女の子に生まれて良かったと思った、夢のひと時。ワインを毎日飲まなくなったら、けっこう甘いものも好きになってきた。


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2008年7月19日 (土)

2008.07.19

古い紋紗で初薄物。
長襦袢、帯、足袋、伊達締め、腰紐…。
呉服屋さんに一式全部持って行って、
「着せて」と言ったsaboriday。
(by Anne)

紋紗

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2008年7月18日 (金)

夢が見た夢/その1

パリの継父の周りには、数多くの芸術家や作家がいて、みんなそれぞれ相当、変わり者というのが失礼であればエキセントリックで、印象に残らない人はいないが、なぜか2度しか会ったことのないジャンの話は頻繁に思い出す。ジャンとは、ニューヨークに住むジューイッシュ系の画商。主にマックス・エルンストやドロテア・タニングなど、シューレアリストの作品をコレクションしているだけあって、『夢』というテーマには執着があるらしい。儘父が「忘れもしない」と言って、何度も何度も私に聞かせてくれた彼のジョークは、夢にまつわる話だった。そして私のユダヤ系ユーモア好きは、そこから始まったのかもしれない。
「知ってるか?この話。ニューヨークのアップタウンのとある寝室で、若くて美しい白人の女性が眠っていた。かわいそうに彼女は大きなベットでひとりきりだった。早くに亭主に先立たれたからだ。枕元のランプの薄明かりが彼女の真っ白な肌を照らしていた。辺りはシンとしていて、彼女のかすかな呼吸が聞こえるくらいだった。しばらくして突然、ミシッと小さな音がした。眠りが浅い彼女は、その音に気がついた。何かしら?ミシッ。また聞こえてきた。寝室の向こうの廊下からだ。足音のようだ。ミシッ!ミシッ!その音はゆっくりと近づいてくる。誰?!どうしましょう!!!彼女はジッと廊下に続く寝室のドアを見つめた。どうしましょう!!!いよいよ、ドアのすぐ向こうまで足音が近づいた。ギーッ。ドアノブがくるりと回り、ドアが半分開いた。黒い人影が!見開いた大きな目がふたつ。人影は部屋へ侵入した。黒人の大男だった。2メートルはあるだろう。肩から胸にかけての隆々とした筋肉、真っ黒に光る肌。どうしましょう!逃げられない!!!大男は彼女の寝ているベッドへ膝をかけ、大木のような股で彼女をまたぎ、グローブのような手で彼女を掴んで襲おうとした。彼女は思わず叫んだ。ありったけの声を張り上げて。『なんて恥知らずな!どうせ、どうせ、あんた達黒人のすることなんか!あんた達のすることなんか汚らわしい!下等よ!恥を知れ!』…。彼女は金色の髪の毛を振り乱し、叫び続けた。すると大男は低い落ちついた声で、ゆっくりと、彼女に向かって言った。『そうは言っても、これはあなたの夢ですよ、マダム』と」。つづく。(by Anne)


夢のまた夢


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