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2007年3月28日 (水)

ももしきで

『ももしきや 古き軒端をしのぶにも なほあまりある 昔なりけり』
こう、パソコンで打ってるだけでも涙が出て来る。百人一首の百首目に選定された、順徳院の一首。身内のカルタ会では、素人ばかりのままごと状態のなのに、この歌に限って「もも」と聞いたらパンッと豪快に下の句カードを取って得意になる私。それくらい好きな歌だ。意味は…。何年も訪れていなかったお城は、今は草ボウボウ。その草を踏みながら、軒端の中に入っていき、かつて栄えていた頃を少しずつ思い出すけれど、草を踏んでも踏んでも踏み切れない様に、思い出の方も、思い出しても思い出しても思い出し尽くせない位、まだまだたくさんここには残っている。って、私は解釈してる。この「なほあまりある」っていう所に、本当に胸がキューっとするんだよなー、なんて客観的に評価して、日本昔話を聞くような気分でいたら、先日デジャビュ体験した。父が亡くなってもう十年以上経つわけだが、未だにそのままになっている父の遺品の整理しようと、意を決して「ももしき」の「古き軒端をしの」んだからだ。と言っても、「ももしき」なんていうお城では勿論ないし、草ボウボウって程でもないけれど、まあ、父が住んでいた家へ行って、ホコリをかぶった父の本棚や机の引き出しをひっくり返して、整理をしたってわけ。そうしたら、ものすごい量の写真が出て来た。それを一枚一枚チェックして、何時の頃だったかなとか、これは誰だったかな、とかやっていたらあっという間に時間が経ってしまった。困るのは、誰だか分からない人の写真、人が写っていない景色の写真と、車のエンジンとか部品の写真の三種類。本当に車が好きだったのね、と思いながらも、処理に困る写真と奮闘した。この作業がけっこう疲れるものだって気付いたのは、ある程度片付いてコーヒーでも飲もうかと思った時。いきなりずっしりと頭の上に何かがのしかかるような、鈍い重みを感じてしばらくソファーで休んだ。あー、今、私は思い出の重みを感じているんだ、と思った。これだけたくさんの写真が残っているってことは、一刻一刻を忘れたくないっていう強い気持ちがあったのか、それとも単にカメラが好きだったのか、いずれにしても父の記憶の細部まで入って行くような感じがあった。ふと、父がいつも座っていた椅子に目をやった。父の思い出は重すぎる。私は背負いきれない。私は自分の思い出をこれから作っていくんだ。そう思ったら、気が楽になった。小さなリュックに入るだけ、と数十枚の写真だけ貰って帰った。(by Anne)

写真

出てきた写真の一部。どう片づけて良いのか分らない、なほあまりある昔。

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