シネメモあれこれ/3〜4
3/『インランド・エンパイア』(デイヴィッド・リンチ監督の新作:7月恵比寿ガーデンシネマにて公開)を観てから、どうも変だ。『Rolling Stone』誌によると、この作品は「人の心を変えてしまうくらい、強烈な副作用を持った劇薬である」とのこと。「よく言った!」という感じ。いろいろと思う事があるので、この作品については後日じっくり話そうと思ってる。
4/カンヌ映画祭から戻って来た松本人志(new)監督のインタビューを観ていたら、初監督作品『大日本人』の、向こうでの反響はおしなべて良かったというにもかかわらず、打ち拉しがれた様子だった。聞けば、一部のジャーナリストのコメントがシビアというか、貶したというか、要するに彼の言葉を借りれば「そこまで言うかー?」ってことを言ったらしい。ははーん。と思った。日本では、例えばおすぎさんの茶目っ気ある辛口コメントにはみんな慣れている。でもフランスのジャーナリスムはシリアスに辛口だ。容赦なく言葉という、ともすれば危険な武器で、相手や作品をボコボコにしてしまうこと多々有り。というのも、フランスは、相手に自分の意見をはっきり伝えることで、初めて自分の存在を認めてもらえる文化だからだ。仮りに、相手の話を聞いて、「そうですよね、良く分かります、僕も同じように思ってました」では、脳味噌空っぽだと思われ、相手にもされない。相手の話を「でも(oui mais、英語のbut)」で打ち切り、相手の意見と別の意見(大概真逆の意見)をぶつけることが、会話を成立させることであり、オオ!こいつは結構面白いヤツだ、と思わせるコツなのだ。ところが、それを日本でやってみるとどうだろう。特に私が帰国したばかりの頃、「でも、でも」と連発していたと思う。仕事現場でも、折角ヘアメイクさんが何気ない話をして場を和ませようとしてくれているのに、「そうですね〜」と言って柔らかい会話を楽しめば良いのに、やっきになって「でも!私はこう思う!」と主張してみせていた。さぞ、ムツカシイ子ね、って煙たがれたことだろう。化粧水の話や、休日の話や、レストランの話なのに、なにをそんなに!とほほ。バカみたい。日本では、そもそも、会話をスムーズに成り立たせるコツは「そうですね、ウンウン、私もそう思います」と同調することから始まる。そう言う事で、相手に自分の存在を受け入れてもらうのだ。それからしばらくして、ようやく、柔らかなオブラートに包んだ自分の本音を伝えることができるんじゃないか。そんな中から、いきなりカンヌという、全く別の会話のルールの中に放り込まれた松本監督は、さぞびっくりしただろう。だいたい批判ばかりして粋がって自分の存在を何が何でもアピールしようとするのは、フランス人ジャーナリストでも新米君なのではないだろうか?ま、驚いただろうけれど、その辺は大目に見てやって下さいネ、と思うところだ。ただ、そんなフランス人ジャーナリストの批判族の中に、時々評論家の巨匠が潜んでいることもある。その場合は、少しだけ耳を傾けたほうがプラスになるだろうな、と自分に言い聞かせている。(by Anne)
お隣は知らない人、という友達の披露宴にて。フラワーアレンジメントが超ゴージャス。