無料ブログはココログ

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2007年8月

2007年8月31日 (金)

チャマのおまじない/1

8月28日の『おしどり夫婦の眠れぬ夜』を書いていて思い出した。そもそも身内のポートレイトを首にぶら下げておくと良い、とアドバイスしたのはチャマだ。チャマとは、従姉のこと。大学卒業後、大手メーカーに就職をした彼女は初めてと言っていいぐらい自分と境遇の違う多くの人たちと触れ合うことになった。お喋りが得意な彼女は、デスクに座りながらも同僚や上司にいろんな話を聞かせて楽しませていたに違いない。しかし一番彼らが楽しんだのは、一日の仕事を終えた退社後だったに違いない。レストランで友達に、家に帰って奥さんや家族に、映画館で彼氏に、「今日、チャマがさぁ〜」と彼女を目の前にしては決していえないあだ名をこっそり言う時だ。「チャマ」とはお爺ちゃま、お婆ちゃま、叔母ちゃま、などと言う時の「ちゃま」。通常は、祖母や祖父、叔母と言うけれど、極親しい上司や同僚に家族の話をする時は「ちゃま、ちゃま」呼びをしていたらしい。恐らくいくら「ちゃま、ちゃま」呼びをしても、誰も変わってると指摘しない境遇だっただろうけれど、会社は違ったようだ。彼女のデスクの周りでは、「ちゃま、ちゃま」と聞く度に、吹き出したくなる思いが蔓延したに違いない。なんというか、多分、ドレスを着て、おリボンをつけて、ソックスを履いたプードルを見て、動物なのに貴重品みたいに扱わなくても良いんじゃないの、って思う人の感覚に似ているのかもしれない、と想像してみた。ともあれ、その、チャマが久し振りに私の母に会った時の事。母の驚く程やせた姿を見て言った。「どうしたの?そんなに痩せて。いいわね、一体どんなダイエットをしたの?」。どんな事があっても豪快な食欲だけは失せることがない母のことだから、そのダイエットはそうとう効果的なんだろうと、最近体系が気になり出したチャマは興味深々になった。母はケタケタと笑い出した。そして「あなたのお父様ですよ」と薮から棒に言った。要するに母の兄が原因だという。飛行機に乗り遅れる事以外にもうひとつ、彼女が恐れているのは兄だから、普段は仲が良いのに、たまに彼に叱られると、世の終わりがやってきたかのようにションポリしてしまうのだ。「この間も電話で喋っていたら、いきなり怒るんだもの」と母。電話を切った後の二週間、落ち込んで物が喉を通らなかったらしい。でも心配無用。痩せてすっかり機嫌が良くなった母の食欲は、またちゃんと戻ったらしい。「こんなんじゃあ、また太っちゃうわねって、友達に話したら、定期的に彼に電話したら良いわ、って言うのよ」と言って笑ってる母に、チャマは言った。「叔母ちゃま、パパの写真をロケットに入れたら良いじゃない?」と。首からぶら下げて、レストラン行ったり、沢山食べたくなったりしたら、パッとロケットを見る。兄の顔を見て、恐ろしさあまりに、きっと食欲は瞬く間に消えるに違いない。母にだけ効くスーパー・ダイエット法だ。(by Anne)

チャマのケーキ
チャマはお料理も得意。私の妹のお誕生日にリクエストを聞くと、「ショートケーキが食べたーい。お婆ちゃまが作ってくれてたみたいなやつ」と言ったそうな。妹もチャマだ。そういう私も、実は隠れチャマ。

2007年8月29日 (水)

茄子のキャビア

夏になると茄子を蒸して、冷蔵庫でキンキンに冷やしたものを、ざく切りトマトと一緒にバジルソースやミョウガダレで頂くことが多い。さっぱりしていて美味しいけれど今回の茄子は、蒸し過ぎたのか、種類が合わなかったのか、ドロドロの出来になってしまった。ドロドロじゃあ、食欲も激減する。そこで、ブルガリア人の知人がこしらえてくれた、「caviar d'aubergine(茄子のキャビア)」にしてみようと、包丁を握った。キャビアとか言ってるけど、ペースト状のもので、ロシア語の「魚の卵」という意味からきた、あの高級食材はこれっぽっちも入っていないし、似てさえもない。包丁で茄子を叩いてペースト状にする。そこにレモン汁とオリーブオイルを入れて、少々のニンニクのすりおろしを加え、塩胡椒で味を整える。これがベイシックな茄子のキャビア。好みで白胡麻のクリームやタバスコを加えても良いし、レモン汁の代わりにバルサミコ酢でも良い。細かく刻んだパセリを散らすと、見た目がきれい。バルト海から地中海まで広く食されている前菜で、国によっても少しずつスタイルが違う。本当は、蒸した茄子を使うのではなくて、焼き茄子を使う。ブルガリア人の知人は、暖炉で焼いた茄子を使っていたが、それは独特の香りと甘みがあって、忘れられない味の一つだ。(by Anne)

茄子のキャビア
食べ方は通常、クラッカーやトーストしたパンにのせて。

2007年8月27日 (月)

おしどり夫婦の眠れぬ夜

「夫婦は同じベットで寝ないと絶対上手くいかないわね」。これが最初の結婚に失敗した後、母が得た教訓だった。最近のフランスではあまり見かけない気がするが、日本の年配夫婦は、寝室にシングルベットを並べて寝ているパターンが多い。これは畳の上に布団を敷いて寝る文化が西洋化したためなのだろうか?いずれにしても、別々の布団で寝ていてもずっと仲の良い夫婦は五万と居るわけで、むしろその方がスタンダードだったわけだから、母が得た教訓は非常に説得力に欠けると私は思う。だけど、再婚後、ダブルベットを購入した母と儘父は、見ていてシラケる程ラブラブなんで、まんざらバカにできないかもと、私も家具売り場で主人に「絶対ダブルベット」を主張した。要するに酉の日の熊手みたいに、まあ、円滑儀って思って。ともあれ、この母達のダブルベット。これが原因で実家でちょっとした騒動になったのを、先週末かかってきた妹の電話で知った。先週から母の兄夫婦がはるばる日本からフランスに来ている。各地を巡るらしいのだが、まずはパリ、そしてノルマンディーのウチの田舎の家も訪れたいとのことだった。夏休みを取ってすでに母と儘父はノルマンディーで過ごしていたので、パリでは自分たちの寝室を伯父夫婦に使ってもらうことしたそうだ。伯父達がパリに到着した日は、勝手が分からないだろうからって、妹が出迎えた。一方、母はノルマンディーの家で大忙し。兄が初めて訪れるものだから、まともな生活をしていると証明せねばならないプレッシャーで、友達も駆出して大慌てで徹底的大掃除を開始したそうだ。あばら小屋だと思われまいと。とりわけ、泊まってもらう予定の離れは、塵ひとつ見当たらないくらいに奇麗にしたそうだ。そんな最中、パリでは妹が伯父夫婦を寝室に案内していた。ドアを開けて、「どうぞここを使ってね。シーツは新しくしてあるからね。」と。寝室の真ん中には大きなダブルベットが自信ありげにドカンと置いてある。それを見た伯父夫婦は「えー!」と叫んだ。妹は、にっこりと振り返った。フカフカして気持ち良さそうでしょう?と。すると二人そろって「こんな狭いところで二人寝るの?暑苦しいなあ。」と言ったそうだ。妹は予想外のリアクションにきょとんとした。しばらくしてやっと訳が分かったらしい。日本のこの世代の夫婦は、布団を別々にするケースが多いからだと。そうだと分かると、今度は妹が大慌て。ノルマンディーに居る母に電話をして、伯父達を離れに泊まらせないよう伝えた。離れのダブルベットは、セミダブルに近い位の小さなものだったからだ。それを聞いた母は、腰が抜けたように座り込んでしまったらしく、半べそかいたような声で細々と「どうしよう…」とつぶやいたそうだ。しばらくの間、母と妹は電話越しで沈黙の会話をしていたが、そうだ、と思い出したらしい。例の教訓のせいかは知らないが、大きなシーツで包んでキングサイズに見せかけているベットがあったではないか、と。中身はシングルベット2台。これを離して寝てもらおう。そのベットを離すために、わざわざまた大掃除。
翌日、伯父夫婦はノルマンディーに到着した。あいにくの雨だったが、日本では見慣れない田舎の家の佇まいに感動してくれたから良かった。ホッとしている所で、妹は気になる前日の晩の寝心地を聞いてみた。「ダブルベットで大丈夫だった?」すると二人の返事はこうだったそうだ。「いやー、もう、触れたらどうしよう、と思ってたら寝れなくて肩凝っちゃったよ」。
そんな一部始終を聞いて、「もーやーねー」って笑って私は電話を切った。しかし、「触れたらどうしよう」、か!私の頭に不思議な思いが巡った。彼らは一体どうやって二人の子供を儲けたのだろう?バチカンで観た絵画みたいに、背中に羽をつけたコが、パタパタパタとやってきて、伯母を指差し「懐妊しました」って受胎告知したのかな。伯母のポートレイトをメダルにして、ロザリオと共に首にぶらさげようか。ダブルベットよりもご利益あるかもしれない。なにせおしどり夫婦だから。(by Anne)

haut-vent
ノルマンディーの家も、そろそろ紅葉の季節だ。
説明するまでもないことだが、伯父達の「触れたらどうしよう」は、多分「触れて起こしちゃったらどうしよう」、ということだろう。おしどり夫婦だけに、相手への気遣いが伝わる一言だ。と、彼らの名誉のために、加えておこう。

2007年8月24日 (金)

しあわせな孤独

久しぶりにワイン会に参加した。場所は西麻布の「ヴィノーブル」。オープニング以来来ていなかったが、シンプルなデザインの内装がパリの左岸スタイルっぽくて好き。私達は全部で9人。食後にはプラス5人が参上。毎度のことながら騒がしいので、二階の席を使わせていただいだ。二階といっても、このお店の造りはアトリエ風なので、吹き抜けがあって、二階から見下ろすと一階とエントランスが臨めるようになっているから、圧迫感がない。けど、私達の騒々しさが筒抜けではないか?やや心配になったが、音とは上にのぼる性質らしく、一階のエレガントなお客様の迷惑にはなっていないとみて、ホッ。いろいろなワインを、ヴィノーブルのメニューと頂いたけど、全部、本当に美味しかった。シャンパーニュは『ムタール』。夏らしく、さっぱり。次に、珍しいシャトー・メルシャンの『きいろ香』。ブラインドでティスティングしたけど、誰も葡萄品種が甲州だって当てられなかった。資格取ったからって、あぐらかいてちゃダメね。まだまだ修行が足りてません。今回は白ワインはこれだけ。赤はボジョレーからスタートして、マルセル・ラピエールの『ブルイィ 2000』。イチゴジャムの香りは勿論、ちょっと糠漬けっぽいアミノ酸の香りもあってビオ・ワインっぽい。うっとり味わっていたら、プルミエ・コート・ド・ボルドーの赤が配られた。白が名産の地方だけど、赤。無名なワインだから、はっきり言って内心あまり期待していなかった。ところが、ものすごくまろやかで、美味しい。メルロー系の味わいが柔らかくて、あ、好み、好み、とニヤケていたら、「アンヌちゃんのワインだよ」と言われた。「え?ワタシ?」と答えてる最中にラベルを突きつけられて、おお!『クロ・サントゥ・アンヌ 2000』という銘柄だ。今度見つけたらケース買いしちゃおっと!そして、大御所の二本。セラファンの『ジュヴレー・シャンベルタン 2000』とルミエの『シャンボール・ミュジニ 2004』。好みがはっきり分かれるけど、私はパワフルなジュヴレー・シャンベルタンの方が好きだな。「パワフルなワインは、パワーのある若い年頃に美味しいと感じられるものです」って先生が言ってたな。私はまだ若いってことね、と解釈することにします。そして、『パレオ1995』。イタリアのスーパートスカーナと呼ばれている、とっておきのワイン。ところが、残念。せっかく頂いたのに、ごめんなさい。この頃には、もう赤ワインの味の違いが分からなくなってしまってました。最後にはデザート・ワインを二本。イタリアの『ピコリット』と五一わいんの『貴腐 1999』。デザートワインは別腹ならぬ、別舌。しっかり二本の味わいを覚えてます。でも、今回、一番印象的だったのは、名前のせいもあるけど『クロ・サントゥ・アンヌ 2000』かな。ふと、映画『しあわせな孤独』を思い出した。公開当時、無名に等しかったスザンネ・ビア監督の、小さいけれど心揺さぶられて、柔らかくて優しい余韻を残してくれる作品。10月に公開される『アフター・ウェデング』に備えて、是非、DVDで。(by Anne)

しあわせな孤独
『しあわせな孤独』の公開当時のチラシ。スザンネ・ビア監督、デンマーク映画。配給:ギャガ。制作は、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』や『奇跡の海』のヴィベケ・ウィンデロフ。

clos Ste Anne
『クロ・サントゥ・アンヌ 2000』。

五一/貴腐
日本の貴腐ワインも頑張ってます。ハヤシ・ワイナリー、五一わいんの、『貴腐 1999』。品種は、セミヨンにシャルドネで、ボルドー地方のソーテルヌに少し似たタイプ。軽井沢で5900円位売ってた。渋谷のフード・ショウでも見かけた気がする。
ヴィノーブルのお料理はどれも美味しかったけど、とりわけ馬刺のタルタルと白貝のプレートが印象的だった。
http://vinoble.jp

2007年8月22日 (水)

耳よりな話/その2

もう、思わず今日、言いました。「ホント、バカ暑い!」と。だいたい私は、「超なんとか」、「めちゃくちゃなんとか」、「すっごいなんとか」といったような言い方はするけど、「バカなんとか」っていう言い方はしない。けど、「バカ暑い」と、普段使わない特別な言葉が口を突いて出る訳は、皆さん同感でしょう。それだけ暑い日でした。さて、こんな猛残暑の最中にムッとして食べる気しないでしょう黒豆煮の、デトックス効果を教わりました。黒豆は、アラメ同様に婦人科系全般をお掃除してくれるのだそう。昆布を戻して角切りにし、お鍋に敷く。6時間以上水に浸しておいた黒豆を入れて、戻し汁も黒豆がヒタヒタになるくらいまで入れる。圧力釜ならなお良いけど、普通のお鍋でもOK。塩を少し入れて、強火から弱火におとして、20〜30分煮る。好みで後から、栗やドライフルーツを加えて煮込むと、優しい甘さが加わり、美味しい。お正月の黒豆が甘過ぎて、せっかく作ってもウチじゃほとんど誰も手を付けない。けれど、この黒豆煮なら、少なくとも私は沢山頂ける。生理前に黒豆を食べたり、黒豆の煮汁を飲んだりするとより効果的なんだそう。それはそうと、「バカ」って、「馬鹿」ってなんで馬と鹿なんだっけ?フランス語では、「バカ暑い!」と言いたければ、「vachement chaud(ヴァッシュマン ショー)」って言います。馬でも鹿でもなく牛。「ホント、ウシ暑い!」と。驚いた時も、「オオ!ウシ!(オーラ、ヴァッシュ)」。昔からなんで牛なんだろう、と不思議に思っているが未だに解明せぬまま。「最高!」って喜ぶ時は、「c'est le pied!(セ・ル・ピエ!)」って言います。「足だ!」って。これもなんで足なんだろう?儘父が、ダニエル・ポムルールと一緒に考えた表現だって言って得意になっていたが、本当かどうか…。(by Anne)

栗入り黒豆煮
マクロビのお教室で習った通りに作ってみました。栗が入ってます。余ったら、丸めてコロッケにしても美味しいです。コロッケにするときは、みじん切りにした玉ねぎを少々の塩で炒めて、少しつぶした黒豆に混ぜて作ります。好みで、全粒粉を水でのばして繋ぎにして、すり胡麻も混ぜても。器は、事務所の社長のお下がりで、中国茶を頂くものです。本来の用途とは違うけど、ちょっとしたおつまみをのせたりして、よく使ってます。

2007年8月21日 (火)

耳よりな話 /その1

とにもかくにも私は切り干し大根が大好き。煮付けにしたりサラダにしたりしてよく食べている。でも、あの、袋を開けた時の、ボワーンと広がるお日様の香りは、煮付けでもサラダでも抹殺されてしまうからもったいないなあ、と思っていた。そんな頃、先日のマクロビ教室で新しい食べ方を教わった。これなら、お日様のポカポカした香りを存分に楽しめる、ゆっぴーモノ。さらにもっと、ゆっぴー、と喜べるのは、デトックス効果。切り干し大根は、体内に蓄積された油を排出してくれるんで、体のラインが気になる人にオススメ。さらにおやつが必要な人にもってこいだ。チップスやおせんべいをポリポリやる、午後4時頃。代わりに切り干し大根の袋をオープンしてみましょう。水に戻したりもせず、そのまま、袋から取り出して、ポリポリ。噛めば噛むほどジュワーッと甘ーい味わいが口の中に広がります。マクロビ的には夕方に食べると一番効果的なんだそう。私が「なぜですか?」と質問したら、先生の答えはこうだ。「一日のうちで一番陽性のエネルギーが高まっている時刻に、切り干し大根のような陽性の食べ物を食べると、より、その陽性の効果が出るんです。切り干し大根が油を吸い取るエネルギーが、より強まるってことなんですね。」うーん、この説明はちょっと難しいかも。とにかく、朝より、夜より、夕方に食べると良いんだって。(by Anne)

切り干しコレクション
私の切り干し大根コレクション。一言に切り干し大根と言っても、色々ある。チップス代わりに食べるなら、一般的な細切りのものが一番甘く感じられる。

2007年8月20日 (月)

米原万里の本

昨年米原万里が亡くなった時には、ウチの家族挙ってがっっっかりした。彼女の文章を、もう読めなくなるという悲しさで。正確には、彼女の文章が読みたければ、今までのものを読むしかなく、次にどんなものを書いて出してくれるのかな、という楽しみは取り上げられてしまったという事だけど。中でも、主人が一番がっかりしていた。もしや彼女に恋してたんじゃないかというくらい。私は内心メラメラ。嫉妬した。が、仕方がない。私だってこんな女性、憧れます。東京外語大ロシア語学科卒業のロシア語同時通訳者でもあり、文筆家で、非常に優秀な人なんだけど、文章が愉快で、愉快で。まるでジェットコースター。下世話な話や下ネタのような、一般的にレベルの低いと言われている話をしているのかと思えば、それがいきなり政治や文化の、一般的にレベルが高いと言われている話になって、そしてまた下世話な話に戻る、といったような感じで、引き出しの多さ、揺り幅の広さ、知識の豊富さ、インテリぶったところがないところ、国際的なところ、におどろかされる。実際のジェットコースターが嫌いなウチの皆も、活字を追って体ではなく気持ちだけが盛り上がったりダウンしたり、スローだったりワクワクしたり、ってことなら大喜び。主人は本屋で見かければ、もう持っている本であろうと「予備に」買ってるし、あとの皆もパリ〜東京の長時間飛行には、時間を忘れるので数冊は抱える。だけど読みながら時々奇声をあげるので、隣人は要注意。キャハハ!ガハハ!イヒヒ!フフフ!ゲヘヘ!こんな風に土曜日も、米原万里を読み続けた。『米原万里の「愛の法則」』(集英社新書 660円)という学生を相手にした講演録集。冒頭の章は、男女の話で聞いてる学生が盛り上がっている様子が目に浮かぶ。だけど全部で四章から成り立つこの本は、彼女が常に触れてきたコニュニーケションという問題を、解き明かしてくれる。人と人、言葉と言葉、文化と文化、国と国。私たちはコミュニケーションなしでは存在しないも同然。もっと、かかわり合うことを大切にしよう、と思った。そこで知る色々な事が、人生をより楽しいものにしてくれるんだろう。こんな愉快な文章を読んでいると、そう、思う。
本文中に「外国語を学ぶと、ふつう日本語で物を見たり、考えたりするときにあった常識が、外国語でとらえ直したとたんにひっくり返るんです。すると日本の常識が通用しなかったりする。」とあった。その時、あ!そうだ!とピンときた事があった。日本語で「転がる石に苔むさず」って諺があるけど、フランス語にも全く同じ表現がある。ただし、意味は真逆。日本語の方の苔は良いものとしての例で、フランス語の方の苔は雑草のようなものの例。後者では、動いていないと腐っちゃうよ、ってことだ。飽きっぽい私は、この場合日本語ができないことにしよう。(by Anne)

2007年8月18日 (土)

2007.08.18

山小屋のrainy dayもsaboriday。
ソファーでずっと、
本とべったり。
(by Anne)

愛の法則

2007年8月15日 (水)

アフター・ウェディング

ふぅ。こういう映画を観ると、素晴らしく充実した一日を過ごした気になる。スザンネ・ビア監督の『アフター・ウェディング』。デンマーク映画だ。と聞いて、ラース・ヴァン・トリアーを筆頭としたドグマ作品を思い出し、きっとビービー泣かされるハメになるだろうとハンカチでなくタオルを持って行って良かった。期待を遥かに超えた感動作。彼女の前2作『幸せな孤独』と『ある愛の風景』(前者は現在DVDで観賞でき、後者は本作品と同時期公開予定)は、すでにハリウッドでリメイクが進んでいるという。まるで『バベル』や『ナイロビの蜂』を彷彿とさせるいくつものシーンを抱えた本作品。結婚や離婚、後進国からの養子縁組などで形成される新しい家族の形が存在する今、愛する思いをどう伝えれば良いのだろうと、しばしば悩むだろう。ここに一つの答えがあり、その答えに心打たれる。インドの孤児院で援助活動を行なっているヤコブ(『007カジノ・ロワイヤル』のマッツ・ミケルセンが演じている!)のところに、デンマークから電話が入る。大実業家のヨルゲンからだ。援助するべき人を見つけても、お金の調達には疎いヤコブに、「金が必要なら取りに来い」という。恋人を失い、愛情の置き去りにされたようなヤコブは、同じようなインドの孤児達と共に暮らすことが心の安らぎで、ひと時もインドを離れたくなかった。しかし、閉鎖されようとしている孤児院を守るため、ヨルゲンに会わなければならない。仕方なく久し振りに母国を訪れることにした。ヨルゲンに会うと、支援してもらえるようヤコブは説得にかかる。ところがヨルゲンは孤児達に興味を示すそぶりすら見せず、むしろお酒を飲むことばかりが気になるようだった。こんな金持ちばかりの国には愛情なんてない、と怒りを覚えるヤコブに、追い打ちをかけるようにヨルゲンは言う。「明日、娘の結婚式なんだ。来てくれ」と。知りもしない人だというのに。支援金のため、またもや仕方なく、出席することにする。が、そこには彼の人生感そのものを覆す大きなヨルゲンの思惑が待っていたのだった。思わぬ人との出会い。ヤコブは次第に、愛情を注ぐべき本当の場所を見つけることになり、その結果、ものすごい現実を目の当たりにすることにある。愛情以上に切実なインドの問題。そして私たちは目を醒すのである。
そんな超感動作を観ながらも、お酒のことはしっかり気になっていた。なにせ、この作品はお酒がテーマではないのに、飲むシーンがとても多い。しかもワイン生産国でもないのに、白も赤もグビグビ。ウォッカとアクアビットらしきものも登場する。デンマークだからアクアビットは『オールボー』という銘柄を飲んでいるのかな、とか想像したり、白や赤ワインのラベルをチェックするのが困難だったり。用途は様々。耐えられない現実から逃避するためのお酒。祝福のためのお酒。和解のためのお酒。白夜を眺めながらヤコブが心穏やかに飲んだお酒は、赤。銘柄は分からない。私なら、ヴィンテージものを選ぶだろうけれど、まだ知らないアクアビットをまずは味わってみたい。(by Anne)

アフター・ウェディング
『アフター・ウェディング』。監督:スザンネ・ビア。主演:マッツ・ミケルセン、他。配給:シネカノン。公開:10月@シネカノン有楽町1丁目。

シュナップス
スウェーデン文化交流協会出版の『スウェーデンの伝統料理』より、拝借。スウェーデンのアクアビットは「シュナップス」というらしい。デンマークのアクアビットもこんな感じだろう。ヤコブとヨルゲンが食前酒に飲んでいたのはこんな色のこんなグラスに入ったもの。ジャガイモを原料とした蒸留酒。キャラウェイ、フェンネル、アニス、ブラックカラント、などで香り付けする。一度味わってみたい。ちなみに、この本はIKEA港北店で購入。

2007年8月13日 (月)

ゆっぴー!ブルーベリーだ!

軽井沢の庭にあるブルーベリーの木が、昨年、やんちゃ猿に飛び乗られて倒れてしまった。元気になるかな、と添え木をして一年。実が成っているのを、一昨日草刈り中に発見して、ゆっぴー!朝食のヨーグルトにトッピングするか、冷たい桃と一緒に突っつくか、色々迷って、結局今朝はグラノラと共に頂きました。(by Anne)

ブルーベリ−1

ブルーベリ−2
お庭に成ったから、完全無農薬有機栽培、かな?大きい実は甘く、小さい実はまだ酸っぱい。

2007年8月11日 (土)

2007.08.11

草ボウボウ。
機械にまかせて
saboriday。
(by Anne)

2007年8月10日 (金)

私のビョーキ

これはきっと遺伝かも。またもや母の話だが、彼女はいつも大慌てな人だから、洋服を買うとなっても大変になる。というか、一人で大変がっているのだが。「もう、私、大変なのよ。着る洋服がなくてこまってるの!あなた達、洋服買うのについてきてちょうだい。じゃないとまた変な買い方しちゃうから。」と私と妹を電話で駆出す。勿論私がパリに居る場合だが。私たちは、パンパンのクローゼットを思い出して、「着る服がない」と悲鳴をあげているのにはオオカミ少年扱いで「あ、そ?」と本気にしないが、「変な買い方しちゃう」とビクビクしているのには、そりゃ大変、とつき合うことにするのだ。変な買い方。これはちょっとしたビョーキだと本人も困った顔をしている。お店に入って、ちょっとでも気に入った物があると、アクセサリーだったら身につけてみるし、洋服だったら試着してみる。そこまでは良いのだが、そこで自分に似合ったら、必ず、色違いも買うのだ。二個も必要ないのに、常にセット買い。二個ないと、落ち着かないらしい。なんでも、二個。家に帰って、結局気に入らなかったとなると、二個捨てる結果となって勿体ない。滅多に気に入った物はないから。もし一枚を汚しちゃったら。一枚が洗濯中だったら。などなど、ちょっと度の過ぎる心配性から、セット買いをするのだろう。私たちが駆出される理由は、そこで「一枚にしときなよ」と理性の風を吹かせるためなのだ。この「二個買い癖」は母固有のものかと思ったら、ペドロ・アルモドバル監督もそうらしい。二個買い癖があるって噂だ。セットのオブジェなんかはツインズで置かれていることもあるし、構図も左右対称だったりするのを映画で観ると、なるほどと納得。アルモドバル監督と同じか、と思ったら「二個買い癖」は偉大なビョーキのように思えてきた。所詮人事だと笑っていたら、とうとう最近私も「二個買い癖」になってしまった。なんでも、二個。優柔不断な私にはウェルカムだが、お金の無駄遣いには変わりない。昨日も恵比寿のエスニック・ショップで、かわいーい真夏のワンピースを買った。かわいーい、んで、色違いを二枚。こんなに暑くちゃ、二枚必要ですからね。ああ、母もそうだ。大概、気に入った物が見つかると大慌てになって、私たちが何と言っても、「いいの!いいの!二個必要なんだから!」とプリプリしながらレジに向かうのだ。買い物につき合う意味はどこへやら。(by Anne)

二個買いワンピ
恵比寿のゼストの隣の隣ぐらいにあるお店で、二個買い。隣には大好きなイタリアン、『パルテノペ』がある。

2007年8月 9日 (木)

ウタマロの色気自慢

昨日、タンスの整理をしていたら、寝間着を入れている引き出しの奥から、ゲランの石鹸が出てきた。レースの下着やネグリジェの引き出しに匂い袋や上等の石鹸を入れておくと、肌に着けた時に良い香りがして気持ちがいいという母のマネで、私も入れておいてたようだ。ゲランの石鹸が出て来ると、私は懐かしさで胸がいっぱいになった。20年程前。私がまだ、15歳位の子供だった頃。パリのウチに頻繁に出入りしていたダニエルからプレゼントされたものだった。いつもシックな身なりで現れる長身の彼は、ウチに来る度、片手には葉巻、もう片手にはバラの花束で、非常にエレガントな立ち振る舞いで、私に挨拶のキスをしてくれていた。継父の友人、ダニエル・ポムルール。フランス現代美術を代表する彫刻家であり、ロメールやガレルの映画にも登場していた役者でもある。私が、最初に覚えたワインの銘柄がポムロールだったのも、彼の名前と似ていたからだし、40歳位年の離れた男性を素敵だと思ったのは、彼が最初で最後だ。当然、15歳という子供の私がフランス一と言われる香水ブランドの石鹸を手にする喜びは、ダニエルからの贈り物とあって何倍にも膨らんだ。20年もの間、何度引っ越しをしようとも、大切にタンスの奥に閉まっておいていたのも分かる。彼は私の事を「ウタマロ」と呼んだ。と、いうか、そう呼んでいたと思う。まだフランス語が大して出来ない頃だったし、彼が何を言っているのか、固有名詞でさえ分からなくて、想像で解釈していただけだったから。彼のバラの花束は、いつも母が受け取っていた。私は大人達がやり取りしている居間を、離れた所から眺め、ダニエルは友人の奥さんにあんな花束をプレゼントするなんて、と、女性を、女性としてリスペクトする紳士的な態度に、私は密かに心打たれていた。母は、「またダニエルが素敵な花束を持ってきてくれたわ」と、誇らしげに言っていた。数年後、ダニエルの体調が思わしくないという話を知った頃、ノルマンディーに行く車の中で母と彼の思い出話をした。アルコールが好きだったことや、素晴らしい作品が国境を股がって散在していること、彫刻に使ったイタリアの大理石の事、ダニエルのスープのレシピの事、そして、あのバラの花束の事。「ほら、ダニエルっていつも花束持ってきてくれてたじゃない」と、母が切り出した。「あー、あれね」。私は母がまた色気自慢を始めるのだろうと思い、急にぐったりした声で返事した。「彼って、いつも花束を私に差し出しながら『これ、ウタマロに』って言ってたのよ。私に、って言うのがテレくさくて、そう言ってるんだわ、おかしな人ね、ってずっと思ってたのよ。」母は運転しながら、急にケタケタ笑い出した。「だけどね、どうやら、本当は、本人が言ってるように、あなたに、だったみたいね。ほら、あなたが歌磨呂の描く女の人に似てるって言うんで、あなたのこと『ウタマロ』って呼んでいたじゃない?」ああ、やっぱり私は「ウタマロ」と呼ばれていたんだ。「40も年の離れた小娘に、立派なバラの花束を直接渡すのが、きっとテレくさかったのよ。私、ずっと、私にくれてるんだと思ってたわ。いやぁ、ねぇ。」また母はケタケタ笑い出した。そんな事を今更母から告げられても、テレくさいのはこっちの方だ。嬉しい気持ちをよそに、私は「ふーん」と気のない返事をして窓の外に視線をずらした。そんな事を昨日、ダニエルからの石鹸が出てきた時に思い出して、懐かしがっていた。が、ん?まてよ?そもそも私が歌磨呂が描く女性に似てるって事自体、おかしくないか?他に似ていると言われる絵画はあるのに、なんでまた歌磨呂なんだろう?「ウタマロ」って、一体誰の事だ?ひょっとして、母のことではあるまいな?母に花束を渡すのがテレくさくて、日本美人の代名詞を使ったのかもしれないぞ。もしくは日本女性を賛美してのことか?うーん、芸術家の考えることは、ムツカシイですから。ダニエルが亡くなった今、真実を知る由もない。(by Anne)

savon-D
20年ほど前にダニエルからプレゼントされたゲランの石鹸。気付けば、ジェラニウムと、書いてある。大好きなアロマだった。

2007年8月 7日 (火)

パワフルな癒し

今日、久々にネイルに行ったら、あっという間に8月ですね、と言われた。そうだ。そしてお盆の話をした。あっという間に夏も終わるのかと思うとちょっと寂しい気分になったが、まあ、秋は秋で色々楽しみがある、と今からワクワク。読書、食、などは定番だが、秋の台風も好きだ。と、言うより、台風一過のあの初秋の空。澄み切った空気と空の青が好き。心もすっきりする感じがするからだ。そんな台風一過のように、心をすっきりさせてくれる映画が、『ヘアスプレー』(10月中旬公開)。主演にジョン・トラボルタ、ミシェル・ファイファー、クリストファー・ウォーケンを揃えた、豪華ミュージカル・ムーヴィーだ。若干18歳の新人、ニッキー・ブロンスキーの歌声とダンスでオープニングを迎えた、その瞬間。心に停滞している分厚い積乱雲や雨雲、しぶとい濃霧、激しい落雷、はっきりしない曇、とにかく全部が、ものすごいパワーで台風のように、根こそぎ攫われる。そして心には、キラキラと太陽の暖かい光が差して来るのだ。なんて楽しい、なんて明るい映画だろう。要は、元気の良い小さなおデブちゃんのトレイシーは、歌とダンスが大好きで、スターになるのを夢みている。けれど、周りにそんな容姿じゃ無理だと貶される。でも、ポジティブ・マインドの彼女は人が何と言おうとおかまいなし。そうこうしているうちにトレイシーは、スターになる以上の幸せを掴む、といったサクセス・ストーリー。人は、人と違う自分を好きになる事で、人と違う人を受け入れる事で、自分自身が、よりいっそう、幸せになれるのだろうと思った。このニッキー・ブロンスキーがとても愛らしいのはもとより、一体どこに潜んでいるのかお楽しみのジョン・トラボルタも、ある意味、素晴らしく、カッコいい。こんなパワフルで元気になるアメリカン・ミュージカルには、勿論アメリカのメルローがオススメ。ミシェル・シュルンベルジェのなら、確かな味わい。(by Anne)

ヘアスプレー
映画『ヘアスプレー』。監督:アダム・シャンクマン。主演:ジョン・トラボルタ、ミシェル・ファイファー、クリストファー・ウォーケン、ニッキー・ブロンスキー。配給:ギャガ・コミュニケーションズ。公開:10月中旬、丸の内プラゼール他、全国松竹・東急系ロードショー。

ミシェル・シュルンベルジェ
Dry Creek Valleyの、ミシェル・シュルンベルジェ社のメルロー。2002年。アメリカ、ケープ・コッドで購入して、値段は忘れちゃった。でも、日本でもよく見かける。確か、ロートシルドの家族で、フランス系のなのでシュルンベルジェ、と私は発音しているけど、正しいのかは???

2007年8月 4日 (土)

2007.08.04

saboriday、ずーっと
波と一緒に
でんぐり返し
(by Anne)

蟹

2007年8月 2日 (木)

有難迷惑

そういえば、私は高齢者に弱い。よく、子供や犬を見ると、「わー、かわいい!」と立ち止まって長々とニコニコ観察し続ける人を見かけるし、私もよくやる。だけど、考えてみたら、町中で思わず振り返ってしまうのは、子供や犬もそうだが、ましてやイケメン以上に、着物姿の人が通り過ぎた時と、高齢者がたたずんでいる時なのだ。着物姿は、単純に着物のコーディネイトの参考までに、なのだが、高齢者は見るだけで胸がキュッとすることがある位、なんというか、感動するというか、リスペクトするというか、好きなのだと思う。昨日も駅前の道を歩いていると、前方からお年寄りが『ガラガラ』(買い物用のベビーカーの様なもの)を支えにこっちに歩いてくる。その小さな姿は、人通りの多さに瞬く間にペチャンコになりそうな感じだった。大丈夫かな、と見ていると、駐輪禁止ゾーンの秩序の無い駐輪自転車の脇を通る時、もう少しで『ガラガラ』が車輪に引っかかりそうだったので、私は思わずお年寄りに近づいて、言った。「attention!」。あ、やばっ!フランス語で言ってる。そう冷静に思っている一方で、「attention!attention!」と口は止まらない。うーん、これじゃ通じない、日本語で何て言うんだっけ?咄嗟に出てこない。「attention!」また言ってる。ジレンマに陥っていると、そのお年寄りは難なく車輪を避けて、私の警告を理解したのかはさておき、涼しげな様子で去って行った。ああ、「危ないですよ」とか言えば良いんだった。手助けをしようとしても、日本語が出てこないんじゃあ、役に立たない。役立たずで済めばまだマシで、ひどいことをしてしまった事があった。終点の渋谷駅で電車を降りようとすると、横に小さなお婆さんが居た。ホームと車両の間の隙間が幅広いせいで、降りるのを躊躇している様子だった。私は「もしよろしければ、どうぞ」と言って、しっかり捕まれるように腕を差し出した。彼女は、私を見上げて少し笑い、それから腕に掴まった。彼女の腕は本当に細くて、しっかり握っていてあげないと、するりと手を滑らしてしまいそうだったから、私は彼女の手首をギュッと握った。先にホームに渡り、彼女が渡る番になると、危なげだったので、もっとしっかり、ギュッと握った。ギューッと。彼女もホームに渡れたことを確認すると、手を放し「もう大丈夫ですね」と言った。彼女はうつむいたまま、ジーッと掴まれた手首を見ていた。私はそのまま改札口の方へ向かった。あれ?なんでうつむいたままだったのかな?ちょっと強く握りすぎたかな?相当痛かったのかなあ?労る気持ちが高じて、力を入れ過ぎてしまったようだ。可哀想に。彼女はまるで高齢者虐待の目に合ったような心地がしただろう。ごめんなさい。勿論、そのつもりはありませんでした。(by Anne)

駐輪禁止

2007年8月 1日 (水)

デトックス週間

なにせアメリカはジャンクフードが多い。恐らくマクロビオティック的な考えからしたら、目にする食べ物は全て、角の生えた悪魔に見えることだろう。私は厳格なマクロビストじゃないから、どこへ行っても郷に入っては郷に従えで、ありついたものや出されたものを頂こう思っている。だけど、行き先がアメリカとなると、出発前に少し考えた。玄米とお豆さんだけ持って行こうかしら?と近所のスーパーに行き、食品棚の前で10分ほど大豆とにらめっこして、やめた。まあ、いいや。結局、ケープ・コッドでの食事は、叔母達がベジタリアンだということもあって、お肉やお魚の付け合わせに、沢山の野菜とブラウン・ライスが食卓にならんだのでホッとした。(このブラウン・ライスは、日本の玄米とちょっと違って、大きくてプヨプヨしていて鳩麦みたいだったのよ。)だけど、家の外は違う。勿論、ニューヨークなどの都会ではちゃんとした美味しい食事ができるけど、コンビニやキオスクなどには、スィーツかジャンクフードがずらりと並んでるのだ。夜遅くニューアークの空港に着いた時の事。お腹が空いていたから、何か食べる物を、と辺りを見ると、スターバックスとピザ屋しかない。スターバックスにはマフィン、パウンドケーキ、クッキーが並び、サンドイッチの姿はなかった。ピザの方は、山盛りチーズの油がギッチラギッチラ輝いていたので、とても食べる気がしなかった。仕方なくパウンドケーキを買って食べた。スィーツが食べたかった訳じゃないけど、まあ、美味しい。でも、こんなふうにお腹が空いた時に、すぐにアクセスできる食べ物がスィーツとジャンクフードだったら、特にそれが食べたくなくても口にするだろう。それこそ、食生活に関して厳格な意識を持って居ない限りは。そうこうしているうちに、なんとなくいつもスィーツかジャンクフードを手にするようになり、そうこうしていると、いつの間にかブヨブヨになってるのかもなあ。アメリカは、びっくりする位、本物の、ファット・ピープルが多かった。私は帰国してすぐ、デトックス週間を行なった。なんとなく、体が玄米菜食を求めていたようだったから。(by Anne)

ジャンク1
コンビニにはびっしりとジャンクフード。

ジャンク2
ケープ・コッド行きのバスに乗るため、ボストンの空港近くで一泊。モーテルにつくやいなや、ジャンク・フードでお出迎え。

デトックス食
見た目は貧相で寂しいけど、帰国後こんなものが食べたくなった。小豆玄米御飯に胡麻塩(小豆は腎臓に溜まった、特に魚の毒を排出)、なめことお豆腐のみそ汁(動物性食品の毒消しに良いキノコは、特に鶏肉に作用するそう)、切り干し大根のサラダ(大好きな切り干し大根!体内に蓄積された古油を排出)、アラメと玉ねぎと高野豆腐の煮物(玉ねぎは血液を、アラメは婦人科系全般を、きれいにしてくれる)、それに楽しみでキムチをプラス。キムチの乳酸は腸に良いってきいたことがある。


« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »