キノコ狩り/2
(つづき)本当だ。セップだ。セップだ。母は、一番疑っていただけに、一番喜んで、一番沢山食べたようだった。その晩は、当時ベストセラーになった本の話で盛り上がった。キャトリーヌ・ミイェの『la vie sexuelle de Catherine Millet』という本。特に露骨な性的描写は賛否両論で、昔『チャタレイ婦人の恋人』でロレンスが巻き起こしたスキャンダルに相当するとも言われたし、そこまで高い水準の文学ではないとも言われた。母もどんな作品なのか、ひとつ読んでみようと思ったらしく、買ってあったその本を、その晩ベットで広げてみた。案の状、性的描写は露骨だったそうだが、ショックを受けるでもなく、ましてや興奮することもなく、どんどん読み進んだ。儘父が隣で鼾をかきはじめた深夜になっても、まだ読んでいたそうだが、それからしばらくして静かに眠りに入った。しかし明け方、目が覚めた。急に吐き気を催したからだ。母は起き上がって、洗面所に駆け込んだ。出すものを出し終わった母は、「私も年をとったわねぇ。あんな性的描写、昔だったらなんて事なかったのに」とつぶやいたそうだ。本の内容に気分が悪くなったと思ったそうなのだ。しかし、実はそういう事でもなかったらしい。朝になって、儘父にその話をすると、「それはキノコのせいだよ」と言う。彼も少々気分が悪くなったそうだが、大量のボルドーワインを飲んで、酔いという好都合な殺菌作用が働いたお陰で朝まで気持ちよく眠れたと笑った。後になって、ジャンが持って来てくれたキノコは正真正銘のセップだったが、やや痛んでいたものも含まれていたのかもしれない、という結論に達した。沢山ほおばった母が、菌にやられたという訳だ。
キノコを採集しながらそんなことを思い出していると、「やあ」と地元の業者さんがやってきた。倒れた木を片付けるために来てくれたのだが、グットタイミングだわ、とキノコてんこ盛りのボウルを差し出した。念のためチェックしてもらおう。倒れた木はそっちのけで、「これ、りこぼうですか?」と聞いてみた。すると、「こりゃー、違うな。アミタケだ」。ドキッとした。うろ覚えを頼りに食べてしまうところだった。あぶない。あぶない。けれど、「食えるよ」という次の一言に大喜び。ゆっぴー!りこぼうみたいな絶妙な味を、また!と期待してみた。しかし、業者さんは何の断りもなく、ポイポイとそのキノコをボウルから取り出し庭に捨てている。「こんなのは食えねえ。腐っちまってる。気持ち悪るくてしゃあねぇわな。」結局ボウルに残ったのは、ほんの少しだけ。業者さんが帰った後、念には念を、とキノコの図鑑を取り出してチェックしてみた。確かにアミタケっぽい。残ったキノコを見つめながら、またノルマンディーのキノコの事を思い出し、どうしても、台所に持って行く勇気が出なくなっていた。いくら食えると言われても、やはり私のうろ覚え&にわか仕込みの知識では自信を持って主人に腕はふるえない。りこぼうでないなら、リスクを追うまでもないかも。ふと、河豚の胆に通ずるものを感じた。(by Anne)
お庭で取れた、りこぼうと間違えたアミタケと、ミツバ。業者さんのチェックが入り、これっぽっちに。でもよく見ると、あまり顔色が良くない部分もあって、食べる勇気が出ない。