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2007年12月

2007年12月28日 (金)

官能的なパプリカ/その3

いくら典型的なフランス料理を作っても、作った人が日本人だと、フランス人は日本風の料理だと思い込むと言う話は、母の作った赤ピーマンの話で終わる予定だった。しかし、その後日談ができてしまったので、ここにメモします。
フランスのクリスマス・シーズンは、日本のお正月と同じように、1週間くらいの間、親や親戚や兄弟達と毎日のように食事会をする。今日は両親と、明日の昼は伯父叔母と、あさっての夜は義父母と、といった具合に。毎日、フォアグラやキャヴィアやターキーなどを食べなきゃいけないから、胃も肝臓もくたびれ果てて大晦日の夜を迎える。そして、さらに追い打ちをかけるように、ガブガブとお酒を飲みながら年越しをするので、ついたちの日はみんな泥のように過ごすというわけだ。なので、それに習って、私たちも24日の晩はウチで家族と共にディナーだったが、26日には妹のパートナーのご両親宅で、クリスマスディナーだった。妹のパートナーはフランスとカンボジアのハーフだから、お母さんはフランス人でお父さんはカンボジア人。お家に入ると、東南アジアの家具や装飾品が、フランススタイルの家の中に趣味よく飾ってあった。テーブルに着いて、またもや、お約束のフォアグラをいただき、モエ・シャンドンのプルミエ・クリュの細かい泡を楽しみ、レモンを絞ってスモーク・サーモンをいただき、シャブリ(なのにセレクトが良いせいか華やかな香り)を楽しみ…。うう、苦しい。すでにお腹いっぱい。メインに入る前に暖炉の前でお喋りしながらしばらく休憩していると、キッチンからお母さんのダニーがプレートを持って出て来た。「できたわよ。暖かいうちにどうぞ」。そう言って、プレートをテーブルの上に置いた。カンボジアの食器だ。中のお料理は綺麗なレモンクリーム色の何か。わあ、おいしそう。私は両手を合わせて、「素敵!これは、カンボジア料理ね!」と言った。妹を筆頭に、みんなに大笑いされてしまった。あーあ!私もやってしまった!カンボジア人のお宅でのお料理は、カンボジア風に違いないという先入観が、私の中にもあったのだ!母のピーマン料理を、ジャポネ?と言ったフランス人のグレッグを笑い者にしている場合じゃないのだ。ダニーのレモン色のお料理は、「子羊のレモンソース煮込み」。フランス料理だった。(by Anne)

レモンソース煮込み
ダニーの「子羊のレモンソース煮込み」。カンボジアの器に入っているから、うっかりカンボジア料理が入っているのかと。レシピを聞くと、卵の黄身4つとレモン汁4個分を混ぜて、子羊を煮込んだブイヨンで溶かし、煮詰めてソース状にする。上からセルフィーユを散らす。だそうだ。

コーヒー味のビュッシュ
またもやダニーはお手製のビュッシュ・ド・ノエルを作ってくれた。今回はコーヒー味。飾りのサンタさんは30年以上前から、毎年一度顔を出すのだという。もはやアンチークになりつつあるこのサンタさんの表情は、やや気味悪く、それがなぜかキュートなのだ。

2007年12月26日 (水)

寛大な奥さん

先週から主人の妹、要するに義妹がパリに来ている。英語と日本語のバイリンガルだからか、彼女は物事を色々な視点から見れるようで、たまにふと口にする一言に私は意表を突かれることがある。その心地の良い驚きは、義妹が来てから数日、幾度かその心地の良い驚きがあって、しばしば私は可笑しくなったり考えを改めさせられたりしているわけだ。昨日もそんなことがあった。24日のクリスマス・イブは、フランスでは大概家族で過ごすもだから、私たちも親の家で、妹のパートナーの両親を招きいて8人で祝った。牡蠣から始まり、フォアグラのイチジクソース、それにあの「官能的なパプリカ」、鴨の丸焼きに栗のスタッフィング、ポテトのピュレーに蕪のリソレ、デザートにはビュッシュ・ド・ノエルだった。シャンパーニュは奮発してベル・エポック1998、白はシャブリ・グランクリュのグルヌイユ(04)、赤はサン・ロマン(04)とシャトー・カントゥメルル(98)、などだった。翌日の昨日は、その残り物でシンプルにディナーをした。サクッと済ませるつもりだったが、結局色々な話をし始めたら、あっという間に11時半を回っていた。私の手の甲に、「11:30」と大きくマジックで書いてあるのを目にして、ヤバイ、と思った。東京に居る主人から、その日は絶対に7時半に起こしてくれと頼まれていたからだ。危うく忘れるところだった。時差が8時間だから、今モーニングコールをすれば、まだ間に合う。向こうは朝の7時40分頃だろう。私は主人に電話をかけた。「もしもし」。少し眠そうな声だ。本当に起きているのかそうでないのか分からない。「おはよう。7時半過ぎちゃった。時間よ。起きて」。そう声をかけた。主人は、「うん」だとか、「大丈夫」だとか言っている。朝が苦手な彼だけに、私は本当に起きれているかどうか心配になって、しつこい位何度も声をかけた。「起きて」。「起きて」。「起きて」。電話の向こうの声がはっきりしてきた。「起きて、起きて、起きて、起きてね、じゃあね、切るよ、起きてね、じゃあね、おやすみー」。私は電話を切った。義妹が横で大笑いしていた。「なんて寛大な奥さんなの?」と言って。
これだけの話で、本当はここでストップしたいところ。解説を付けると、ユーモアのセンスも何もなくなっちゃって、ダサくなる。だけど、義妹のリアクションはちょっとズレた感じで変わってるから、やっぱり説明しないと訳が分からないかもしれない。私は主人に起きるよう言っておきながら、おやすみと言ったこと。それはこちらはもう寝る時間だからなのだが、時差がある状況をイメージしないで、電話の言葉だけ聞くとちょっと変だ、と義妹は笑ったのだ。散々「起きて」と言っておきながら、「じゃあ、おやすみ」なんて矛盾していると。確かにそうだ。そこで「寛大な奥さん」だと彼女が言ったのは、恐らく、起こしたけど、寝たければ寝てても良いのよ、と言っているようだから、ということなのだろう。義妹のちょっと変わった視点は、またしても私を笑わせてくれたのだった。(by Anne)

ビュッシュ
ダニーのお手製ビュッシュ・ド・ノエル。マロン風味。
ベル・エポック
イヴに飲んだワインの空き瓶たち。

2007年12月21日 (金)

官能的なパプリカ/その2

(つづき)。一昨日も、その自慢の「私のピーマン」が大きなお皿に盛られて、テーブルの上に置いてあった。お客様は3人。それに母と儘父と妹と私のディナーだ。みんなが着席して、数種類の前菜を食べ始めた時。写真家のグレッグが、真っ赤に輝くピーマンを指差して、控えめな声で「これは何?日本料理?」と聞いた。その途端、妹と私は顔を見合わせて、ゲラゲラ大笑い。グレッグはおかしな質問をしてしまったのかと、一瞬気の毒にもバツ悪そうな様子を見せたが、あまりに私たちが笑っているので、むしろ好奇心の方を駆られ、「何?何?」と訳を知ろうと積極的だった。「あのね、アハハ、母ってね、こんな事がしょっちゅうあるのよ、アハハ」。大きな声で、妹が説明すると、「母」という言葉に反応したらしく、別のお客様と話していた母がクルッと顔をこっちに向けて、母親を馬鹿にするんじゃないと言わんばかりに「何?何?何よ。何なのよ」と意気込んだ。その反応にも、妹と私はまた大笑いした。母は呆れて、「もうね、ウチの娘達は私をからかうことが、唯一の楽しみなのよ」とお客様に説明し、「だから、『良かったわね、こんな面白いお母さんで』って言ってるの」と加えた。どうやらグレッグに、母を揶揄した話をしてたと思ったらしい。まあ、そう思ったとしてもおかしくない位、母の言う通り、頻繁にからかっているのだが。しかし、この時ばかりはそうではなかったから、またゲラゲラ笑った。私が、「いや、そうじゃなくて、グレッグがこの赤いピーマン見て、これは日本料理かと聞くからさあー」と説明すると、「ああ!」とすんなり納得して、彼女も笑った。これには、訳がある。母と妹と私がどうしても理解できない、「フランス人の七不思議」というものがあり、そのうちの1話がこれだ。母には、数々の得意なフランス家庭料理がある。例えば、コトゥレット・ドゥ・ヴォー(子牛のクリーム煮)やラタトゥイユ(夏野菜の煮込み)やロティ・ドゥ・ポール(豚のロースト)などなど、典型的なフランス家庭料理。それをお客様の時に出すと、フランス人はみんなこう言うのだ。「美味しそうな日本料理だね」だとか、「日本にもこんな料理があるんだね」だとか、ヒドい時は食べた後に「和風のラタトゥイユだね」だとか。お醤油を入れているわけでも、牛蒡を入れているわけでも、豆乳を入れているわけでもないのに、だ。フランス家庭料理のバイブルである『タント・メリー』のレシピと同じと言って良いくらい、伝統的な作り方をしているにもかかわらず、どうしてもフランス人にとっては、作った人が日本人だと、料理の見た目も味わいも、ジャポネになってしまうようなのだ。だから母の作ったイタリア風ピーマンの前菜も、日本料理に見えたグレッグを、またここにもあの不思議な発言をするフランス人がいた、と妹と私は笑ったのだった。今回ばかりは、母を揶揄したわけではなく。(by Anne)
Roses
お客様するのに、殺風景では、と買ったバラ。

2007年12月19日 (水)

官能的なパプリカ/その1

先日からパリに来ている。一昨日、実家にまたお客様をした。お客様といえば、あの料理を必ず母は作る。イタリア料理の、パプリカとも呼ばれる肉厚の赤や黄色のピーマンの前菜。オーブンで黒焼きにして、皮をむいて、冷やしてバルサミコ酢とオリーブオイルで頂くやつだ。今は誰もが知っているイタ飯メニューだが、20年前に私が初めてこれを食べた時は心が踊るような感動を覚えた記憶がある。それは、フランスの彫刻家のダニエル・ポムルールの家に招かれた時のこと。大酒飲みで有名な彼が腕の良いコックにもなれることは意外と知られていなかった。彼のアパルトマンに入ると、母が耳打ちした。「ダニエルは料理が上手いから、きっと美味しいわよ」と。さすが。食いしん坊の母だけあって、知る人ぞ知る彼の素顔を知っていたのだ。ダニエルは、私達を迎えると台所へ引っ込んだ。私と母も、何か手伝いが出来ないかと後についた。すると彼は赤と黄色のピーマンと戦っていた。黒く焦げた部分をこうして剥くんだよ、とお手本を見せてくれた。私は手伝うつもりで少し剥いてみたが、コツが分からなかったので、見学側にまわることにした。ダニエルの皮の剥き方は徹底していた。ほんの少しでも茶色い所と、焦げの苦みが残るからと取り除いていった。剥き終わって冷蔵庫で少し冷やした後、ピーマンを縦に細く切り、丁度イカそうめんのようなトロンとした感じになると、白いお皿の上に丁寧に赤と黄色のシマシマに並べ、塩胡椒をふり、バルサミコ酢少々とオリーブオイルを垂らし、そして最後にコリアンダーの実を潰したものをパラパラとかけた。あまりの美味しさに、以後、ウチでは頻繁につくるようになり、お客様の時はお約束の一品となったのだ。そのピーマンの料理が、海老坂武さんが書いた『祖国より一人の友を』(岩波書店)に登場していた。海老坂さんが、初めて自分の家を購入して引っ越しパーティーをした時のことだ。沢山の友人達を招き、彼のお得意料理を披露したそうだが、その中にそのピーマン料理もあったという。それもそのはず。母の親しい友人でもある彼は、何百回とウチにいらしてくれた方だから、嫌というほどピーマン料理を食べさせられたに違いない。母が誇らしげにレシピを教えている姿が目に浮かんだ。その海老坂さんの引っ越しパーティーには、朝吹登水子さんもいらしたそうだ。後日、彼女からお礼状が彼のところに届いた。そこには、「赤ピーマンは生まれて初めてで官能的ともいえるなめらかな味でした」とあったそうだ。官能的。オイルにコーティングされ、キラキラと輝く赤ピーマンの、生肉のようにドロッとした感じを、「官能的」という形容詞で一括りにしてしまえた朝吹さんの言葉のセンスに私は呻き、母はこの件を読んで、「私のピーマンもますます官能的です」と海老坂さんに本の感想と共に手紙を書いたそうだ。私のピーマン、か。もはや、このレシピはダニエル・ポムルールから教わったことは忘却の彼方なのかもしれない。つづく。(by Anne)

祖国より〜
『祖国より一人の友を』。著:海老坂 武、出版社:岩波書店。3000円+税。


2007年12月17日 (月)

私は作家なんだから!/その2

(つづき)。と言うのも、作家とはどういうものかイメージがあるからだ。儘父を思い出せば良い。こちらは、身内をこう言うのもなんだが、正真正銘のちゃんとした作家。日々、特別な用事が無い限り、本を読んでいるか書いているか。最近はオブジェも作り始めたが、いずれにしても常に意識は創造の中にあるから、靴下が左右チグハグだったり、手帳をレストランに置き忘れたり、人のライターを自分のポケットに入れてしまうことは多々ある。その程度ならまだ笑って済ませるが、家のドアに鍵を差しっぱなしにしたことも数回あったものだから、怒った事もある。もっと困るのは、母が日本に仕事で行っている時だ。不思議なことに必ずと言っていい程、車にまつわるトラブルが発生するのだ。大概母が日本に行っていると、儘父は寂しくなるらしく、毎晩のように長いファックスを送って来ていた。作家だから、長い手紙を書くのは何て事無い作業とはいえ、ラブラブの彼らを冷めた目で見ていた私は、「まったく、よくやるよ」と呆れていた位だ。しかしある時、母が日本に滞在しているというのに、途中でピタリと彼からのファックスが来なくなった。変ね、と母は思ったそうだが、毎晩その長い手紙に長い返事を書かなきゃいけないのは作家でない彼女にとって、やはり労力を費やすことになる。いくら愛しているとはいえ、半ば義務になりつつあるのを思い出して、そのまま放っておくことにした。翌日も彼からファックスは来なかった。その翌日も来なかった。とうとう母が東京を出発する日まで、彼からのファックスは来なかった。もしや倒れたのではあるまいな。母はようやく帰りの飛行機の中で心配し始めた。パリの家に着いて、ドアを開けた。いつもなら首を長くして待っている儘父は、鍵を開ける音が聞こえた瞬間にすでにドアの前まで迎えに来る。しかしドアを開けても誰もいない。シーンとしている。母は本格的に心配し始めた。大きな声で彼の名前を呼んだ。何度も呼びながら居間に入った。すると居間の奥の椅子に儘父が、弱々しく腰掛けていた。「どうしたの?」と聞くと、蚊の鳴くような声で「ごめんね」と言う。何事かと思い、恐る恐る尋ねると、母の車を使って出かけて戻ってきたものの、一体どこに車を停めたのかがどうしても思い出せないと言うのだ。パリは大概路上駐車なので、毎回停める場所が変わるとはいえ、どうしても思い出せないなんてことは普通ありえない。しかし彼はいくら考えても思い出せなかった。もうあの車を見つけることはできない、大変なことをしてしまった、と彼は項垂れていたのだった。恐らく、物語か思想に思考回路が向いてしまって、無意識に車を停めてしまったのだろう。私の中で作家とは、日常的なことにボーッとしているものなのだ、というイメージが、彼を見ていて出来てしまったわけだ。
だから、「私は作家なんだから!」と主人に言った。だから、ボーッとしていて当然なのよ、だから、軽井沢の業者さんにいつ来るか時間を聞くのを忘れても良いのよ、と。私の中ではとても筋の通ったカッコいい言い訳になって、誇らしかった。しかし、普通はこれを、逆切れと呼ぶだろう。(by Anne )

書斎
作家の書斎。ノルマンディーにて。
ところでその車は、結局見つかった。どうしても思い出せないという儘父の代わりに母が見つけることにした。彼が家に帰ってくるときの思考回路と行動を分析して、きっとここは右に、きっとここは左に曲がったに違いない、と辿っていったそうだ。すると案の定、車はあった。夫婦とは凄い。


2007年12月15日 (土)

2007.12.15

saboridayの落ち葉拾い。
三枚だけ。
だって地面にそのままの方が綺麗だから。
(by Anne)

落ち葉

2007年12月13日 (木)

私は作家なんだから!/その1

先日、たまに私のブログを覗いて下さる方にお会いしたら、「だいたい食べ物の事と、飲み物の事と、あと怒ってる話、だよね」と、おっしゃった。ええ、ええ、と頷いたものの、そんなに怒ってる話が多いかしら、と気になり出した。そもそも私の趣味である映画鑑賞と愛飲するワインの話をたくさんしようと始めたブログだったのだが、怒ってる話が多いとなると、最初の趣旨から随分とズレちゃうことになる。でも、ズレてしまうことは大したことではない。心配になったのは、私の人間性だ。やっぱり私は怒ってばかりいる感じの悪い人間なのかもしれないと。でも、そこで落ち込まないための、図々しい言い訳を思いついた。映画『ゆれる』の、あの鋭い洞察力とチャミーングな容姿を兼ね備えた西川美和監督がこんな事を言っていた。「私は、喜怒哀楽の中で、圧倒的に『怒』の割合が大きいですね」と。それを聞いた時、別に彼女の人間性を疑ったりはしなかったし、むしろその怒りのパワーがあんな素晴らしいシナリオを生んだんだ、クリエーションにはアングリーであることが大切だ、と思ったのだ。そうそう、だから私も怒ってたっていいのだー!だって、彼女と同じく、私は作家なんだから!
なんて大声で言ってみたいものだが、本当は、私は作家ではなく、作家の卵の卵の卵の…卵なのだ。「私は作家なんだから!」とここに書いただけでも、恥ずかしくてドキドキしてきた。みなさん、聞き(読み)流してください。しかし、一回だけ、大声でそう言ったことがある。今年の秋の台風で、軽井沢の庭に倒れた木々を業者さんに片付けてもらうことになった時のこと。電話で軽井沢の業者さんに連絡して、約束をした。「今週末はどうかね?こっち来れる?」と業者さんがたずねた。「ええ、今週末軽井沢行きます」と返事をした。「じゃ、日曜日、おたくに行くよ」と業者さんが、こっちの都合も聞かずに言った。けれど私は然程気にせず、「じゃあ、日曜日、お待ちしてます」と言って電話を切った。夜になってウチの主人が帰宅すると、「軽井沢、どうなった?」と聞いてきた。「業者さんに連絡したわよ。日曜日に来るって」。そう伝えると主人は「日曜日の何時頃?」と質問した。当然の質問だが、私は「さあ?聞いてない」と答えた。主人は呆れた。「なんで聞かないの?だめだよ、折角来てもらっても買い物とかで留守にしてるかもしれないしさ」。それはそうだ。だけど、業者さんは何時に行けばいいか、とか、何時だったら行けるとか、聞いてこない。田舎は時間単位で行動しない暗黙のルールがあるのかもしれない。そこへよそ者の私が、東京の分単位で動く常識でもって、「11時半にいらしてください」なんて言いづらいくらいマイペースな業者さん相手のやり取りなのだ。だから聞かなかったのよ、と主人に言いたかったが、彼を説得できるような筋の通った言い訳には到底ならなそうだったので、もう残るはこの言い訳しかないと、私は大声で言った。「だって私は作家なんだから!」彼を説得できたかどうかは分からないが、黙らすことには成功した。この発言は、信じられないかもしれないがとても筋が通っているのだ。その訳は…。つづく。(by Anne)

メモ帳と万年筆
モレスキーヌのメモ帳、パーカーの万年筆、ペリカンのペンケース。これは私の「作家グッズ」で、持ち歩いている。


2007年12月10日 (月)

サン・ジャックへの道

ヘア&メイク中っていうのは、私にとって結構貴重な情報収集の場だ。けれど、真剣な話はしない。むしろ他愛ない話をする。ヘアとメイクを真剣にやってる最中に真面目な話で気を散らせる訳にはいかないからだ。それに初対面の場合も多いし、真剣な話をしちゃって意見が対立したら、場の雰囲気がオジャンになっちゃう。だから、他愛ない話をヘア&メイク中にするんだ。と、私は勝手に解釈している。慣れない頃は、他愛ない話をするのが苦手だった。アホ真面目の石頭だったから、きちんと意見を纏めてから発言しないと相手に失礼だわ、とキュッと口を結んでいた。さぞヘンクツな子に見えただろう。けれど、次第に慣れてくると、「そうかも!」と自分の中ではっきり意見が纏まってなくても相槌できるようになったし、他愛ない話もできるようになったと、自負している。そうこうしていると、真面目な話の中にしか良い情報は無いと思っていたのは、とんだ間違いだったことに気付いた。このヘア&メイク中の、柔らかい会話の中には美味しい美味しい情報がぎっしり詰まっているのだった。いつだったか、しばらく振りに会ったあるヘア&メイクさんが、アイシャドウの色を選びながら「まだ車、ランチア乗ってるの?」と聞いてきたので、驚いた。前回メイク中に話した事をよく覚えてくれているなあ、と。しばらくして、「最近、どんな映画観た?」と聞いてきた。私が映画が好きだということも覚えてくれている。嬉しかった。それから、自分が観た映画の話をした。勿論メイク中なので、事細かに真剣にはなしてくれたわけじゃないし、第一タイトルも怪しかった。「なんだったっけなー。この間、観たよ。変なフランス映画。なんか変なんだよ。面白いんだけどさ。『サン、なんとか、の道』とか言ったっけな。キリスト教のさ、聖地をみんなで歩いてって、スペインまで行っちゃうっていうやつ」という口調で。私は「ヘー、面白そう」と言った。何が面白いのかはあまり分からなかったけど、面白いというから面白そうだと思ったのだ。それに、メインストリームな映画が好みそうなイメージの人だけに、巡礼ものの映画なんて地味そうな映画を評価するところをみると、よっぽど面白くなかったらそうは言わないだろうと思った。それからしばらくして渋谷の映画館で『サン・ジャックへの道』と書いてあるチラシを見かけた。ああ、この事だ、と思ったがなんとなく観る気がしなかった。けっこう日が経ってからTSUTAYAに行ってみると、DVDがレンタルであった。レンタルなら観る気になった。それから、108分間、私はゲラゲラ笑い、ちょっと泣いて、終わるころにはもの凄くご機嫌だった。「さっきサイコーに良い映画を観たのよ」と深夜に帰って来た主人に言って、「ちょっと観てみない?」とまたDVDを回した。続けて二回みてもまったく飽きなかった。もし観逃していたら、私はうっかりとんでもない楽しみを逃すところだった。ヘア&メイク中の他愛ない話。でもとっておきの情報が得られるものだなあ。(by Anne)

2007年12月 5日 (水)

タロットカード殺人事件

日曜日に銀ブラしていて、じゃ、ま、映画でも観ますかってことで近くの映画館の前まで行った。シャンテシネの前で、『タロットカード殺人事件』(ウディ・アレン監督)のポスターを見上げた。自称似非占い師の私はちょっと観てみたい気になった。横にいる主人を説得するべく、タロットという言葉には触れないで、「ウディ・アレンだから観て損はしないはずよ」と誇張して、しかも偉そうに、言った。私が学生だった頃は、真面目な映画ばかりが好きだったから、コメディーとかあり得ないと思っていて、周りがウディ・アレンの饒舌なユーモアを崇拝しているのを、「趣味が合わないわ」と横目で見ていたくせに、「見て損はしないはず」なんて言っちゃって!と、心の中で過去の私が現在の私にアカンベしたが、無視して入場券を買った。ロンドンを舞台にしたコミカルなミステリーで、アガサ・クリスティーへのオマージュがうかがえる作品。ユダヤ系アメリカ人のマジシャン(アレン)が、スカーレット・ヨハンセン扮するジャーナリスト志望の大学生をショーの最中に舞台に上げる。マジックボックスに入ってもらうためだ。彼女は、自分の体はどうなってしまうのかとドキドキしながら入ると、思わぬ出来事が起こる。有名ジャーナリストの亡霊が出て来て、殺人事件の特報をもらうのだ。そこで、マジシャンと彼女は協力して、その真相を明かすべく奔走する話。でも実は、ミステリーや明らかにされていく真相は、まるで昼ドラレベルだから、どうでも良い。むしろ面白いのは言葉。ウディ・アレンの独り言やスカーレット・ヨハンセンとの会話、イキリスのスノッブな貴族社会をおトボケキャラで皮肉っているところ、などなど。やっぱり学生の頃、周りの意見が正しかった!何よりも気に入ったのが、この言葉。彼が、秘密の部屋に忍び込もうとした際に、暗証番号を忘れてしまって、必死で思い出そうとする。あーでもない、こーでもない、と何度も数字を打ち直し、最終的に扉が開いた瞬間、「ユリイカ!」と叫んだ。分かったぞ、やった〜!と喜ぶ時、皆さんは何ていいますか?私はよく「ゆっぴー!」と言います。「イエス!」と言う人もいれば、「イエーイ!」と言う人もいるし、色々だけど、「ユリイカ!」とは!この言葉、私もいつか使わせてもらおう。壮大な発見をした暁に、是非。(by Anne)


ユリイカ
青土社出版の総合芸術雑誌『ユリイカ』。雑誌というより書籍のようなものだ。そのつど、テーマが違って、面白いけど、内容はとても濃くてちょっと難しいから、この号も随分前から持ってるけど、未だに全部読み切れていない。そもそもユリイカという言葉は、発見という意味のあるギリシャ語で、「分かったぞ」とか、「見つけたぞ」とかに近いニュアンスらしい。そもそもは、アルキメデスが、王冠が純金であるかを測るための方法を見つけたときに、思わず出した叫び声。ウディ・アレンの『タロットカード殺人事件』はシャンテシネ、Bunkamuraル・シネマ他にて公開中。

2007年12月 1日 (土)

2007.12.01

分量を考えずにカレー粉を入れた。
ヒー!!!
辛くて食べれない、
saboridayのダルカレー。
(by Anne)
辛いダルカレー


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