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2008年1月

2008年1月30日 (水)

消化しきれない禁煙法

未だに私の中では消化しきれてない、フランスの禁煙法。しかし消化しきれていないのは私だけでは無かったようだ。朝のニュースをテレビで観ていたら、こんなことが報じられていた。ディスコテック(現代日本語のクラブね)では、禁煙になってから困ったことが起きていると。外から中に入ると、強烈な体臭が鼻をつくらしい。要するに、今まではタバコの匂いが踊りまくる客の体臭をカムフラージュしていたのだった。一旦中に入って慣れてしまうまでは、かなり気になるようで、そのせいで客足が遠のいている、とのこと。ディスコテックのオーナーは、今後、匂い消しのシステムを導入すると公表していた。へエー、面白い、と思った私は早速妹にその話をした。すると妹は、「その話は知らなかったけど、この間ディスコテックに行った友達が話してたんだけど…」と始める。その友達いわく、ディスコテックにはもう行かないと宣言していたらしい。それは、匂いが気になったわけではなかった。タバコの煙がないのが気になったのだそうだ。つまり、タバコの煙で視界がぼんやりしていない、ディスコの奥の奥まで全部見渡せる。そうなると、今まであまり気にしていなかった、悪趣味な内装がはっきりと見えるのも気分悪いが、人の顔もありありと見えるともっと問題だ。今までは、色々なものがはっきりと見えないことで、羞恥心も忘れて開放的になれたのに、こうもクリアーに色々見えては、踊る気も失せたそうだ。妹曰く、「彼女みたいに思う客が多いから、今後はディスコのオーナーが、スモークを常に焚くことにしたんだって」。妹は教えてくれた。ヘエー、面白い。私はまたもやそう思って、本当に禁煙法が良いものだったのか、と疑い始めて、「ねえ、レストランとかバーも、客足が遠のいて困っているでしょう?」と聞いてみた。するとこうだ。「ううん。全然。その逆でね、今まではレストランの閉店まで、8時代に一回、10時代に一回って、2回展開だったのが、今では、みんなパッパッと食べて、夕食を済ませて、話は外でタバコを吸いながらするから、3回回せるんだって」と言う。要するに8時に一回。9時半に一回。11時に一回と。バーでも、みんな一気飲みの如く、キュッキュッとビールやワインを飲み干して、十分飲んだら、サッサと出て行くから展開が良いらしい。おまけに、話す時間が限られることによって、無駄話もなく、話の内容が凝縮されて「前より有意義だよ」と妹は言う。ヘエー、面白い。なんとなく、私も禁煙法を消化し始めた。(by Anne)

メニュー
帰りのエールフランスで配られた食事のメニュー。葉書のデザインになっていて、ちょっとかわいい。

2008年1月25日 (金)

ラスト・コーション

「トニー・レオンは、寝室らしき場所で佇んでいる。奥から女性が現れて、どうしたの?と聞く。トニー・レオンは、麻雀の続きをしていなさい、と彼女に言う。」
この、『ラスト・コーション/色・戒』を観に行った話に書いた、最後のシーンは、結局もの凄く意味のある、感動的なシーンだった。作品の内容を説明します。舞台は第二次大戦中の上海。日本占領下で、抗日活動をする女性スパイのワンは、暗殺目的のため、その官能的で美しい容姿でトニー・レオン扮する政府要人イーに近づく。イーは次第にワンに惹かれてゆき、危険な逢瀬を重ねるごとに2人は激しく求めあうようになる。その愛のゆくえは…。といったように、『ブロークバック・マウンテン』に続くアン・リー監督による禁断の愛の物語。死と隣り合わせの緊張感の中で、2人の感情は激しく揺れ、衝突し合う。その姿を描いた、大胆且つ崇高なラブシーンには拍手を送りたいくらい本当に素晴らしい。ワンを演じるのは、新人のタン・ウェイ。この女性スパイを見事に演じきって一気にトップスターの座に着いたようだ。彼女の身のこなし方は、流れるようにエレガントだけど、どこか張りつめている。その歩き方、振り向き方、立ち止まり方…に、私は終始釘付けだった。2月2日よりシャンテ・シネ、Bunkamuraル・シネマ、他にて公開!ちなみに2007年ヴェネチア映画際で金獅子賞(グランプリ)の受賞作品です。(by Anne)

2008年1月23日 (水)

映画の外で、シュールな事件

今朝のニュースで、アン・リー監督の『ブロークバック・マウンテン』の主演男優、ヒース・レジャーが亡くなったと聞いて驚いた。まだ28歳。この作品で素晴らしい演技を見せ、アカデミー男優賞に輝いた多望な俳優だったのに。本当に残念だ。昨日、無償に同監督の新作『ラスト・コーション』が観たくなって、レ・アールの映画館に飛び込んだ矢先のニュースだったから、なんだか不思議な気持ちでもいる。とにかく、猛烈に観たくなって、2月2日にシャンテ・シネやBunkamuraル・シネマ他で公開されるのを待ちきれず、パリで観てしまえー!と。上映時間と私の時計を照らし合わせたら、たった今、始まったところだったから、走って館内に入った。ところが本来ならまだ予告編を流しているころなのに、もう真っ暗で、スクリーンは大きくトニー・レオンのアップ。私の時計が少し遅れていたんだ、と少しがっかりした。
トニー・レオンは、寝室らしき場所で佇んでいる。奥から女性が現れて、どうしたの?と聞く。トニー・レオンは、麻雀の続きをしていなさい、と彼女に言う。
私は全くストーリーが読めなくて、もっと早くに来ればよかったと時計を恨んだのも束の間、まあ、観ているうちに分かるでしょ、と足を組み替えて気長に待つ事にした。すると、エンディング・ロールが流れ出した。狐につままれた気分だった。なんだなんだ。監視の人が居なかったからだろう。一つ前の回にうっかり入ってしまったのだった。照明がついて、辺りが明るくなると、観客は立ち上がり出口へ向かっていった。しかし私の目の前に座っていた男性は、立ち上がったものの、去ろうとせず、自分のポケットをたたいたり、椅子の下を覗いたり、手提げ袋の中を覗いたりしている。どうやら何かを探しているようだ。「何かお探しですか?」と私は訊ねた。もの凄く困り果てた様子で、「携帯をなくしてしまってね」と言う。私も一緒になって辺りに落ちてないか探してみた。「差し支えなければ、そちらに電話してみましょうか?」。赤の他人に電話番号を尋ねては、ナンパだと思われまいか。などと、全く余計な心配が頭を過ったので、完全に快く提案したわけではなかったが、言ってすぐその後、私はバカな事を言った、と恥ずかしくなった。彼は「そうですね、最悪、そうしてもらおうかな」と返事をしたものの、ひと呼吸してから、彼もまたバカなことを言った、と気付いたようだった。「っていうか、それダメなんですよ。映画館でしょ。映画観る前に電源切ってますからね」。そりゃそうだ。電源は当然切ってあるのだった。電話したって鳴りっこない。だから手探りで探すしかない。「そもそも、この席に座って、ここで、映画が始まる前に切ったんだ。それは鮮明に覚えているんだ。映画を見終わるまで一度も席を立たなかったのに。本当に変だな」。そう言いながら、焦った様子でありとあらゆる場所を探し、挙げ句の果てには自分の手提げ袋をひっくりかえして中身を全部広げた。ファイルが一冊。アドレス帳が一冊。手袋。ティッシュ。ボールペン。それに地下鉄のチケットが数枚。極、普通の中身だ。しかしその中に突出して奇妙な物体があった。大きな虫眼鏡の懐中電灯だ。何か特別な仕事をする技術者しか持っていなさそうなもの。どこで買えるのか想像もつかないものだ。彼はその大きな虫眼鏡の懐中電灯を握り、シートとシートの間、シートの下、通路の脇、を最前列からチェックし始めた。まるでシャーロック・ホームズごっこをしている坊やのように。まるで、『ごっこ』をするためにこの不思議な懐中電灯を持って来たのかもしれない、とまで思われた。しばらくするとこちらに戻り、こう言った。「僕には全く分からない。なぜ携帯がないのか。あまりにシュールすぎる」。なんだか私まで混乱してきて、そうですね、としか返事のしようがなかった。彼は、諦めたのか、シャーロック・ホームズを一幕演じて満足したのか、「ともあれ、素敵な映画ですよ、楽しんでください」と私に言い残して去っていった。『ラスト・コーション』は彼が言う通り、素晴らしく素敵な映画だった。見終わった後、私は物語の余韻でボーッとして、そのまま自然とFnacへ向かい、サントラを自動的に買っていた程だ。あの彼も、もしかしたら映画の世界に頭が行って、ボーッとしていたのかもしれない。ボーッとして、本当は携帯を持っていなかったのに、以前に館内で電源を切った記憶と錯誤してしまったのかもしれないのだった。私の憶測はどうでも良いが、作品はボーッとしてしまうくらい素晴らしかったのだ。(by Anne)
ラスト・コーション
パリの『ぴあ』、『ロフィシエル』。0、35ユーロと、安い!左は買ったサントラCD。日本での公開ポスターとは違うかな?日本に戻ったら、もう一度観るつもり。

2008年1月21日 (月)

OB会のマザー・テレサ

またもや昨日からパリの実家に来ている。来れば、当然母の近況を聞くことになる。今回の最新トピックスは、母校である大学のOB会の話だった。わりと国際的な大学だったせいか、ヨーロッパ在住の卒業生も多く、パリでOB会を開催しても大勢集まって楽しいのだそうだ。そこで会ったある旧友が母に、自分に孫ができて大変嬉しいと近況を伝え、その孫の話をしたそうだ。聞けば、ちょっと不思議な子のようだった。2歳半になるその孫は、毎日毎日、飽きる事も無く祖母の手をひっぱり、「教会に行こう」、「教会に行こう」とねだるそうだ。公園やオモチャ屋さんではなく、教会に。天井が高く、ひんやりとひっそりとして秘密めいていて、薄暗い中に差し込むステンドグラスの細い光がキラッと輝き、遠くには金銀の十字架が並び、かすかに透き通るようなソプラノの賛美歌が聞こえてきて、人々は両手をクロスし、跪いて、頭を擡げている、場所。そんな日常から切り離された空間だから、確かに惹かれるのもわかる。それに確かに綺麗だし。けれど、毎日行きたがるなんて、すごい。ものすごく教会という場所に憧れを抱いているようだ。ふーん。「そのうち修道女になったりしてね、マザー・テレサ、とか」と母はその祖母になった旧友に言ったそうだ。そうね、なんて聞き流しながら、頭の中では「マザー・テレサはこのワタシ」と思っていた。と、言うのも、偶然私は私で、小学校の学年同窓会が18日の金曜日に行なわれて、顔を出して来たばかり。旧友達と話をしていたら、お決まりだけど、当時誰が好きだったか、という話題になり、「俺はMさん」だとか、「僕はあの小さかったコ」だとか、「私はあなたが好きだったわよ」だとかって好き好きに告白し始めた。そういえば私は、けっこう色んな男の子を好きになったなあ、などと思い出し、思い出せば思い出す程いろんな男の子の顔が浮かんできた。しかし、あれ?気付けば、この話題の最中、メンズは誰一人として、実は私のことが好きだった、と言う人はいなかった。そうだ、そうだ、小学校の間、一度たりとも告白されたことはないし、そんな嬉しい噂が耳をかすめたこともない。それにもへこたれず、ませガキだった私は次から次へと「I love you」を告げ、愛を多くへ捧げていたのだった。そうだ、そうだ、報いを求めず、愛を捧げ続けたワタシこそ、マザー・テレサだわよ、と。(by Anne)

またパリへ

マザー・テレサはこのワタシ、なんて恐れ多くも書いたから、バチが当たるかな?小心者の私はなんだかドキドキしてきた。モ、モ、モ、モ、モチロン、冗談です!

2008年1月18日 (金)

フランス革命/その3

(つづき)。案の定、皆はそろって外でタバコを吸っていた。レストランのエントランス前には、大きな灰皿が用意してあった。こんな光景はアメリカでしか見た事がなかっただけに、コカコーラとシーンズに始まって以来、また一つアメリカンスタイルに染められようとしているフランスを、残念に思った。しかし、そう思ったのも束の間。レストランの前では相も変わらぬ討論が繰り広げられていたし、小さな広場を挟んだ向かいの人気のバーからは人が大勢外に出ていて、ビールやワインを片手に、タバコをもう片手に、長々話をしている。斜め向かいの小さなカリブ料理店のドアが開き、中から3人の若者が出て来て、私達に手を振って、「オーイ、一緒に吸わないか?」と誘ってきたりもした。この広場に面したどこのレストランもバーも、室内はきっとガランとしているに違いない。1月1日を境に外がものすごく賑やかになって、新しいコミュニケーションの場となったのだった。
レンストランで食事を済ませた後、私たちは広いテラス席のあるバーへ行った。とりわけ気に入っているバーではない。しかし、アメリカのようにテラス席なら喫煙可能なので、テラス席があるバーというのが第一条件になり、入ったのだ。これだけ愛煙家が多いフランスでは、きっと今後、テラス席を設けているかいないかがお店の収入を大きく左右することだろう。ただ一つ、気になったのは、アラブ系の水パイプ(シーシャ)が吸えるカフェだ。彼らの営業はいったいどうなるのだろう?室内でモクモクと水パイプをふかし、ミントティーやアラビアンコーヒーを飲みながらお喋りするといった、歴史のあるアラブの文化を、フランスは今回の全面禁煙法は完全に否定してしまったように思えた。少なくとも、実家の通りにあるシーシャ・カフェは、煙がないせいで外からでも店内の奥まで見えるようになり、壁には以前使っていた水パイプが綺麗に棚に並んで保管されている状態を見かけた時は、この法律に疑問を感じたのだった。ちなみにニューヨークのシーシャ・カフェでは、屋外でプカプカやっているらしく、室内ではタバコの入っていないハーブだけをプカプカやっているそうだ。ふーん。とにかく、色々と考えさせられる禁煙法だなあ、と思いながら私は東京に戻ったのだった。(by Anne)

boudin blanc
1日の晩は日本と違って、31日の残り物征伐デー。好物のブーダン・ブランを林檎と一緒に焼いて食べた。ワインは本当はやや甘めの白とかが良さそうだけど、何せ残り物征伐の1日だから、余り物のボルドーで我慢。とはいえ美味しかったけど。往復50キロの無駄足を踏んだ後、奥の暖炉の前で長々と主人と禁煙法について考え込んだ。ちなみに、私は、夜だけスモーカー。夜だけ。しかもお酒を飲んでいる時だけ。昼間やお酒がなければ、全く欲しいと思わない。不思議だ。

2008年1月15日 (火)

フランス革命/その2

(つづき。)翌々日パリに戻ると、ノルマンディーの暖炉の前で延々と考え込んだ主人と私とは打って変わって、母はあっさりとこう言った。「ああ!フランスは法の国なのよ」と。なるほど。すんなりと私たちは納得した。法律になる前のフランス人は、皆が意見を出し合い、討論し、好き好きに反論し、文句を言い、意見に賛同する人を集めてデモを行ない、国にアピールし、法にすべきか否かを徹底的に論じ合う。その上で法として最終的に認められたものは、自由と平等と博愛をモットーとするフランスにとって、絶対。と言っても、民主主義の国はどこでもそうの筈がだ、とりわけフランスは法はその意識が強い。今回も、喫煙が討論には欠かせない、コーヒーやワインのような必需品だったフランス人でも、公共の場での禁煙が法律で義務づけられれば、すんなりと受け入れるわけだ。しかし、母の意見には納得したけれど、喫煙者がいきなり1月1日を境にタバコを吸わなくなる筈がない。レストランやバーで、コーヒーやワインを飲みながら話が盛り上がれば、タバコは吸いたくなるだろう。一体みんなどうしているのだろうか?そんな矢先に妹から電話が入って、今晩、みんなでレストランに行くからと、主人と私を誘ってくれた。レストランの後はバーに行くと言う。私たちは、勿論行くと返事をした。みんなに会えるもの楽しみだったし、食事も楽しみだったし、バーも楽しみだったが、何よりも禁煙状況を確かめたい気持ちが先立った。8時にパリのメニルモンタン地区にあるフレンチレストランで待ち合わせた。下町のグルメに人気のレストラン、というよりビストロで、ラフな雰囲気だけど、食事の味付けは私好み。こってりとしたソースが以前行った時の印象だった。みんなが集まり、席に着くと、周りの席も他の客で瞬く間にいっぱいになった。前菜が運ばれ、ワインを飲み出す。誰もタバコを吸おうとしない。しばらくして、隣の席にいた四人が、前菜を終えた時点で居なくなってしまった。食べた後のお皿と飲み終えた後のワイングラス。ボトルには、まだ3分の1のワインが残っていた。彼らのコートも帽子も無かった。私は、不思議に思った。前菜だけ食べて、ワインを全部飲み干さずに、帰ったんだ。レストランに来てるのに。そんな人達も居るんだなあ、と思った。しばらくすると、友達の建築家のペウーが席を外した。トイレかな?もうしばらくすると、就職活動中のダヴィッドが。その後、妹が。私は画家のプチマオとの話に夢中だったから、彼らが席を外しても、あまり気にしていなかったが、「私も行こうかしら?」という彼女の一言で、ハッと気付いた。辺りを見回すと、私たちの居る二階席に残されたのは私とプチマオ、それに隣の2人席でお喋り夢中になっている、どうやらデート中らしきカップルだけ。みんな居ない。プチマオは自分のコートを取って、鞄からタバコとライターを取り出し、席を外した。ああ、そうか!みんな外にタバコを吸いに行ったんだ!食事中に席を外すのは失礼とされる、テーブルマナーに厳しいフランスでも、禁煙法ができてはお行儀悪くても仕方が無い。みんな挙って席を外し、挙って外でタバコを吸い、討論の続きを繰り広げているのだった。外の気温は氷点下、であっても。私もプチマオに続いて、外に出た。つづく。(by Anne)

Porbail
フランス文化に欠かせないエスプレッソ。食後のコーヒーを飲みながら、1時間も2時間も討論は続く。手前のグラスはバニラ風味のラム酒で、ノルマンディーで入ったビストロ自家製。サービスで出してくれたが、昼だったし、強いお酒は飲む気になれなかったので、残すつもりだった。しかし、お店に悪いかな、と一口飲んでみると、スッーと喉を通って、気持ちがいい。消化を助けてくれそうだった。

2008年1月12日 (土)

2008.01.11

時差ボケを解消しきれず、saboriday。
もはやツェツェ蠅に刺されたかと、
眠い眠い病患者のような意識の片隅で、
思った。
(by Anne)

surville
時差ボケが直らない私の意識はこんな感じ。絶景のサンセットが見れるというので、地元で有名なノルマンディーのSurville海岸。あっと言う間に太陽は沈み暗くなるから、主人は焦って大型カメラをセッティングしていた。ちなみに、ツェツェ蠅とは睡眠病(別名、眠い眠い病)を媒介するアフリカの吸血蠅。刺された人は、昏睡状態に陥り、死んでしまう、とか。あまり笑えないが、ちょっと風変わりな事をするんで、面白い。と、いうことで、フランスのプロダクトデザイナー2人組は、ユニット名を「tse-tse」としたそうだ。

2008年1月11日 (金)

フランス革命/その1

新年早々、周囲の様々な変化に驚かされている私だが、何よりも未だに様々な疑問が残る一大事が起きた。これはもはや、フランス革命としか言いようがない。そう言うと、妹がカンカンになって怒るだろう。フランス革命はデモクラシーで、自由の象徴だと。今回の一大事は自由の逆だと。そして、きっと彼女は色んな理屈を並べて、「いい?アンヌ?良く聞いて。フランス革命っていうのはねぇ…」と先生のような口調で言うだろう。うーん。ま、でも、とにかく、フランスがひっくり返るようなことが起こった、って事だ。それは1月1日から適用されることになった法律のせいだ。
1日の夜、8時位になって、主人のタバコが切れていることに気付いた私たちは、調達できそうな所へ車を走らせた。ノルマンディーのド真ん中。辺りは真っ暗闇。「オーイ」と叫んでも、微かに「モーオ」と牛の声が聞こえる位で、後は風にかき消されてしまうといった、言わば荒涼とした所だから、2キロ先の村へ行ったって、1日の夜なんかにタバコ屋が開いてるわけはない。第一、こんな田舎じゃ、通常でも夜の8時にはとっくに閉店しているだろう。だから、25キロ先の汽車が停まる少し大きな町まで行くしかなかった。あの町なら、いくら1日の夜でもタバコが見つかるだろう、と。私たちは車に乗り込んで、ライトをハイビームにして、真っ暗な田舎道を進んでいった。田舎の細い道でも速度制限は70キロとある。マニュアルギアを5に入れた。飛ばしても良い道だったせいか、25キロ先とはいえ、案外あっという間に着いた。町中をグルグル回って、開いてるタバコ屋を探したが、やはり無かった。そこで開いてるバーを探すことにした。フランスではカフェやバー、どこでもタバコを買えたからだ。駅前に、一件、明かりを点しているバーを見つけると、すぐに車から降りて中に入った。赤茶けた顔に金髪といった、いかにも地元の人といった風貌のおじさん達が、一斉に青い目をこちらにギロッと向けて、絶句した。テレビでしか見た事のない東洋人が、思いもよらぬところに入って来たからだろう。私は満面の笑みで、「タバコって、ありますか?」と尋ねた。店の主人は、東洋人の口から、中国語ではなくフランス語が出て来たので、さらに青い目を丸くした。一瞬、間を置いた後、響き渡るような太く深い声で「んやぁ、ないね」、と言った。私は驚いた表情をしたのだろう。透かさず御上さんが「あるわけないでしょ。今日から禁止なんだからね!」と、叱ってるわけではないのにそう聞こえるトーンで説明し、店の主人と顔を見合わせて笑った。一瞬、狐につままれたような気がした。そうだった!うっかりしていた!2008年の1月から、公共の場で全面禁煙という法律が適用されるんだった!これじゃ、今晩はフランスの果てまで車を走らせても、タバコに在り付く訳はない。私たちは大人しく、元来た25キロを辿って家路についたが、車の中で様々な疑問が浮かんだ。この、タバコ愛好家のフランス人が、カフェやバーでコーヒーやワインを片手にプカプカと喫煙し、何時間もウンチクを並べて討論するのを文化とするフランス人が、人の言う事など聞きもしない自分勝手で自由なフランス人が、どうやってこの法律を受け入れることができたんだろう?少なくとも、今入ったバーでは、タバコの煙は一切立ち上ってなかった。地元のおじさん達は静かにビールのグラスだけを手に握っていた。パリでも同じ事が起こっているのだろうか?結局何も得られなかった往復50キロにがっかりするのも忘れ、私たちはその晩遅くまで、暖炉の前で腕を組んで考え込んでしまった。つづく。(by Anne)

プジョ−106
田舎のウチに置きっぱなしにしてあるオンボロ車、プジョー106を走らせる、ワタシ。この日はシェルブールに向けて。寒いから完全防備をして、真剣に運転しているのを、主人に盗み取りされた。「獲物を探しに行くみたいだね」、と。このプジョー、結構気に入っている。


2008年1月 9日 (水)

2008年

2008年。
今年もどうぞよろしく。
(by Anne)

Mt.St.Michel

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