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2008年3月

2008年3月26日 (水)

座布団抜かれる

どうやら私の思考回路を人々は理解できないらしい。私にとってはものすごく辻褄が合っていることも、皆は突拍子もない発想だと思い、ヒドい時はアホ扱いされるのだ。そんな扱いをされても、私はメソメソしません。皆の想像力が欠落していると判断して納得しているのですから。そして分かってくれる人は、私にきっととっておきの座布団を数枚プレゼントしてくれるだろうと、信じて。しかし、残念ながら先日はちょっと違った。
友達の写真が展示されているからと、中目黒のバーへ行った。友達の周りには初対面の人が数人居たけど、みんな社交的で話やすく、知らないうちに長時間話込んでしまった。とはいえ、大した話の内容ではない。干支の話が始まったときのこと。寅年だとか、猪年だとか言ってるうちに、牛年が多いことにみんな気付いた。牛年の1人が、「ほらね、こいつと、こいつと、オレも牛年」と言うと、となりに居た女性に顔を向けた。「モウさん」と呼ばれている、素敵な女性だ。「あと、モウさん。モウさんだから一緒!」と楽しそうに続けた。あだ名なのか、中国系かどこかの名字なのか、分からない。しかし名前の響きが「モウ」と牛の鳴き声に近いから、モウさんも「一緒!」と言って、牛年の仲間になったという流れぐらいは、私も分かった。分かってはいたのだが、ふと、中国系の名前なのかもしれないなー、どんな漢字をかくのかなー、などという考えが頭の片隅に過ったのだろう。私は、「へー!モウさんって、牛って書くんですかー?」と聞いてしまった。スッとぼけも通り越して、座布団抜かれるような恥ずかしい発言をした、と私が気付いたのは、散々みんな驚いて、散々みんなにブーイングされた、そのずっと後だった。(by Anne)

2008年3月19日 (水)

行儀も無礼/その2

(つづき)鞄に関してのエチケットは、どうも勘違いなんじゃないか。女性が重たいスーツケースを持ち上げて、見るからに辛そうに駅の階段を上り下りしているのに、横を通る良い年の男性は誰一人として手を貸さない。こうしたシーンはヨーロッパから戻って来たての頃、とてもショックを受けた。もはや道行く男性は当てにできないと分かってからの私は、飛行場へは電車は使わず、必ず近くのホテルから出ているリムジンバスに乗るようになった。さらに付け加えるなら、リムジンバスが出ているホテルまでタクシーで行ける距離の所に、何度引っ越しを繰り返しても、住む事にしたくらいだ。米原万里は、こうした日本の男性の行動に対して、こう締めくくった。ヨーロッパの男性は彼ら程長時間仕事をしない。日本の男性は、毎日毎日クタクタになるまで働いて、夜遅く帰宅する。通勤中に、気配りのゆとりが持てる筈はないだろう、と。なるほど、そうかもね。まあ、荷物ぐらい自分で持つからいいわ、と思ったのと同じ頃、余計な荷物を持つ男性が目につくようになった。デート中の男性だ。この時ばかりは気を利かせて、彼女の荷物を持ってあげているようだ。明らかに彼女の物だと分かるのは、ヴィトンだとか、フェンディだとか、チェーンのついたシャネルだとかのハンドバックを、フリフリやキラキラがたくさん付いたハンドバックを、きっと口紅とお財布と携帯しか入っていないだろう小さな小さなハンドバックを、彼の方が持っているからだ。通りすがりの女性の重たいスーツ・ケースは持たず、かわいい彼女の小さなハンドバックは持ってあげる、とは!そもそもハンドバックは女性にとってアクセサリー同然のお洒落グッズな筈。それを彼が持ってしまっては、せっかくのお洒落コーディネイトも甲斐がない。そのうち、大きなネックレスやイアリングをしていたら、「重たそうだね、僕がつけといてあげるよ」、なんて言っちゃうんだろうか。そんな意地悪な想像をしてしまう。しかし、すれ違うハンドバック君達は、彼女に対して一生懸命なのだろう。やさしくしてあげたい、よく見られたい、ケアしてあげたい、と。そんな健気な気持ちを思うと、意地悪な想像をしている自分が情けなくなる。まあ、いいじゃない、そんなに重大なことじゃないじゃない、と思えるくらいの寛大な大人に、どうかどうか、なれますように。(by Anne)

チューリップ
春だ。開きかけた時のチューリップが、なんとも可憐で好き。花言葉は、「博愛」、「思いやり」。ふと、チューリップ柄を帯に描いて、キュッと締めて、花言葉を胆に命じたいと思った。

2008年3月15日 (土)

2008.03.15

主人は仕事。
私は友達とカフェでsaboriday。
ほんの少し、罪悪感。
(by Anne)

un cafe

2008年3月14日 (金)

行儀も無礼/その1

米原万里のエッセー集『真昼の星空』を読んでいたら、『エチケット』という話のところで、そういえば、と日頃私があまり歓迎できないことを思い出した。エチケットというものを勘違いしているのではないかというシーンを目にするときだ。米原万里によると、例えばヨーロッパの地下鉄で男性が女性に席を譲ること(最近では少なくなりつつあると思うが)は、最初はエチケットとして教えられ、意識的に行なうけれど、だんだんそれが習慣になって自動的な行為になっていくという。この自動的な行為が異文化に触れた時、例えばヨーロッパの女性が日本に来て、男性は誰も席を譲ってくれないのを見た時、改めて自らの自動的な行為を意識するのだ、と。ここで注意。作者も言ってるように、良いとか悪いとかってことじゃない。ただ、観察していて面白いと思うからなのだ。私がエチケットの違いを意識したのは、まず、スパゲッティー。20歳位の夏休みに私は久し振りに日本に遊びに来た。中学校時代の同級生達とパスタ屋で食事をした時のこと。ギョッとしたのは鮮明に覚えている。数人の男の子が、ズズズッとスパゲッティーをすすって食べていたからだ。勿論日本の家庭でも食事中に音を立てて食べるのはお行儀が悪いと教える筈だ。しかし、なぜ?麺だけに、お蕎麦を食べる時と同じスタイルになってしまうのだ、ということは後になって分かったが、たらこ味でも納豆味でも一応スパゲッティーはスパゲッティーだ。イタリアの食材だから、ヨーロッパのマナーに従って静かに食べて欲しいものだ、と心の中で反復した。しかし、そのまた後になって、その呟きの反復を反省した。とほほ。お蕎麦とは、音を立てて食べて良いものではなく、音を立てて食べるべきものだ、と知った時。スパゲッティーは「ズズズッ」で不味そうになるけど、お蕎麦は「ズズズッ」で美味しくなる、と知った時。ヨーロッパ生活が長かった私は、お蕎麦を、静かーに、静かーに、そーっと、おちょこから食べていたことを恥じた。そうと知っても、すぐに「ズズズッ」なんて音をたてる勇気はなかった。自動的に恥ずかしい行為だと思ってしまっていたからだろう。数年前くらいから、やっと、人並みの「ズズズッ」ができるようになったのだ。山梨に行ってお蕎麦を食べていたら、地元の人に「上手ですね」と言われたくらいだ。少しだけ、赤ちゃんがゲップをして「お上手、お上手」と褒められているのと、イメージが重なった。
エチケットというのは難しい。捉え方や振る舞いを間違えると、とんだことになる。例えば、レディーファーストのつもりでドアをいつも開けて先に通してくれる日本の男性を、キザだ、とかカブレてる、だとか思う日本の女性も多い筈。ドアに関しては私は大歓迎だが、どうしても歓迎できないのは鞄だ。つづく。

真昼の星空
『真昼の星空』。著:米原万里。出版社:中公文庫。590円+税。


2008年3月13日 (木)

私の耳はダンボの耳/その2

(つづき)本当に商売しているのかそうでないのか疑問に思うおかみさんだが、今思えば、彼女も軽く3人組の話を盗み聞きしていたことになりはしないか?その一部始終を聞いていた私も然ることながら。そして、3人組は他愛もない話をしながら鰻が出てくるのを待った。「あら、松ぼっくりが置いてある」、「かわいいわね」、「遭難したら松ぼっくりを食べると良いんですって」。遭難しそうな事を頻繁にしているのかな、と私は思った。「けっこう食べれるんですってね」、「リスが食べるわよね」、「…さんが、リスが食べた松ぼっくりの芯を見て、海老フライみたいって、そういえば言ってたわ」、「ああ、こっちの方のね、分かるわ」。私は松ぼっくりに2種類あるのかと3人組の方をチラっと見た。なるほど。海老フライになりそうな長い松ぼっくりがある。ふーん…。しばらく私は海老フライの形をした松ぼっくりが、森の中に落ちている光景を想像してみた。3人組の話はその間に鰻の話に移ったようだったが、もう私の耳は元通り小さくなって、今度は盗み聞きの行為そのものについて考え始めていた。そういえば、この前セガフレードでコーヒー飲んでいた時もあった、と思い出した。私のとなりにお嬢さんルックをした20歳くらいの女の子が座ろうとした時の事。私がふと顔を上げてその子を見ると、ニコッとその子は笑った。私もニコッと笑った。たったそれだけのことなのだが、咄嗟に私はその子に興味を持った。この子は海外育ちに違いない、と。こういうタイミングでニコッとする習慣は、海外、例えばフランスとかに住んでいないと身に付かない筈だ。そんなことを考えていると、50歳くらいの男の人がその子の前に現れた。「おお!元気か!もう戻って来ないかと思ったよ」。親戚の伯父さんなのかな?戻って来ないっていうことは、やっぱり海外生活している子なのかな。「何でぇー!そんなことないよー!」若い子らしい甘ったるい声で、タメ口で答えた。「写真持って来たよ」、「これヴェルサイユに行った時」、「ルームメイトが超不良でぇー、超生意気なんだよねぇー」。伯父さんらしき人に写真をみせながらコメントしてる様子だ。フランスに留学か何かで、住んでるようだ。やっぱりね。それだけ分かると、私は自分の用事に没頭した。ジェロのCDを封筒に入れ、パリにいる妹の宛先を書く。FRANCE、と書いたその時、隣の女の子の視線を感じた。なんとなく、私のようにその子も気になっていたのかもしれない。この人、ニコッって笑ったけど、なんだろうと。盗み聞きや盗み見は、この程度のことなら問題ないだろう。そもそも「私は作家なんだから!」。と、いつもの通用しない言い訳で解決させた。だって、ゴダールはどこからシナリオのアイディアを得たかといえば、カフェですからね。毎日カフェに何時間も居座り、何時間にも渡って周囲の会話を全部メモしていって、その盗み聞きをした会話を、シナリオの至る所にちりばめて、それであんなに生き生きとした、当時にとって現代的な、現実的な、映画を作ったのだから。(by Anne)

ジェロ
なにも説明書きをしないで、演歌ファンの妹にジェロのCDを送った。ジャケットを見て、なんて思うだろう?リアクションが楽しみだ。

2008年3月12日 (水)

私の耳はダンボの耳/その1

『耳をダンボにして』という表現は普通に通用するのだろうか?これって私特有の表現だろうか?とにかく、良く言えば上品な、と言って肯定したい、福耳とはほど遠い私の耳が、ダンボの耳のように大きくなる時がある。1人で外でお茶をしている時など、ふと隣の人の会話が耳に入ってきてしまうのは、きっと私だけでないと思う。盗聴するつもりは勿論ないが、会話がなんとなく耳に入って来くると、人はいったいどんな意見や考えをもっているのだろうかという興味本位から、ついつい耳を峙ててしまうこともある。盗み聞き。と言ってしまうと、とっても悪いことをしているような気がする。反省するべきなのか悩むところだ。
先日午前中に少しヘコむ事があったので、気分転換のつもりでランチに元気の出る鰻を食べに行った。まったくもってやる気のない鰻屋に。いつも暖簾をくぐって入ると面倒くさそうな顔をされる所だ。満席の時も、待てとは言わず帰らすし、明らかに満席でない時も満席だと言って断わるし。座っているお客さんの方から相席を勧められて、やっと入れてもらえるといった、商売っけのない地味な店だ。しかし私はここの鰻じゃないと食べられない、と言うくらい気に入っている。鰻の好みの話を昔友達として、それぞれ違うものなんだと知って驚いたことがあった。私は、といえば、周りがカリッと上手い具合に焦げていて、後の部分はふっくらジューシーの鰻に、タレが最小限の量かかっていて、そして上から山椒を山盛りかけて、舌が少々しびれるくらいで頂くのが好みだ。
長い間待って、丁度、私が鰻に箸を付けようとした時。ガラガラと戸が開き、50代ぐらいの、恐らく主婦と思われる3人がお喋りしながら入ってきた。案の状、お店のおかみさんは「今、いっぱいで…」と断ろうとしている。私の後ろに居た客は今帰ったばかり。4人掛けのテーブル席は食器を片付ければ座れる筈だ。1人がそのテーブルを指すと、おかみさんは渋々案内した。1人が、また先ほどの話の続きをするかのように、「でもさぁ、ほら、あの人は鰻好きじゃないから…」と言った。すると他の2人が頷こうとする間もなく、おかみさんは、しめた、と思ったのか、「鰻がお好きでない方がいらっしゃるなら、うちでは…」と断ろうとした。慌てて別の1人が「いえいえ、今は来ない他の人の話をしてたんです」と説明して、3人組はやっとこさ席に着けたのだった。つづく。(by Anne)

鰻
商売っけのないおかみさんと3人組に気を取られていた私は、写真を撮るのをすっかり忘れていた。食べかけの鰻。相変わらず私好み。早く続きが食べたいあまりに、写真が変でも撮り直さないことにした。ご勘弁を。

2008年3月 6日 (木)

アイム・ノット・ゼア

トッド・ヘインズ監督の最新作の試写会へ行った。『ベルベット・ゴールドマイン』や『エデンより彼方へ』の監督。初期の『ケミカルシンドローム』からジュリアン・ムーアとの絶妙なコンビネーションに注目していたが、今回は彼女は脇役。なんてたって、主人公は男性ですから。『生ける伝説』とも言われるボブ・ディランの生き様を描いた新作、『アイム・ノット・ゼア』は、単純に彼の過去をなぞっただけのストーリーではない。詩人、無法者、映画スター、革命家、放浪者、ロックスター。どれもボブ・ディランであり、その多様な顔を持つ彼の姿を6人の豪華キャストによって演じられている。6人の俳優がこの男性を演じた、というと、ちょっと違う。5人の俳優と、そして1人の女優なのだ。しかもその女優はジュリアン・ムーアではなく、ケイト・ブランシェットだ。あまりにそっくりで、素晴らしい演技だったため、2007年ヴェネチア映画祭主演女優賞に輝いたのは当然のことだろう。とにかく彼女の演技には驚いた。それに、正直、私はボブ・ディランを意識して聴いたことがない。村上春樹の小説を通じてしか知らなかった。どこかで彼が、「静かに降る、細かい雨のような音楽」とかいうような言葉で、ボブ・ディランの音楽を表現していて、想像上ではゾクゾクしたが、それでもちゃんと聴いたことはなかった。いやはや。こんな詩人が居たなんて!まるで20世紀のランボーのよう。最初のシーンで、ボブ・ディランのギターボックスに、「これはファシストを殺すためのマシン」と書いてあるのを見た瞬間から、2時間15分の間、どんどんこの芸術家とも言える人物に魅了されていくのだった。しばらくは、ボブ・ディランの音楽ばかり聴いていたくなるだろう。(by Anne)

アイム・ノット・ゼア
『アイム・ノット・ゼア』。トッド・ヘインズ監督。キャスト:クリスチャン・ベイル、ケイト・ブランシェット、マーカス・カール・フランクリン、リチャード・ギア、ヒース・レジャー、ベン・ウィショー、シャーロット・ゲンズブール、ジュリアン・ムーア。配給:ハピネット/デスペラード。GW、シネマライズにて公開予定。

2008年3月 5日 (水)

これがムーランだ!

昨日話した手動のこし器、ムーランとはこのことだ。はっきり言って、収納にはかなり困ります。(by Anne)
ムーラン


2008年3月 4日 (火)

ムーラン、生き残る!

マクロビオティックのお料理教室で、ムーランを使ってカボチャのスープを作った時があった。そのスープの甘くて優しい味わいにうっとりして、即ムーランを購入した。一万円ぐらいだったと思う。ムーランとは、フランスでシェフ達も使っている、手動のこし器。取手をぐるぐる回して、野菜などをすりつぶしながらこす、見た目もローテクな物体だ。購入したことが嬉しくて、すぐにカボチャを買って、スープを作ろうとした。ところが、蒸したカボチャをムーランに入れてこそうとした時。いくらぐるぐる回してもこせないのだ。こせないどころか、噛み合わせの部分がすぐに外れてしまう。これは不良品に違いない。そう思った私は返品するつもりで入っていたケースに閉まった。しばらくの間、玄関に置きっぱなしにしていたら、日本に来た妹がそのムーランを見て叫んだ。「きゃあ!アンヌ!バカだね!ムーランなんて買ったの?」と。聞けば、ムーランはちっとも使えない器具らしい。不良品だから上手くこせなかったのではないと断言された。私はそこで返品するのを断念して、燃えないゴミの日に出すことにしたのだ。しかし、一万円出して買ったムーランを一度も使わず捨てるのには、勇気がいった。またしばらく玄関に置きっぱなしにして、数ヶ月が過ぎた、年末、私はパリの実家でムーランを見た。母と妹も主人も居るところで、私はムーランを指差し、「ムーランなんて買ったの?」と、以前妹に言われた馬鹿にしたような口調で聞いた。直ぐに妹が飛んで来て、「アンヌ、知らないの?これ、すっごい良いんだよ。」数ヶ月前に言っていた事とは違うじゃないか!「マッシュポテトをこれで作ると味が全然違うの」と付け加える。しかし母は一度も使っていないらしい。東京に戻ってきて、主人がムーランの話を思い出し、玄関に置き去りにしているムーランを引っ張り出した。「これ、きっと使えるよ」。そう言って、彼はジャガイモを買いに出かけた。その晩、彼が作ってくれたマッシュポテトは、ビロードのようなテキスチャーの、優しい味だった。ムーラン最高!捨てないで良かった!ちなみに私は器具の組み方を間違えていたようだったのだ。とほほ。(by Anne)

鴨とマッシュ
鴨のローストのグリーン・ペッパー・ソースと主人がムーランで作ったマッシュポテト。しかし、このメニューはマクロビオティックではありえない。

2008年3月 3日 (月)

酒癖の愛嬌

先週、延び延びになっていたワイン会の新年会をやっと行なった。やりたい気持ちはみんな満々だったが、音頭取りの立候補者がなかなか出なかった1月、ワイン仲間の『バブル嬢』から連絡があって、2人で恵比寿の『KIORA』でディナーすることになった。ちょっとワインを飲みに行こうという話から始まった筈が、どうせなら美味しいもの食べましょう、という結果になり、私の意見もほとんど聞かず予約を入れてしまっていたのだった。ところが、お食事はとても美味しいし、ワインリストはイタリア系メインでとても充実しているし、おまけにスマートなソムリエさんにサービスして頂いたから、最初から嬉しくなることづくしだった。即、ワイン会の新年会はここにしよう、と決めた。決めてからソムリエさんに、ワイン会ができるかを聞いた。要するに、何が何でもやらせてもらうつもりだったのだ。でもすんなり快い返事がもらえて、ワイン持ち込み料は1本につき2千円とのことだった。2人で2本空けて、デザート代わりのデザートワインに移った頃、「じゃあ、私が幹事やるわね」と立候補した。するとバブル嬢は、「ええ!だってアンちゃん、お酒飲んでる時の約束は片っ端から忘れちゃうでしょ、だからきっと明日忘れてるわよー」と、私を睨んだ。確かにそうなのだ。私の酒癖は、似非星占いをし始めることの他に、口約束を忘れる、というのもあった。以前にバブル嬢と飲んでいた時に、「私のいらない浴衣、あげるわね」と言ったそうなのだが、次に会った時にはすっかり忘れていたそうだ。多分彼女は相当がっかりしたのだろう。ワインを飲みながらは、もう二度と私と約束はしない、と固く誓ったに違いない。そうと分かってはいながら、こうもはっきり「忘れている」と断言されると、私の僅かな「ナニクソ精神」が爆発した。絶対に幹事を担当するのだ!私はスケジュール帳を広げ、「ワイン会、みんなにメールする」とメモした。くそぉ!そういえば、『アイドル』にもそんなことを言われた。これまたワイン友達だが、ワインの講師も務めている美人さん。彼女は、結構ワインが入ってくると、そのほんわかした表情からは想像もつかないくらい、厳しい発言をすることもある。冷静で現実的な意見。とらえかたによっては感じが悪い。っていうか、相当感じ悪いと思う。その感じの悪さが可笑しくて、私はそれをネタに退屈しそうな時には思い出しては楽むこともあるくらいだ。
それは、秋頃にアイドルともう一人のワイン仲間の『ビー玉』と3人で4本飲んだときの事。いくらお酒に強い私たちも結構酔っていた筈だ。私がワイン会の忘年会をセッティングするわね、と提案したら、いかに幹事が大変かをアイドルは滔々と語った。まるで、「あなたにできる筈はない」と言わんばかりの、ものすごい剣幕で。可笑しかった。でも、そんなに無理だと思うなら、見てろよ!とこの時も僅かな「ナニクソ精神」が騒いだのだった。そして無事忘年会も済ませ、今回の新年会の幹事も「ナニクソ精神」がゆえに私が担当し、開催できた。アイドルが登場すると、私は「あなたに出来る筈がないと言われたから、見返すために頑張ったわ」と言ってみたが、彼女はキョトンとして、「え?私そんな事言ってないわよ」だった。飲み過ぎていない彼女は至って感じ良い笑顔。あれ?そうだったかな?まあ、いずれにしても酔ってる時の話は半分夢物語とするべきなんだろう。
それにしても、無事ワイン会を開催できたことで満足してしまった私は、最後の最後で気が緩んでしまった。計算が苦手な私が集計をしようとして、モタついてしまったのだ。バブル嬢が見かねて「私がやるわ」とバトンタッチ。そういえば、私の酒癖は、似非星占いをし始めることと、口約束を忘れることの他にもう一つあったのだ。計算が全くできなくなることだ。こればかりは改めよう。そして、きちんと集計してくれたバブル嬢は、レストランに携帯を忘れて帰って行った。酔うと忘れ物をするのは彼女のお決まりコースだから。でも携帯ばかりは、忘れたことを彼女に伝える手段がない。(by Anne)

ch.Grand Puits Lacostes
ワインスクールの旧クラスメイトでカップルが誕生した。単なるカップルではなく、結婚を控えたカップル。お祝いにアイドルがセレクトした、ポイヤックのシャトー・グラン・ピュイ・ラコストで乾杯した。後の新婦のバースデーヴィンテージで、1978年。香りは、程よい熟成香、樽の香り、それに後から、なんともいえない華やかな香りがひろがった。味わいはまだまだ元気。ポイヤックの美味しさって、このくらいからだな、と思うのだ。

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