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2008年5月

2008年5月27日 (火)

暑い!怠い!冷やし中華だ!

冷やし中華はわりと多くの人に好かれる夏のメニューだが、とりわけウチの主人の好物だ。真冬でも食べたいと言い出しかねない程だ。体を冷やす食べ物だから、夏にしか出さない。マクロビオティック的には、トッピングのハムや卵を抜かせば、陰性の食べ物で、体の熱を外に出し、体を冷やすと言われるもの。同時にこうした食べ物は、バリバリ仕事をしたり集中していた体が陽性に傾き過ぎてカチカチになっているのを、緩める作用がある。だから、ウチの主人は仕事から帰って来るとビールの代わりに、冷やし中華が食べたくなるのだと思う。疲れて帰ってくればくるほど、冷やし中華、冷やしうどん、青菜のおひたし、冷や奴、アイスクリーム、などなどしか喉を通らないらしく、バランスの取れた食生活を崇めるワタシも流石に玄米を彼の喉に押し込もうとはしない。そんな時は「あら、そう、じゃあ、冷やし中華食べる?」と聞くのだ。先日、今年になって初めて、そう聞いた。その時の嬉しそうな顔ったらなかった。しかし、通常の冷やし中華を作るとなると、皆さんは何をトッピングされますか?ワタシはどうしても、ハムに含まれる発色剤のような添加物が気になるので避けたくなる。無添加のハムは高いし、卵も海老も、とにかく動物性のものは省きたい、でもタンパク質は必要、という時の冷やし中華を作りました。トッピングには、胡瓜、貝割れ大根、自家製もやしのナムル、無添加紅生姜、それにタンパク質にはグルテンミート(もしくはコーフー)のスライスをのせただけ。グルテンの代わりに油揚げをグリルしてスライスしたものをのせる時もある。う〜ん、ヘルシーだわ〜。(by Anne)

冷やし中華ベジ
麺はオーガニックデリバリや自然食品店で購入。麺に卵などの動物性のものが入っていることもあるが、それはここでは気にしないことに。

2008年5月23日 (金)

ジャミラカレー/その2

(つづき)ジャミラは見て呉れだけでなく、性格も大人びていた。言葉のできない私をことあるごとに誘い出すような、面倒見の良さもあったし、お洒落でクレオパトラのように美しい彼女には沢山のボーイフレンドがいただけでなく、10歳も年上の彼氏とも対等に話ている様子だった。チヤホヤされて多少我が侭なところはあったけれどチャーミングで、まるで御姫様のような彼女は、お姫様にふさわしく、お掃除とお料理が、いくつになっても苦手だった。高校生にもなれば、私はパスタやサラダくらいはできるようになっていたが、ジャミラの方はてんでダメだった。18歳になってもパスタのゆで方も知らないと知った時だけが、唯一彼女が幼く見えた時だった。
私達が20歳になった頃の事だ。ジャミラはすでに実家を離れて広いアパルトマンに新しい彼氏と住んでいた。「私のところでディナーをするから、もし良かったら来て」という誘いを受けて、私は華やかな彼女に会うのを常々楽しみにしていたから、当然「行く」と答えた。招待客は10人程。一体誰が10人分のディナーを作るんだろう?と疑問に思った。ヌヌとか呼ばれていたお手伝いさんかな?前に招待された時は元カレが料理をしていたから、今回も新しい彼が用意するのかもしれない。しかし、テーブルに大きなお皿を運んで来たジャミラは、「これ、私が作ったの」と誇らしそうに言った。黄色いカレーだった。鳥の胸肉とバナナだけがゴロゴロと浮かんでいるカレー。私はこのカレーを忘れはしない。あまりの美味しさに一晩中、美味しかった、美味しかった、とオウムのように繰り替えたことも。唯一料理だけは、彼女に対して優越感を保っていた私の、最後の砦が崩されたことも。
そのカレーを、先日私はスーパーで思い出し、女友達に食べさせようと材料を買った。料理に慣れていなかったジャミラが作ったものだ。少なくともレシピは簡単な筈。鶏肉をぶつ切りにし、バナナもぶつ切りにし、ゆっくり炒めて甘さを出した玉ねぎに混ぜて、ココナツミルクとカレー粉、クミン、コリアンダー、生姜、ニンニク、塩、胡椒などを混ぜ合わせれば良いだろうと。一時間くらいで簡単に出来た。最後にドバッと白いすりごまを入れてみたらコクが出た。玄米と共にテーブルに出すと、女友達たちは、バナナの味の意外さに驚き、美味しいと言っておかわりをしてくれたのだった。
ところで、このジャミラカレー、ジャミラが作ったからそう呼んでいる。ジャマイカンカレーではありません。ジャミラは、「これ、私が作ったの」と誇らしそうに言ったあと、「キューバカレーよ」と付け加えたのだった。(by Anne)

シフォンケーキ
友達の『趣味の良いチンドン屋』も招いた。彼女が持ってきてくれたケーキは、新しい大丸の一階にある、キース・マンハッタンで買って来たそうな。見た目も可愛いけど、味も美味しい。後日、彼女から自宅でジャミラカレーを作ってみたとのメールが来た。ところが、「ココナツミルクが無かったから、豆乳で作ってみた。でも、バナナも無かったんでただの豆乳チキンカレーになったよ。しかもカレー粉も小さじ1杯分しか無かったので、ウコン、クミン、シナモン、生姜、ニンニクをガバーっと入れて、ジャガイモと一緒に煮込んだ」とある。結構美味しくできたらしく、「私って天才!」と自画自賛していた。でも、それじゃジャミラカレーじゃない。。。

2008年5月22日 (木)

ジャミラカレー/その1

ジャマイカンカレーのことではありません。先日、外に食べに出かけてばかりいないで、たまにはウチで食べましょうということになり、女友達3人を招待した。招待したは良いが、ようやく肌寒い日々から抜け出した日で、衣替えの方は半分済ませてはいたものの、日々の食事は体が温まるものばかりをまだ作っていたからこうも突然暑くなると、メニューが思い浮かばない。シチューのようなものは作る気になれないし、グリルしたとしてもお肉は暑苦しい。お魚にするか、どうしよう。通常お客様をしても、メニューぐらいパッと浮かぶのだが、珍しく何を作ろうか迷った。とりあえず、スーパーに出かけていき、野菜のコーナーで人参やジャガイモやブロッコリーとにらめっこしてみた。しかしなかなかアイディアが浮かばない。なにか、もっと、夏の予感がするような、バカンスっぽいメニューはないだろうか。南国を思わせるような、…。私はエメラルドグリーンの海に囲まれた南の島を思い浮かべた。ココヤシの木やバナナの木が風でゆらゆら揺れる。あ!そうだ、ジャミラだ!ジャミラカレーを作ろう!16年くらい前に食べたカレーの記憶を、我ながらよく思い出した、と関心した。それはジャミラという友達が作ったカレーだった。
フランスに移住してすぐ、私は現地の中学校へ通わされたのだが、まず最初に、クラスメイトが非常に大人びていたのに圧倒された。中学生なのに大人の女性のようにお化粧をして、アクセサリーをつけて、当時流行っていたボレロやブーツをお洒落に着こなしているのだ。彼女達と並ぶと、私はまるで幼稚園児。自分の稚拙さを恥じて、こんなに素敵なクラスメイトでは、かりに言葉の壁が無くなったとしても友達にはなれないだろうと、彼女達に憧れながらも思った。1週間後、母は母の友人の家に私を連れ出した。「あなたと同じ年の女の子がいるから、紹介するわ」と母に言われて。いくらなんでも学校のクラスメイトみたいに大人っぽくはないだろう。お友達になれるかもしれないと期待した。母はアパルトマンのベルを鳴らした。中から、ハーイと聞こえる。私と同い年の女の子だろうか?どきどきした。ドアが開くと、金髪の長くて真っ直ぐな髪の毛をかきあげ、大きなピアスが光る耳をチラリと見せた背の高い女性が現れた。そして「あら、こんにちは」と平然と挨拶をしたので、私は母の友達、要するに私と同じ年の娘を持つ女性が出て来たのだ、と思った。しかし母は「こんにちはジャミラ」と言った。母の友達ではなかった。この女性が私と同じ年?目を疑った。クラスメイトの誰よりも大人びている。とても14歳に見えない。もしそうだとしたら、私はあまりに幼すぎる。日本に居る時はそれなりにマセていただけに、傷ついた。どうか、なにかの間違いでありますように。どうか、1歳でも2歳でも彼女の方が年上でありますように。そう願ってみたが、ジャミラの干支は猪。生まれ月は9月。私と全く同じ、14歳半だった。つづく。(by Anne)

ジャミラカレー

土鍋に入れて

2008年5月15日 (木)

世界の中心で、母が叫ぶ/その2

(つづき)それから毎日母は、東京に居る妹と私に電話をしてきた。「スピーチ、送ったの、あれ、読んだ?」。呑気に聞いて来る。「まだ読んでない」そう私が答えると、「早く読んでよ、面白く書けたから」と母。次ぎの日もまたその次の日も「あれ、読んだ?」だ。早く感想を聞きたくてヤキモキしているのが見えれば見えるほど、私は心の中で絶対に読んでやるものかと固く誓った。一応母には「まだ。忙しくてね」と言い訳をした。その度に、妹は電話の脇でゲラゲラ笑って、「読んであげなよー」と言っていた。「冗談じゃない!」。メールの受信箱には、未読の青いマークが残り続けた。妹はその青いマークを見続けた。そしてついに、「じゃあ、もう、私が読んであげるから」、と私の許可を得て未読メールをクリック。読み上げた。やはり。思った通りだった。私達の披露宴でスピーチした内容とまったく同じ。もっと「面白いお母さん像」を強化したものに仕上がっていた。一つの原稿としてはいいけれど、披露宴のスピーチとしては私だったら0点をつけるだろう。しかし母にそんな期待をしても無駄なのは100も承知なのだった。
そんなことを先日母からの電話を切った後、ソファーで思い出していた。なぜなら、その電話の向こうでも、「私が主人公」節を叫んでいたからなのだ。「もしもし、アンヌ?」。「あ、ママ?」。「ついに、読んだわよ!」。本人を知らないとまるで怒っているかのような口調に、免疫を受けている私も時々ビビる。何か悪いことしたかしら?思い当たる節がないので、「何?」と聞くと、「あなたのブログよ!」と母。思想家というか、作家だった自分の父の書物を、彼の死ぬ間際まで読もうとしなかった彼女は、これもまた作家である自分の夫の作品は徹底的に読破したのを除いては、手紙以外の家族の文章を読むのは気持ちが悪いようなのだ。それに加えて、風の噂で私が母の事をブログに書き散らしていると聞いたらしく、きっと悪口か馬鹿にしているかのどちらかだろうと決めつけて、さらに読む気を失ったのだろうと思う。周りがどんなに「読んだら?」と勧めても、断固として読まなかったのだ。しかし、「ついに、読んだわよ!」と言う。どんな感想が返ってくるのかと思えば、「2月8日のあの文、あれ、違うわよ!本当はもっと面白かったんだから!」と指摘した。うっかりしていた。そうだ、母はやっぱり「私が主人公」なのだ。2月8日付けのブログは『変わらぬ母』と題して、母のオマヌケ振りを綴ったものだったが、不満らしい。本当はもっと面白いお母さんなのに、十分私が描ききれていないとでも言いたそうなのだ。どうやら最後のくだりがダメらしい。彼女いわく、本当は、家に帰るまで写真屋の腕が落ちたと思い込んでいたそうだ。家に帰って、私に「あそこの写真屋、腕が落ちたんだわ」と言って証明写真を見せた。「以前はもっと綺麗に撮ってくれてたのに、これじゃまるでオバハンよ!」と怒っている。「あのね、写真屋の腕が落ちたんじゃなくさ、ママが年を取ったんだよ」、と私は言ったそうな。私にそう言われるまでずっと自分が年を取ったことに気付かなかった、おめでたい母。「そこが、面白いんじゃない!いいわね。書き直して頂戴。」私は、2月8日の文にはタッチしないものの、こうして母のリクエストに答えている、善き娘。おまけにブログは、母の悪口でもなく、母を馬鹿にするでもなく、彼女の希望通り、いかに母が面白いかを書いてきたつもりだ。書き直しを命ずるより先にお礼を言ってもらいたい。(by Anne)

フォトマトン
証明写真なんて、所詮気に入るようには撮れていないもの。まるでダチョウのような自分の顔にげんなりする私。

2008年5月14日 (水)

世界の中心で、母が叫ぶ/その1

母の電話を切った後、私はソファーでため息をついた。あーあ。相変わらずだなぁ。もしかして母は、世界は自分が中心に回ってると思い込んでるのかもしれないと、本当に心配になる。「主人公はこの私」なんていう風に。あーあ。おめでたい人だなぁ。ふと、私は昨年の結婚式を思い出した。
昨年、友達の『趣味の良いチンドン屋』が豪華絢爛な披露宴をパークハイアットで開催した時のこと。新婦の母である『マダム・ジーザス』がスピーチをする番になった。彼女が起立し、マイクを持った瞬間、私はヒヤッとした。マダム・ジーザスにマイクを持たせたら何を口走るか分からない。日頃から自分の娘に対して、冗談とはいえ、憎たらしいだのなんだのと憎まれ口をたたいているのしか聞いたことがないし、芸術家という思想の自由人だから披露宴とはいえタブーを気にしないだろうし、これはもう、マイクを通してブタだのゴリラだのセンスがないだの、もの凄い言葉が聞こえてくるに違いない、と私は思った。横にいる主人を不安げに見ると、彼もまた心配そうに私を見た。ところが、マダム・ジーザスの少女のように透き通った声が発したのは、その声のイメージにぴったりな言葉だった。自分の娘の名前を挙げて、「ほんとうによかったわね」なのだ。その後は「よくこんな素敵な人をみつけたわね」、「あなたはしっかりしていて偉い」、「末永く幸せに」、などなど。こっちも照れてしまいそうなくらい、娘と新郎を褒めて、祝福の言葉を述べたのだった。普通、親ならそうするだろう。あの、マダム・ジーザスさえもそうしたのだ。しかし私の母は違う。「人でなし」ならぬ「親でなし」な母親を持った気持ちに私はなった。
というのも、『趣味の良いチンドン屋』に先攻して私の方のプチ披露宴を行なったのだが、その時の母のスピーチは凄かったからだ。普通なら「アンヌ、ほんとうによかったわね」と始まる筈が、「私は〜」と自己紹介に代わり、それから自分がいかに面白いお母さんかという話を長々として、プチ披露宴の主人公の座を乗っ取った母は、いよいよ最後のくだりで、「よくこんな素敵な人をみつけたわね」と新郎を褒める代わりに「私が使える人手が増えて良かった」と言って締めくくったのだった。確かにウチの家族はみんなかなりキツいブラックユーモアを飛ばす質だし、自由な形の披露宴だったからこそのスピーチだが、ギョッとした人もいたんじゃないか気になった。しかしそれ以上に、いわゆる「祝福の言葉」というものの無さに、クソ真面目な私は項垂れたのだった。それから数日後、母はパリに帰った。妹はまだウチに居候していた。妹が私のパソコンを使おうとした時、母からのメールに気付いて、「ママからメール来てるよ」と私に知らせた。私は、あれだ!と分かった。母はパリに戻るやいなや、私に電話をしてきて、「あのスピーチ、もっとちゃんと準備しておけば良かったって、後悔しちゃった。だから書き直してあなたに送っとくわ」と言ったてた。だから、書き直したスピーチをメールしてきたに違いない。流石の母も、きっと「祝福の言葉」を述べなかったことを後悔して、正統派のスピーチに書き換えたのだろう。やっぱり母も人の親だわ。私はホッとして、「どれどれ」と台所から顔を出し、妹とパソコンに近づいて読もうとした。が、すぐにまた台所に引っ込んだ。何を私は考えてたんだ、正統派なスピーチなんて、あの母が書くわけがないじゃないか。後悔したのは「祝福の言葉」を述べなかった事にではなくて、思う存分「面白いお母さん」を演出できなかったことに決まってるではないか。当然、メールしてきたのは披露宴でのスピーチをブラッシュアップしたやつに違いない。「どうしたの?読まないの?」と声をかける妹に、「どうせ同じような内容だろうから」と、そのままセッセと夕食の支度を進めることにした。つづく。(by Anne)

タピオカデザート
母は日本に来ると、日本で食べる中華が良いと言って、滞在中は中華三昧になることがある。とりわけ『銀座アスター』にはよく足を運ぶらしく、デザートにこのタピオカを食べるのが楽しみなのだそうだ。

2008年5月 8日 (木)

嫌酒家への果たし状

GW中、東京から友達が挙って軽井沢に来ていたので、夕食後ちょっと会いましょう、ということになった。昔からみんなが集まるカフェバーに20時半頃行くと、すでにみんな集まっていた。カフェオレだとか紅茶だとか飲んでいる。カフェというよりバーのイメージが強い私は、というより、ワインが好きな私は、躊躇せず白ワインを頼んだ。するとほんの少し、「ったく、KY(今ハヤリの空気読めない)なんだから」という視線が向けられている気がした。そういえば、友達のうちのひとりは、お酒を飲む人の事を軽蔑する傾向にあることを思い出した。嫌煙家というのは聞いたことはあるが、改めて嫌酒家が存在することに驚いた。しかも私の目の前に。よくぞ私と一緒に何度もディナーができたなあ、と関心する。ワインを嗜むことの罪悪感を、逆立ちしても抱けない私は、「フン!」とムキになって、ちょっと挑発してみようと、果たし状を送るべく、こう言った。「この間、従姉と2人でマグナムボトル1本空けちゃった!」。この発言をワインスクールの旧クラスメイト達に言ったとしても、暖簾に腕押し。ひとりワイン1本ぐらいあっという間に飲んでしまう彼らは、「それがどうした?」レベルの無関心な返事しか返せないだろう。マグナムボトルとは通常のワインボトル2本分だから。ところが、嫌酒家はまるでアル中の廃人を見るような目で私を見て、「ヤバイよ、それ」と言った。どうやらショックを受けたようだった。しめしめ。私は、勝利の旗を掲げたいと思った。しめしめ。おまけに飲んだのは、『Ch. Mouton Baronne Philippe 1981』。昔のch. d'Armailhacだ。超美味しかったんだから!
実はこれ、ウツボを食べる時に従姉と開けて、空けたワインだった。土佐の珍味だから、土佐のお酒をと思い、ウチの倉庫をひっかきまわしてみたが断念した。和尚様が以前に送ってくださった、司牡丹の『深尾』がまだあると思ったのに。そこで、結婚祝いで人から頂いたこのマグナムボトルを出したわけだ。ボルドーワインと八つ目鰻は合うそうだ。ウツボもイケるだろう。そう思って。でも実のところ、ウツボは日本酒が一番合うだろうし、白ワインだったらソーヴィニョン・ブラン系のものが合うだろうという結論に達した。そしてワインは食後にゆっくり楽しんだのだった。それにしても、この『Ch. Mouton Baronne Philippe 1981』、グラスに注いだ途端に、はっきりとした、カシスリキュールの香りが食卓に充満した!81年なのに元気ハツラツ。それでも味わいはまろやかで、舌がビロードに包まれるよう。ああ、そうだ、カシスとは、こんな香りだったわね、と再確認したのである。(by Anne)

ダルマイヤック81
旧Ch. d'Armailhacの『Ch. Mouton Baronne Philippe 1981』。ボルドー格付けは5級。ウチの結婚祝いに頂いたものだから、主人も少し飲んだが、あとは全部酒豪の従姉と私で飲み干した。酒豪とはいえ、従姉は最後、同じ話を3回繰り返していた。

2008年5月 7日 (水)

初ガツオならぬ初ウツボ

高知にある菩提寺の和尚様は、ときどき「里便りです」と、土佐の名物を送って下さる。一ヶ月前、母が東京に滞在していた時には、藁で炙った沢山の鰹のタタキが届き、親戚一同で感動しながら食した。それからしばらくして、母がパリに帰ったころ、和尚様からメールが。土佐にはウツボのタタキという、知る人ぞ知る名物がある、是非食べてみては如何だろうか、興味があれば送る、といった内容だった。「ウツボねぇ…」と、考えていた矢先に和尚様からの電話。「明々後日そちらに届くようにしましたから」とおっしゃる。珍味にトライするのはとても楽しい。私は嬉しくなって、クール宅急便が届くのを待ち構えていた。ウツボのタタキって、一体どんなものなのだろう?柔らかいのかな、固いのかな、美味しいのかな?ウツボの顔を想像すると、若干ゾゾッとするが、和尚様が「生前の姿は想像しないで」とおっしゃったので、余計な事は考えないよう努め、珍味のお出ましを待つことにした。いよいよ翌日ウツボが届くといったその晩のこと。私は夢を見た。
台所に立っていると、ピンポーンとベルが鳴る。「ウツボだわ!」とドアを開いて箱を受け取る。台所で開けてみる。なんだ、白身のお魚の切り身みたい。生前のグロテスクなイメージと全然違う。ホッとした。お刺身のように丁寧に薄く切る。一口食べてみる。淡白な味わいだ。結構美味しいものなのね。全部切り終えて、いざお皿に並べようとしたら、大波がやってきた。そしてウツボの切り身を全部流してしまった。大変だ!折角和尚様が送って下さったのに!私はウツボの切り身を拾いに、海女さんのように、海底へ潜っていった…。
目が覚めると汗びっしょりになっていた。翌日、ウツボが届くと、夢だったことを再確認して安堵した。いざ開けてみると、夢で見た姿とそっくりで驚いた。ほんの少し切って食べてみると、やっぱり淡白ですっきりした味わい。デジャビューだった。夢の印象と少し違ったのは、お魚というより鶏肉に近いような感じを受けたことと、ぴったりとくっついているコラーゲンだ。活力が湧く気がしてきた。するとピロピロピロと携帯が鳴った。見ると従姉からだ。「アンちゃん、今晩何してる?」とある。一緒に食事に出かけようかというつもりなのだろう。タイミングがメチャメチャ良いではないか!「ウツボ食べるからウチにおいで」と返事したら、大喜びでやってきた。ウツボを味わうのはスムーズだったが、なにせ食べ慣れないから色々な食べ物と比較したり、似せてみたりして、頭の中の食べ物メモリーにインプットさせた。かすかに後を引く独特の臭みに、そのうちハマるかもしれない。なによりも土佐便りを里便りと言って、いろいろと送って下さる和尚様の心配りにジーンとするのである。(by Anne)

ウツボのタタキ
玉ねぎと、ニンニクと、ネギと、ショウガ、と共に、添付されていた絶品のポン酢醤油で、頂いた。余った分は、翌日竜田揚げにしてみた。甘酢味噌でも美味しそう。

2008年5月 3日 (土)

2008.05.03.

イタリアンに入ってメニューを見たが、
シェフにおまかせしたいsaboriday。
(by Anne)

前菜


2008年5月 1日 (木)

甥も、芋も/その2

(つづき)要するにそのお母様の言っている事が分からないのだ。電話に出ると、いつものようにお天気の話や、健康の話から始まり、自分の娘が盲腸の手術をした時の話になった。話によると、彼女は入院中の退屈しのぎにお医者様との「火遊び」を楽しんだそうだ。挙げ句のはてにプロポーズまでされたという。しかし、入院中はまるで白馬の王子様に見えたお医者様も、退院とともにノッペラボウのただの人となり、彼女の熱はすっかり冷めたそうなのだ。そのお医者様には気の毒な話だが、以来、彼女は「入院中の火遊びのススメ」を唱えているらしい。「けっこういいわよ、だって退院したらすっかり熱も冷めるんだもの、本気になんかなりゃしないから、リスクないでしょ」と人差し指を立てて話す彼女の姿が思い浮かぶ。そこまでの話は100%理解した。電話を通して、私達は2人でケタケタ笑った。次に、友人のお母様はこう付け加えた。「あとオイモね、アレがダメだったのよ」と。私はびっくりして、「え?そうなんですか、知らなかった!」と答え、彼女は「ええ、そうよ」と平然と相槌を打った。「へえ、どうしてかしら?繊維がいけないのかしら?」と質問する私に、今度は「繊維?」と不思議そうに聞いて来た。「ええ、お芋が盲腸に良くないんだったら、繊維のせいかしら、と思って」。私がそう言うと、電話の向こうはシーンとしていた。私は変な事を言ったかしらと、「え?」と思わず声を出した。電話の向こうからも「え?」と聞こえてくる。「え?」、「え?」、「え?」、…。しばらくしてお母様は気がついて下さったらしく、「ああ、オイよ、甥、お芋じゃなくて、ね」と私を理解させて、「私の甥もね、盲腸でね、入院したことがあったのよ」と、オイモアレダメではなくきちんと説明して下さった。私はそれを聞いて一人で可笑しくなって笑いが止まらなくなったのをよそに、お母様はなお入院話を続けた。「そうそう、私もね、胆石で手術したときはね、…」と。その話は何度も聞いたから、ちゃんと聞かないでもいいや、と密かに思った。それよりさっきの甥っ子さんの話で思い出し笑いをしないようにしなきゃだわ、などと考えていたら、お母様が「あとオイモね、アレがダメだったのよ」と、またおっしゃる。「えー!?胆石でも入院されたんですか?」と私は思わず大声を出した。電話の向こうから「え?」と聞こえてくる。「あら?私が胆石やったの、知ってるでしょ?お見舞いにも来てくれたじゃない?」とお母様。「え?それは知ってますけど、まさか甥っ子さんも、とは知りませんでした」と私。「え?」、「え?」、「え?」、…。しばらくして、「あら、いやあね、今度はお芋の話よ。なんだかお芋を食べた時にはね、特に背中が痛くなってね。胆石に良くなかったみたいなのよ」と、またしてもオイモアレダメではなくきちんと説明して下さった。
甥も、お芋。あ〜、ややこしや〜、ややこしや〜。
最近、少しなだぎ武のファンになった私はつぶやいた。(by Anne)
(注意:本当の話だけど、登場人物はフィクションです。)

霧の交差点
碓氷峠を超えた向こうの交差点。深い濃霧に包まれて、信号が、赤なのか、黄色なのか、青なのか、分からない。あ〜、ややこしや〜、ややこしや〜!

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