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2008年5月14日 (水)

世界の中心で、母が叫ぶ/その1

母の電話を切った後、私はソファーでため息をついた。あーあ。相変わらずだなぁ。もしかして母は、世界は自分が中心に回ってると思い込んでるのかもしれないと、本当に心配になる。「主人公はこの私」なんていう風に。あーあ。おめでたい人だなぁ。ふと、私は昨年の結婚式を思い出した。
昨年、友達の『趣味の良いチンドン屋』が豪華絢爛な披露宴をパークハイアットで開催した時のこと。新婦の母である『マダム・ジーザス』がスピーチをする番になった。彼女が起立し、マイクを持った瞬間、私はヒヤッとした。マダム・ジーザスにマイクを持たせたら何を口走るか分からない。日頃から自分の娘に対して、冗談とはいえ、憎たらしいだのなんだのと憎まれ口をたたいているのしか聞いたことがないし、芸術家という思想の自由人だから披露宴とはいえタブーを気にしないだろうし、これはもう、マイクを通してブタだのゴリラだのセンスがないだの、もの凄い言葉が聞こえてくるに違いない、と私は思った。横にいる主人を不安げに見ると、彼もまた心配そうに私を見た。ところが、マダム・ジーザスの少女のように透き通った声が発したのは、その声のイメージにぴったりな言葉だった。自分の娘の名前を挙げて、「ほんとうによかったわね」なのだ。その後は「よくこんな素敵な人をみつけたわね」、「あなたはしっかりしていて偉い」、「末永く幸せに」、などなど。こっちも照れてしまいそうなくらい、娘と新郎を褒めて、祝福の言葉を述べたのだった。普通、親ならそうするだろう。あの、マダム・ジーザスさえもそうしたのだ。しかし私の母は違う。「人でなし」ならぬ「親でなし」な母親を持った気持ちに私はなった。
というのも、『趣味の良いチンドン屋』に先攻して私の方のプチ披露宴を行なったのだが、その時の母のスピーチは凄かったからだ。普通なら「アンヌ、ほんとうによかったわね」と始まる筈が、「私は〜」と自己紹介に代わり、それから自分がいかに面白いお母さんかという話を長々として、プチ披露宴の主人公の座を乗っ取った母は、いよいよ最後のくだりで、「よくこんな素敵な人をみつけたわね」と新郎を褒める代わりに「私が使える人手が増えて良かった」と言って締めくくったのだった。確かにウチの家族はみんなかなりキツいブラックユーモアを飛ばす質だし、自由な形の披露宴だったからこそのスピーチだが、ギョッとした人もいたんじゃないか気になった。しかしそれ以上に、いわゆる「祝福の言葉」というものの無さに、クソ真面目な私は項垂れたのだった。それから数日後、母はパリに帰った。妹はまだウチに居候していた。妹が私のパソコンを使おうとした時、母からのメールに気付いて、「ママからメール来てるよ」と私に知らせた。私は、あれだ!と分かった。母はパリに戻るやいなや、私に電話をしてきて、「あのスピーチ、もっとちゃんと準備しておけば良かったって、後悔しちゃった。だから書き直してあなたに送っとくわ」と言ったてた。だから、書き直したスピーチをメールしてきたに違いない。流石の母も、きっと「祝福の言葉」を述べなかったことを後悔して、正統派のスピーチに書き換えたのだろう。やっぱり母も人の親だわ。私はホッとして、「どれどれ」と台所から顔を出し、妹とパソコンに近づいて読もうとした。が、すぐにまた台所に引っ込んだ。何を私は考えてたんだ、正統派なスピーチなんて、あの母が書くわけがないじゃないか。後悔したのは「祝福の言葉」を述べなかった事にではなくて、思う存分「面白いお母さん」を演出できなかったことに決まってるではないか。当然、メールしてきたのは披露宴でのスピーチをブラッシュアップしたやつに違いない。「どうしたの?読まないの?」と声をかける妹に、「どうせ同じような内容だろうから」と、そのままセッセと夕食の支度を進めることにした。つづく。(by Anne)

タピオカデザート
母は日本に来ると、日本で食べる中華が良いと言って、滞在中は中華三昧になることがある。とりわけ『銀座アスター』にはよく足を運ぶらしく、デザートにこのタピオカを食べるのが楽しみなのだそうだ。

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