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2008年8月

2008年8月28日 (木)

ベルナデットの涙/その2

(つづき)ベルナデットだ!
ベルナデットとは母のフランス留学時代以来の友人で、哲学の教授かなにかで、専門は確かサルトルとボーヴォアールだったと思う。要するにインテリだ。母が留学を終え、日本に帰った後も手紙を通じて彼女との友好を深めていた。そしてまた久し振りにパリに行くことが決まり、その知らせを受けて喜んだベルナデットは空港まで迎えに来てくれると言った。恐らくまだ私が九つか十かの頃だ。その頃フランス人の来客が多かった当時の東京の我が家で、私は母から散々忠告を受けていた。「フランス人から何か頂いたら恥ずかしがらずにすぐメルシーと言いなさい」、「メルシーの後には必ず相手の人の名前を付けて。いいわね?」、「そしてすぐにプレゼントを開けなさい。喜びは直ぐ表現した方が良いから」、「フランス人は、感謝の気持ちを伝える事に厳しいからね」、「決してプレゼントを頂いて悪がっちゃだめよ」、「『ごめんなさい』じゃないのよ」、「何よりも先に『メルシー』よ」、「そしてほっぺたにキスよ、いいわね?」…。私は「うん」と返事をしながら、「毎回、そんなに口を酸っぱくして忠告しなくても『メルシー』ぐらい簡単、簡単。それにプレゼントは正直直ぐに開けたいし」と内心でニンマリしていた。お陰で私は、フランスに渡ってフランス語を習得するずっと前から、あの痰が絡んだような独特のRの発音をすでにマスターしていたのだった。「メルシー、ピエール」、「メルシー、パスカル」、「メルシー、パトリック」…。ほら、上手に言えたでしょ?私は得意だった。しかし、そんな母のメルシー忠告以上に頻繁に聞かされたのは、そのベルナデットが空港に車で迎えに来てくれた話だったのだ。
無事に飛行機が東京と発ったのは良いが、久し振りに行くフランスに心を踊らせているというのに、飛行機が大幅に遅れてしまっていた。機内で母は何度も腕時計を見ながら、パリの空港で待っているベルナデットを思った。「待たせちゃって悪いわぁ」、「ああ、もう2時間も待ってくれているに違いないわ」、「きっと待ちくたびれてるでしょう、本当に悪いわぁ」…。申し訳なくて、申し訳なくて、おちおち寝ても居れなかった。結局飛行機は6時間近く遅れてパリの空港に到着した。長旅の疲れを感じることもせず、母はベルナデットが待っている到着ロビーの出口へと向かった。人ごみの中に栗色の髪をしたベルナデットを見つけると、母は息を切らせながら「ああ、ごめんなさい!本当にごめんなさい。随分待ったでしょう?」と謝った。ベルナデットはにっこり笑って「大丈夫よ。それより元気?会えて嬉しいわ。キスしましょうよ」と言って、挨拶のキスをしようと頬を近づけてきた。母はキスを忘れていたことにハッとして、慌てて頬を彼女の頬に寄せた。「元気よ。でも本当にごめんなさいね。待ったでしょう…」。母はどう償えば良いか分からないくらい申し訳ないと思っていた。ベルナデットの白いルノー・キャトルに乗ると、パリ市内に向けて高速を走り出した。助手席に座った母は、あれだけ待たせた上にこうして運転してもらっていると、一層申し訳なく思った。「ベルナデット、本当にごめんなさいね」。謝る母に彼女は「気にすることないわ。だってあなたのせいじゃないもの」と優しく言った。「そうだけど、でも、悪いわ、あんなに待たせちゃって」。「もういいじゃない、無事に到着したんだから」。「そうは言っても、ごめんなさいね。ほんとうに悪かったわ」。母は何度も何度も謝った。そのうちベルナデットは返事をしなくなった。母はより一層申し訳ないと思った。「ごめんなさい」、「ごめんなさい」、「ごめんなさい、ベルナデット」…。ルノー・キャトルはパリ市内に入り、赤信号で止まった。「悪かったわ、ベルナデット…」。そう言い続ける母を、一つ小さなため息をついてから、ベルナデットはキッと見つめた。「いい加減にして。遅れたのは飛行機のせいよ。あなたはさっきから『ごめんなさい』しか言ってないわ。久し振りだというのに、一言も私に会えて嬉しいって言ってくれてないじゃない!」。はっきりとした発音の、奇麗なフランス語。その目には涙が滲んでいた。そうだった、これがフランス。「ごめんなさい」よりも「ジュ・テーム」。恋人のみならず、大切な人に対してきちんと愛情表現をしないなんて、ろくでもない。人でなしに等しい、そんな国なのだ。そう母は痛感したのだった。
ここまで書いて、時計を見上げるともう夜の11時。そろそろ主人が帰ってくる。今日はワインを飲んでいないから駅まで車で迎えに行こう。だけど車に乗り込む彼にいきなり「愛してるわ」と日本語で日本語で言うのは難しい。きっと2人で吹き出してしまうだろうから。(by Anne)

お迎えに


2008年8月26日 (火)

ベルナデットの涙/その1

オリンピックは終わった。中でも、陸上競技、とりわけ棒高跳びには完全に目を奪われてしまう。あの、一瞬、天に上るような伸びやかな動きを観ていると、幻想的な世界に心を奪われるように恍惚としてしまうのだ。けれど、ウチの主人に、金メダリストのイシンバエワ選手を、奇麗だ、奇麗だと連呼されると、意地になってハンマー投げに気を移した。室伏選手ってカッコイイ。負けじとそう言ってみたが、効果はないようだった。それにしてもテレビのインタビューで、日本の選手の「支えてくれた家族やコーチ、ファンの皆のお陰だ、感謝している」という返答が多かったように思う。感謝の気持ちって大切だなぁ、と改めて教わる傍らで、果たしてこれは国柄なのだろうかと疑問に思ってきた。中国の選手だったらどう言うだろうか?アメリカだったら?エチオピアだったら?フランスだったら?一見自己中心的に見えるフランス人も感謝の気持ちを述べるだろうか?そういえば映画際の授賞式とかでは、「この映画を作れたのは妻の…」のみならず、「スタッフの」お陰だとよく言っているから、多分フランスのオリンピック選手達も同じような事を言っているのかもしれない。いや、フランスといえば、そういえば、そういえば、「ありがとう」の国だった。「Merci(メルシー)」の。
こんなことがあった。以前にある会社の経営者の方とランチをした時の事。その方はフランスでの仕事を終えて帰ってきたばかりだった。初めて直接フランス人と仕事をしたからだろう、やり取りに苦労したというエピソードを面白可笑しく語って下さった。何が問題だったかというと、お互い母国語でない英語で会話をしないといけないもどかしさではなく、「モラルの違い」だったそうだ。「信じられないよ。やつらは平気で嘘をつくんだから。明らかにやってない事もやったと言うんだから。そして絶対に謝らない…」。そうとう呆れてしまっていたのだろう。「やつらにはモラルがないんだ。人間として恥ずかしい」とかなり批判的な感想にもなった。私はフムフムと聞いていた。なるほど、確かにフランス人はそういう所もある。というか、大いにある。彼らはいかに自らの主義主張を肯定するかが勝負、という教育を受けてきたから、自らの非を認めるのは最後の最後、と言っても過言ではないんじゃないか。けれど、その方の発言を聞いて「そうだわぁ〜」と思いながも、どういう訳か「本当にそうですよね」と相槌を打てなかった。100%同調できない。何かがひっかかる。何だろう?私は家に帰るまでずっとその事を考えていた。家に着いて、ぼんやりと昔フランスに関する本をめくっていたら、ある車のシーンを思い出した。あ!そうだ、100%同調できなかった理由はこれだ!つづく。(by Anne)

フランス7つの謎
最近読んだフランスに関しての本『フランス7つの謎』(著:小田中直樹、出版社:文春新書)。この手の表紙の本はきっと難解なんじゃないかという偏見があるけど、読んでみるとそんなことはない。けっこうフランクで面白い。


2008年8月22日 (金)

マジック・アワー/その2

(つづき)要するに『マジック・アワー』が面白かったというだけの話なのに、オーバカナルのテラスで友達の「趣味の良いチンドン屋」に、そんなふうにだらだらと、語っていた。夕立が来そうな昼下がり。暑くて気持ちが緩んでいるのか、レモンタルトに夢中なのか、キレのない私の話に珍しく突っ込んでこない。聞いてなかったのかしら?疑いたいぐらいであったが、私も気にせず、自分のプレートに没頭することにした。食べ直しのプレートである。ランチに頼んだブイヤベースが、大きなお皿に雀の餌ほどの量しかなくて、そのケチ臭さに腹を立てた私は、某有名シェフのレストランを出る時、「ごちそうさまでしたぁ〜」の代わりに「おなかすいたぁ〜」と言って出てきた。あまりに欲求不満だったのでオーバカナルに移動し、「趣味の良いチンドン屋」は大きなレモンタルト、私はケチなブイヤベースを忘れるために、同じような魚のプレートを選んだ。とはいえいくらなんでも2回もランチをするなんて、危険、危険。夜は控えよう。そう思った頃、「趣味の良いチンドン屋」は口を開いた。「そうなのよ、三谷幸喜の作品って面白いのよね」。なんだ、私の話は聞いていたんだ。「よく見に行くわよ、前にもゴッホとゴーギャンの話のお芝居を観に行ったわ」。「ゴッホとゴーギャン?ああ、喧嘩するやつ?」と私は魚とラタトゥイユをフォークにさしながら相槌を打った。「そう、そう、仲悪かったじゃない?えっと、もう一人誰だっけ?仲を取り持っていた人」。宙を仰いで、人名を探している様子の彼女に、「セザンヌでしょ?」と答えた。「あ、そっか、セザンヌね」と彼女。「そうじゃない?彼も南仏だし」と私。「でも、彼もキャラ強そうよ!きっとセザンヌじゃないわよ」。「そう?じゃあ、あれだ、南の島に行っちゃった人」。「だから、それはゴーギャンよ!」。「あ、そっか、じゃあ、誰だったけ?」…。うーん。私たちは黙りこくった。オーバカナルのテラスで、足を組んで、腕を組んで、首をかしげたり、宙を仰いだり。必死になってもう一人の画家を思い出そうとしていた。片方は、有名な彫刻家の娘でソルボンヌの美術史卒。もう片方はフランスの勲章まで授与した美術評論家の儘娘。とてもそんな2人の会話だと思えない。「良かったわ、誰にも聞かれなくて」と辺りを見渡した私たちであった。しかしそんな間抜けな姿を、私は書かないではいられない。(by Anne)


『マジック・アワー』のストラップ
結局ゴッホとゴーギャンの仲を取り持っていたのはスーラ、と言いたかった私たち。三谷幸喜の作品『コンフィダント・絆』には、もうひとりシュフネッケルが登場する。

2008年8月21日 (木)

マジック・アワー/その1

先日、ワイン友達の「ビー玉」と「アイドル」と共に、夕方からシャンパーニュ7種をティスティング&飲み比べるという会に参加してきた。そもそも私のワイン友達は白や赤ワインよりも泡を好んで飲むので、私も頑固なボルドー派だったのが、今じゃすっかり影響されてスタートでもしっかり泡、〆にも泡、その間も泡ならなお良いと言うようになってしまった。カジュアルな時はCAVAやスプマンテで済ますけれど、やっぱりシャンパーニュは香りをかぐだけでもうっとりする。と、いうわけで、そのシャンパーニュの会のお誘いに積極的に参加した。丁度日が沈んで、青と赤に染まった空の光が銀座のビル郡を照らす頃、「アイドル」と映画の話をし始めた。シャンパーニュに気を取られていたので、何の映画の話をしたのかあまり覚えていないのだが、彼女が『マジック・アワー』(監督と脚本:三谷幸喜)は面白かった、と言ったことだけはなぜか、その翌日日比谷のシャンテ・シネの前を通った時に思い出した。そこでどれどれ、観てみようか、と軽い気持ちで入場したのだが、映画館を出る頃には完全にやられて、その余韻は翌日まで続いた。物語が進行すればするほど面白い。規模もジャンルも違うけど、スピルバーグさながらアイデアの連続。言葉の面白さを存分に披露しているのと同時に、佐藤浩市の役者としての面白さも120%見せられてしまった。翌日、主人とランチをしていても『マジック・アワー』の台詞や佐藤浩市の仕草を所々思い出しては、薄ら笑いをしていたくらいだ。気味が悪いと言われも仕方がないが、だったら観に行こう、と主人を引っ張って、またしてもシャンテ・シネに入場することにした。要するに私は2日連続で観たというわけだ。シャンパーニュを片手にしたマジック・アワーにすっかり魔法をかけられてしまったのかもしれない。今だって、もう一度、観たいと思っている。そういえば、アン・リー監督の『ラスト・コーション/色・戒』も2回目はここだった。どうやら、この映画館は私が癖になる作品を上映することが多いのかもしれない。つづく。(by Anne)


ルイーズ
シャンパーニュの会で、最後に特別に出てきたポメリーの『キュヴェ・ルイーズ』の89年。泡はまだきめ細かかった。


2008年8月 8日 (金)

マイコサクラ失踪事件/その2

(つづき)「ニニ、ちょっと待って!」。包丁を置き、火を止めて、エプロンで手を拭きながら母はニニの後を追った。「ここ、開けて、開けて!」ニニはドアをガリガリと掻いた。開いてやると、芝生の上をタッタッタッと駆けて、外の空気を匂ってみている。そして、くるりと母の方を向くと、「こっちかもしれないよ、ついてきて!」と言って、池の茂みの方へ向かった。母はニニに案内されるまま、しばらく探し回ったが、マイコサクラは見つからなかった。「ニニ、もうお家に入りましょ。きっとじきに戻ってくるわよ」。そう言う母に、ニニは納得がいかない様子をみせながらも家の中に戻った。母はまた台所に立った。ニニもまた台所の流し台に乗り、母がニンジンを切るのを見つめていた。けれど、心ここにあらず、といった風。しばらくしてニニは、母の顔をジッと見て、「ねぇ、かあさん、お家の中も探してみようよ。どこか押し入れの間に挟まれちゃって出て来れないのかもしれないよ」。そう言うと、流し台からピョンと下りた。「こっち、こっち!」。母はまたニニの後を着いて行った。追いつくとすばしっこく階段を上り、「こっち、こっち!」と母を案内する。「屋根裏部屋のミシン台の下かもしれないよ」。「アンヌの部屋の、ダンボールの間かもしれないよ」、「かあさん達のベットの中で寝てるかもしれないよ」…。ニニは次から次へと母を連れ回し、マイコサクラを探し出そうとした。けれど見つからない。さすがのニニもくたびれたらしく、しばらくしたら暖炉の前でぐっすり朝まで寝てしまった。
翌朝、母は朝食の準備をしながら、台所の窓から庭を見つめ、マイコサクラのことを思った。どうしちゃったのかしら?いつもならどんなに外に出かけていっても、朝までには帰ってくるのに…。誘拐されたのかしら…?だったら悲しいわ…。すると、朝露に濡れていっそう緑色に輝いている芝生の上を、2匹の猫がこっちに来るのが見えた。よく見ると、ニニだ。そしてニニの後ろをマイコサクラが歩いている。母は庭のドアへ向かうと、マイコサクラは何事も無かったように家の中に入り、ニニは「連れて帰ったよ」と言いたそうに小さく「ニャ」と鳴き、目配せした。
「結局ニニが連れて帰ってきてくれたのよ!」。電話で一部始終を話した母は少し興奮して笑っていた。私は、母がニニばかり可愛がってるとマイコサクラが思いこんでいたら…、と想像した。だから「ふてくされちゃったんじゃないの?」と聞いてみた。母は、「そうなのよ、そうだったみたいなのよ。人間みたいで可笑しいわ」とずっと笑っていた。
前の夜暖炉の前で寝てしまったニニは、明け方になってふと、またマイコサクラのことが気になり、目を覚ました。まだ薄暗い部屋の中に細い朝の光が差し込んでいる。ニニは急に立ち上がった。「裏庭のドアが半開きになってるんだ!」ニニはドアをすり抜け、急いで外に出てみた。早朝の涼しい風にあたると、はっきりと思い出した。「そうだ!あそこだ!あそこに違いない!」。前にマイコサクラが、こっそりと教えてくれた場所。「『ここに居るととっても落ち着くのよ』って言ってた場所!」。ニニは裏庭の隅っこにある、お墓めがけて走って行った。先代、アスチュのお墓だ。その墓石の脇のエニシダの茂みに、きっと、きっと、姉さんが居るに違いない!アスチュのお墓を跨ぐ時に、少し会釈をして、ニニはエニシダをかき分けた。「姉さん?」ニニがそっと声をかけると、「ニニ?1人なの?」と小さな声が帰ってきた。やっぱりここだったんだ!ニニは嬉しくて嬉しくて、「姉さん、帰ろうよ!帰ろうよ!母さんも心配してたよ」とはしゃいだ。でもマイコサクラは「いやよ!」とそっぽを向いている。「だって、母さんたら、昨日私たちのお手洗いを掃除しなかったのよ。汚いのは嫌!だから仕方なく、暖炉のところで…。灰がいっぱい積もってたから、良いと思って…。なのに、なのに…。」マイコサクラはしくしく泣き始めた。それでも続けた。「なのに、なのに、あんな剣幕で怒るんですもの!酷いじゃない!」。ニニはしばらく姉さんのそばで落ち着くのを待った。どのくらい時間が経ったのだろう…。「姉さん、もう帰ろう。母さんが心配してるよ…。ね?ね?」マイコサクラは、ゆっくりと涙を拭って顔を上げ、そして小さく言った。「そうね」。(by Anne)


アスチュと
先代アスチュの写真が、不思議な事に一枚しか出てこない。沢山撮ったのに、どこへ行ったのだろう?マイコサクラとの血の繋がりはないが、アスチュも人間嫌い。ちょっと撫でても、ちょっと抱っこしても、嫌がることの多かったこの先代は、しかしながらゆったりお姫様ではなかった。一匹狼(?)で野性的。ハンターとしての腕前はバツグン。女々しいところは一つもない、ジャンヌ・ダルクのようだった。ちなみにアスチュも私もアメリカンショートヘアもどき。

2008年8月 7日 (木)

マイコサクラ失踪事件/その1

娘2人はとうの昔に家を出て、居候していた若い学生も一人暮らしを始め、とうとう飼っていた猫のアスチュも昨年天国へ行ってしまった。そんな私の実家は、なにか寂しいというよりも物足りない、と母は思ったらしく「やっぱり猫をまた飼うことにしたの」と電話口で言った。今年の春のことだ。近所のお宅で猫3匹生まれたという知らせを受けて、そのうちの1匹が欲しかった黒猫だというから、母は飛んで行ったそうだ。ところが、そのお目当ての黒猫はとっくに貰い手がついていたらしい。だったら、と言って、母は2匹連れて帰ってしまった。黒猫がダメなら2匹という発想は普通なかなかしないものだが、母の場合は大いにありうるのだ。ああ、やっぱりまた2つだわ、と家路についたという母の話を聞いて、私は、やっぱりね、だった。なにせ、買い物にでかければ、なんでもかんでも同じものを2つ買う癖があるのだから。(2007年8月10日付けのブログ『私のビョーキ』参照)
やってきた2匹の猫は、ニニとサクラ。妹のニニはやんちゃで姉のサクラはお姫様の様だという。(2008年4月2日付けのブログ『春うらら、うわの空/その2』の写真参照)
ところが、途中からサクラの名前を母は変えてしまった。マイコにしたという。「だってフランスっ人たら、みんなサクラのラをLで発音しないでRで発音するんだもの。喉をゴロゴロ鳴らして『SAKOURA』なんてなんだか汚らしくて」。そして、ニニは人懐っこくていつも自分の後を付いてきて、かわいくってかわいくってしょうがない、と言い、サクラならぬマイコは人間嫌いで、抱っこされようとしないお澄ましで、あまりかわいくないとでも言いたそうだ。そう電話口で聞くと、サクラならぬマイコを不憫に思った。主人に十分かわいがられないで、さらに名前まで勝手に変えられて。お姫様キャラならプライドも高い筈。ふてくされて余計人間嫌いにならないと良いな、と密かに私は願った。
8月に入り、フランスがヴァカンス一色になっただろう頃を見計らって、パリの実家ではなく、ノルマンディーの家に電話を入れた。一回ブルルと鳴っただけで、母は出た。やはり休暇を取っていたようだ。暑中見舞いというより、私は用があって電話をしたのだが、母は私だと分かると「ちょっと!昨日、大変だったのよ!」と叫び始めた。私の用件も聞かずに。うっかり母の話に巻き込まれて、肝心の用件を話さず終いになってしまわないように、目の前にあった領収書の裏に用件をメモしてから、「どうしたの?」と聞いた。「昨日、マイコが居なくなっちゃったのよ、心配したわぁー」。マイコ…、ああ、サクラか!マイコサクラね。ややこしいので私はダブルネームで呼びことにした。
その日は、日中、ニニとマイコサクラは庭で遊んでいた。しかし夕方になって気がついてみるとニニしか庭にはいない。どうしたのかしら、と母は思った。「でも、きっとじきに戻ってくるでしょ」と気にせず、夕食の準備を始めた。蛇口をひねる音がすると、ニニが飛んでやってきた。「わぁ、お料理始めるの?」「わぁ、お水がポトポト落ちて面白ーい!」「わぁ、このオレンジ色の長いの、なぁに?」と、横から母の顔をチラチラ見ながら聞いてくる。台所が面白くて仕方がないらしい。「これはね、ニンジンっていうのよ」と母。また娘ができたかのように楽しんでニニに教える。ふと時計を見上げると、もう夜の8時になっていた。夏時間のトリックで、まだまだ夕方のようだった。「それにしても遅いわね、まだ帰ってこないわ…」。母がマイコサクラを心配し始めると、ニニもそわそわし始めた。「ねえ、ねえ、お庭に探しに行ってみない?」ニニはそう言って、ピョンと流し台から飛び降りると、一目散に裏庭のドアの方へ駆けて行った。つづく。(by Anne)

Maikosakura en paix
マイコサクラはゆったりしているので写真に撮りやすいそうだ。これはカール・ロイターヴェルスというスエーデン人の作品『結ばれたピストル』で、平和のシンボルとして国連本部にも置かれている物らしいのだが、なぜかマイコサクラは大好きで、いつも握りしめている、と母は言う。

2008年8月 2日 (土)

2008.08.02

お行儀のsaboriday。
姦しい3人が集まれば、
お皿の上も戦場と化す。
(by Anne)


プロフィテロル
プロフィテロルは3つお皿にのっていたのに、なぜか急いでがっついた3人。


2008年8月 1日 (金)

けっこうです!

先日、暑さにやられて真っ昼間に家でゴロゴロしていたら、ピンポーンとベルが鳴った。デリバリは済んだし、大家さんかな、誰かな、とぼんやり考えながら出た。「はい」。すると、インターフォンの向こうでひと呼吸おいてから、「あの」と話始めた。男の声。明らかに他人だ。セールスか勧誘に決まってる。そういう場合、私は必要以上に防衛する。決してひっかかるまい。決して。話を聞いてうっかり「ハイ」と相手の思う壷の返事をしたら大変だから、話は聞かないことにしている。最初から「ウチはけっこうです!」と言えばいいのだ。私はその決まり文句を喉元に準備して、もう一度インターフォンの男に「はい、なんでしょう?」と尋ねた。「あ、あの、テレビでお馴染みの○○ですけど…、」。オッ!!!某有名保険会社だ!セールスだ!私は相手が話を続けようとするのを遮って、必要以上にキツイ口調で「ウチはけっこうです!」と言ってインターフォンを切った。ついついキツい口調になってしまうのは、押し売りされたらどうしようかという不安がよぎるからだが、単に断れば良い話で、わざわざ感じの悪い口調になる必要もないわよね、と後から反省するのであった。ともあれ、セールスとピンと来て、当たりだったから良かったものの、決まり文句の「けっこうです」をのっけから言っても当たりじゃないこともあるから難しい。
つい2ヶ月前のことだ。家で食事の準備をしていると、お向かいのお宅の玄関先をウロウロしている中年男性が見えた。ん?なんだか怪しい。でもジッと観察するのもいやらしいので、そのまま食事の準備を続けた。するとお向かいのお宅から声が聞こえた。チラッと見ると、先ほどウロウロしていた男性がペコペコしながら、玄関先のお向かいのおじさんに何か話している。私は、きっとセールスだわと思い、また食事の準備を続けた。しかし、一向に話し声は止まない。またチラッと見ると、お向かいのおじさんもペコペコして、なにやら紙を受け取っている。あら、セールスにひっかかっちゃったのかしら?しっかりしてそうなおじさんなのに…。すると、セールスマンらしき男はお向かいのお宅を離れ、右見て左見て、道の安全を確認してから、ウチの方に渡って来るではないか!うわー、ウチにもセールスマンが来ちゃう!私はお鍋の火を消して、「ウチはけっこうです」を喉元に準備し、インターフォンの前で待ち伏せた。ピンポーン!やっぱり来たか!私は防衛体制に入り、インターフォンの受話器を取って、キツいトーンで「ハイ」と出た。「あのう…」。中年男性の声だ。やっぱりさっきのセールスマンだ。「なんでしょう?」、とまたもやキツい口調で。「あのう、東京なんとかかんとかで、なんとかかんとかの者ですが…」。なんだかよく分からないけど、どうせセールスでしょ。そう思った私は、さあ、いくよ、と心の中でかけ声をかけて、力強く「ウチはけっこうです!」と言った。中年男性は一瞬怯んだのか戸惑ったのか、「え!」と言い、それから数秒「あのう…」と続けようとしたのも束の間、諦めた様子で「じゃあ、ご案内を郵便受けに入れときますんで」と言って去っていった。しめしめ、追っ払ってやったゾ!私は満足した。しばらくして、何のセールスだったのか正体が知りたくなって、郵便受けをのぞきに行った。すると中には、「電気工事へのご協力のお願いについて」という紙が入っていた。近所で長期に渡る管路整備工事が実施されるので、その報告とお詫びだった。わざわざ一軒一軒、人が挨拶して回っていたってことか!ああ!なんてこと!ごめんなさい!とんだ勘違いでした!(by Anne)

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