ベルナデットの涙/その2
(つづき)ベルナデットだ!
ベルナデットとは母のフランス留学時代以来の友人で、哲学の教授かなにかで、専門は確かサルトルとボーヴォアールだったと思う。要するにインテリだ。母が留学を終え、日本に帰った後も手紙を通じて彼女との友好を深めていた。そしてまた久し振りにパリに行くことが決まり、その知らせを受けて喜んだベルナデットは空港まで迎えに来てくれると言った。恐らくまだ私が九つか十かの頃だ。その頃フランス人の来客が多かった当時の東京の我が家で、私は母から散々忠告を受けていた。「フランス人から何か頂いたら恥ずかしがらずにすぐメルシーと言いなさい」、「メルシーの後には必ず相手の人の名前を付けて。いいわね?」、「そしてすぐにプレゼントを開けなさい。喜びは直ぐ表現した方が良いから」、「フランス人は、感謝の気持ちを伝える事に厳しいからね」、「決してプレゼントを頂いて悪がっちゃだめよ」、「『ごめんなさい』じゃないのよ」、「何よりも先に『メルシー』よ」、「そしてほっぺたにキスよ、いいわね?」…。私は「うん」と返事をしながら、「毎回、そんなに口を酸っぱくして忠告しなくても『メルシー』ぐらい簡単、簡単。それにプレゼントは正直直ぐに開けたいし」と内心でニンマリしていた。お陰で私は、フランスに渡ってフランス語を習得するずっと前から、あの痰が絡んだような独特のRの発音をすでにマスターしていたのだった。「メルシー、ピエール」、「メルシー、パスカル」、「メルシー、パトリック」…。ほら、上手に言えたでしょ?私は得意だった。しかし、そんな母のメルシー忠告以上に頻繁に聞かされたのは、そのベルナデットが空港に車で迎えに来てくれた話だったのだ。
無事に飛行機が東京と発ったのは良いが、久し振りに行くフランスに心を踊らせているというのに、飛行機が大幅に遅れてしまっていた。機内で母は何度も腕時計を見ながら、パリの空港で待っているベルナデットを思った。「待たせちゃって悪いわぁ」、「ああ、もう2時間も待ってくれているに違いないわ」、「きっと待ちくたびれてるでしょう、本当に悪いわぁ」…。申し訳なくて、申し訳なくて、おちおち寝ても居れなかった。結局飛行機は6時間近く遅れてパリの空港に到着した。長旅の疲れを感じることもせず、母はベルナデットが待っている到着ロビーの出口へと向かった。人ごみの中に栗色の髪をしたベルナデットを見つけると、母は息を切らせながら「ああ、ごめんなさい!本当にごめんなさい。随分待ったでしょう?」と謝った。ベルナデットはにっこり笑って「大丈夫よ。それより元気?会えて嬉しいわ。キスしましょうよ」と言って、挨拶のキスをしようと頬を近づけてきた。母はキスを忘れていたことにハッとして、慌てて頬を彼女の頬に寄せた。「元気よ。でも本当にごめんなさいね。待ったでしょう…」。母はどう償えば良いか分からないくらい申し訳ないと思っていた。ベルナデットの白いルノー・キャトルに乗ると、パリ市内に向けて高速を走り出した。助手席に座った母は、あれだけ待たせた上にこうして運転してもらっていると、一層申し訳なく思った。「ベルナデット、本当にごめんなさいね」。謝る母に彼女は「気にすることないわ。だってあなたのせいじゃないもの」と優しく言った。「そうだけど、でも、悪いわ、あんなに待たせちゃって」。「もういいじゃない、無事に到着したんだから」。「そうは言っても、ごめんなさいね。ほんとうに悪かったわ」。母は何度も何度も謝った。そのうちベルナデットは返事をしなくなった。母はより一層申し訳ないと思った。「ごめんなさい」、「ごめんなさい」、「ごめんなさい、ベルナデット」…。ルノー・キャトルはパリ市内に入り、赤信号で止まった。「悪かったわ、ベルナデット…」。そう言い続ける母を、一つ小さなため息をついてから、ベルナデットはキッと見つめた。「いい加減にして。遅れたのは飛行機のせいよ。あなたはさっきから『ごめんなさい』しか言ってないわ。久し振りだというのに、一言も私に会えて嬉しいって言ってくれてないじゃない!」。はっきりとした発音の、奇麗なフランス語。その目には涙が滲んでいた。そうだった、これがフランス。「ごめんなさい」よりも「ジュ・テーム」。恋人のみならず、大切な人に対してきちんと愛情表現をしないなんて、ろくでもない。人でなしに等しい、そんな国なのだ。そう母は痛感したのだった。
ここまで書いて、時計を見上げるともう夜の11時。そろそろ主人が帰ってくる。今日はワインを飲んでいないから駅まで車で迎えに行こう。だけど車に乗り込む彼にいきなり「愛してるわ」と日本語で日本語で言うのは難しい。きっと2人で吹き出してしまうだろうから。(by Anne)