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2009年12月

2009年12月21日 (月)

江戸っ子、パリっ子/その2

(つづき)そんなことがあってから、パリジャンらしい会話とは、と今まで耳にしたのを思い出してみると、もしかして、これって、江戸っ子気質と似てるかもしれないと感じるようになった。どうだろうか?例えば。。。
ケース・スタディその1。
生まれも育ちもカルチエ・ラタンの、実家に来るお手伝いさんシモーヌの発言。
私が久し振りにパリに着いた日の事。シモーヌに会うと、元気か、とか、会えて嬉しいだとか、は言わない。(以前、ブログに書いたベルナデットの話とは違う。ここでは、生粋のパリっ子の話。フランス人の話ではない。)私の顔をチラリと見て、バケツと箒を手に背中を向けると、まるで捨て台詞のように、「へえ!あんた、わざわざパリに、迷子になりに来たってわけかい!」と言ったことがあった。当然、野暮な私は、空虚な笑みを浮かべ、「そうなの」と、退屈きわまりない返事を一言。情けないったらありゃしない!
彼女の発言はいちいちエスプリが利いていて、毎回メモしておこうと思いつつ、この一件しか記していないのが、非常に残念だ。
ケース・スタディーその2。
肉屋での話。アフリカ系のおばさんが買い物に来ていた。ソーセージを注文し、その後に「シュークルート(キャベツの酢漬け)」を売ってるかどうか、肉屋の兄ちゃんに尋ねた。すると、「ああ、残念ですね、ここにシュークルートがあるわけがないじゃないですか!」だ。それを耳にした私はギョッとして、兄ちゃんを見た。なんて意地悪な言い方をするんだろう、と。もしかしたら人種差別主義者なのかしら、と。アフリカ系のおばさんも言葉を無くして佇んでいる。兄ちゃんは包丁を研ぎ終わると、「ほらよ!」とショーケースをたたき、シュークルートが入ったバケツを見せた。なんだ、あるじゃん!アフリカ系のおばさんも、「ああ、あるのね!」。彼女も同じ感想を持ったかは分からないが、私はまたしても自分の野暮ったさに呆れてしまったのだ。パリっ子は、あって当然の場合、あるわけないじゃないか、ということがある。でも、私からしてみれば、肉屋なんだから、いくらシュークルート料理用のソーセージを売っていてとしても、キャベツの酢漬けそのものはむしろ八百屋に行った方がありそうだと思ってしまう。だから、あるかどうか尋ねたくなるし、ないと言われたら素直にないんだ、と思うのだ。アフリカ系のおあばさんの気持ちが良く分かる。しかし、彼女がパリっ子だったら、あると分かった時点で、いったいどんな返事をしただろう。きっと一捻り、皮肉をたっぴり込めた、気の利いた一言が口を突いて出るのだろう。
ケース・スタディーその3。
海老坂武氏の著作に、パリっ子独特の会話の一例が記してあった。それは彼がチーズ屋に入った時の事。「すみません、チーズを買いに来たのですが。。。」と言ったら、「それは良いアイディアですね」と返されたという話。そういった場合、他にも、「あら!丁度良いお店に入りましたね!」とも言われることも。ともあれ、パリっ子にとっては、チーズ屋に来たお客なんだからチーズを買いに来たぐらい知ってるわい、という気持ちを皮肉ってるわけだが、日本人の私達からしてみれば、野暮も承知だが、どのチーズにしようか決めかねて、なんとなく言ってみただけなのに、といった思いが残る。
などなど、また思い出したら書くけれど、このパリっ子の皮肉っぽい感覚って江戸っ子っぽくないだろうか?
一昨日も3代続いた生粋の江戸っ子、「ライオンギャング」の家に遊びに行って再確認したわけだが、彼のマシンガントークにやられて具体的には何ひとつ覚えていない。いったいどんなところがパリっ子っぽいの?と思う皆さんのために、今度はちゃんとメモして帰ります。はい。
(by Anne)

シュトーレン
ライオンギャング宅で食べたシュトーレン。Pâtisserie Sourireのもの。やっぱりここのお菓子は美味しい!
http://www.patisserie-sourire.com/pc/


2009年12月10日 (木)

江戸っ子、パリっ子/その1

これまた臨月、パリの実家で過ごしていた時の事。
「そうよ、だからメルシー、なんて言ったらダメよ」。
そう母が言って、私達はお腹を抱えて笑った。パリでメルシー、要するに、ありがとう、と言ったらダメだという結論だった。お礼を言ってはいけないなんて、そんな不届きなシチュエーションがあるものか、とパリの道徳観を疑いたくなるだろう。しかし、『パリのエスプリ』というものが、とどのつまり『お礼を言わない』なんだと、私の目から鱗をはがした肉屋の兄ちゃんがいたのだった。
そう言うとパリジャンの印象が悪くなるし、けっして彼らに感謝の気持ちがないわけではないので、誤解を招かないためにも是非続きを読んでほしい。
とある夕方のこと。私は実家の近所の商店街へ買い物に出かけた。古くからある商店街で、中でも特別美味しい肉屋と、特別美味しいパン屋は有名だ。ある時なんかは、パン屋の方にわざわざ南仏から買いだめに来たという人もいたくらいだ。肉屋の方は母のお気に入りで、もう一軒別の肉屋には見向きもしない。しかし、そのもう一軒別の肉屋こそ、ザ・パリジャン、エスプリの利いた会話が飛び交う店だったのだ。
思い返せばその時の私の大きなお腹は本当に重かった。まるでアヒルのように歩いていた私は、少しでも歩行距離を狭めようとして、近い方の肉屋、つまり母が見向きもしなかった、もう一軒別の方に入った。大好物のブーダン・ブラン(豚肉とクリームを混ぜ合わせたソーセージのようなもの)がショーケースの前列に顔色よく並んでいたので、買って帰った。食べてみるとトリュフがほどよく香って、上出来。家族みんなで感激して頬張った。母も、その肉屋を見直した。是非この感動を伝えたいと、明くる日肉屋で兄ちゃんを呼び寄せた。兄ちゃんは、私に気付いても相変わらず無愛想。にこりともしない。
私の方は、愛想の良い東洋人らしく大きく笑って、「昨日のブーダン・ブラン、とっても美味しかったわ」と伝えた。
兄ちゃんは、ニヒルな笑みさえも浮かべず、もっと言うと、やや不機嫌な表情で、「あ、そ。じゃあ、後でここに寄るんだね」と返した。後でまたブーダン・ブランを買いに来るんだね、と決めつけた言い方。
ありがとう、はない。
その瞬間、ハッと気付いた。これが、パリのエスプリ。褒め言葉に対して、単に「ありがとう」では、野暮なのだ。私は瞬時に気の利いた、エスプリのある、返答を試みたが、根っからのパリジャンではない私には到底無理。どんなに舌を引っ張ってもそんな言葉は出てきやしない。残念ながら「面白い事言うね」とだけ言って、東洋人らしくニコニコするのが関の山だ。
買い物を済ませ、実家に帰るとその一部始終を説明した。
「そうよ、メルシーなんて言ったらダメよ」。
そう言う母も、せいぜいニコニコ。フランス語がネイティブ・レベルの妹でさえ、なんとか返答できるといった敷居の高さだ。私達は自分たちの野暮ったさに呆れて笑ったのだった。
フランスでは「メルシー」とお礼を言うことは、謝る事以上に大切だとされている、というのは以前、ブログで書いた。しかし、褒められた時のパリっ子は違う。やはりパリは独特なのだ。つづく。
(by Anne)


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