2008年8月 7日 (木)

マイコサクラ失踪事件/その1

娘2人はとうの昔に家を出て、居候していた若い学生も一人暮らしを始め、とうとう飼っていた猫のアスチュも昨年天国へ行ってしまった。そんな私の実家は、なにか寂しいというよりも物足りない、と母は思ったらしく「やっぱり猫をまた飼うことにしたの」と電話口で言った。今年の春のことだ。近所のお宅で猫3匹生まれたという知らせを受けて、そのうちの1匹が欲しかった黒猫だというから、母は飛んで行ったそうだ。ところが、そのお目当ての黒猫はとっくに貰い手がついていたらしい。だったら、と言って、母は2匹連れて帰ってしまった。黒猫がダメなら2匹という発想は普通なかなかしないものだが、母の場合は大いにありうるのだ。ああ、やっぱりまた2つだわ、と家路についたという母の話を聞いて、私は、やっぱりね、だった。なにせ、買い物にでかければ、なんでもかんでも同じものを2つ買う癖があるのだから。(2007年8月10日付けのブログ『私のビョーキ』参照)
やってきた2匹の猫は、ニニとサクラ。妹のニニはやんちゃで姉のサクラはお姫様の様だという。(2008年4月2日付けのブログ『春うらら、うわの空/その2』の写真参照)
ところが、途中からサクラの名前を母は変えてしまった。マイコにしたという。「だってフランスっ人たら、みんなサクラのラをLで発音しないでRで発音するんだもの。喉をゴロゴロ鳴らして『SAKOURA』なんてなんだか汚らしくて」。そして、ニニは人懐っこくていつも自分の後を付いてきて、かわいくってかわいくってしょうがない、と言い、サクラならぬマイコは人間嫌いで、抱っこされようとしないお澄ましで、あまりかわいくないとでも言いたそうだ。そう電話口で聞くと、サクラならぬマイコを不憫に思った。主人に十分かわいがられないで、さらに名前まで勝手に変えられて。お姫様キャラならプライドも高い筈。ふてくされて余計人間嫌いにならないと良いな、と密かに私は願った。
8月に入り、フランスがヴァカンス一色になっただろう頃を見計らって、パリの実家ではなく、ノルマンディーの家に電話を入れた。一回ブルルと鳴っただけで、母は出た。やはり休暇を取っていたようだ。暑中見舞いというより、私は用があって電話をしたのだが、母は私だと分かると「ちょっと!昨日、大変だったのよ!」と叫び始めた。私の用件も聞かずに。うっかり母の話に巻き込まれて、肝心の用件を話さず終いになってしまわないように、目の前にあった領収書の裏に用件をメモしてから、「どうしたの?」と聞いた。「昨日、マイコが居なくなっちゃったのよ、心配したわぁー」。マイコ…、ああ、サクラか!マイコサクラね。ややこしいので私はダブルネームで呼びことにした。
その日は、日中、ニニとマイコサクラは庭で遊んでいた。しかし夕方になって気がついてみるとニニしか庭にはいない。どうしたのかしら、と母は思った。「でも、きっとじきに戻ってくるでしょ」と気にせず、夕食の準備を始めた。蛇口をひねる音がすると、ニニが飛んでやってきた。「わぁ、お料理始めるの?」「わぁ、お水がポトポト落ちて面白ーい!」「わぁ、このオレンジ色の長いの、なぁに?」と、横から母の顔をチラチラ見ながら聞いてくる。台所が面白くて仕方がないらしい。「これはね、ニンジンっていうのよ」と母。また娘ができたかのように楽しんでニニに教える。ふと時計を見上げると、もう夜の8時になっていた。夏時間のトリックで、まだまだ夕方のようだった。「それにしても遅いわね、まだ帰ってこないわ…」。母がマイコサクラを心配し始めると、ニニもそわそわし始めた。「ねえ、ねえ、お庭に探しに行ってみない?」ニニはそう言って、ピョンと流し台から飛び降りると、一目散に裏庭のドアの方へ駆けて行った。つづく。(by Anne)

Maikosakura en paix
マイコサクラはゆったりしているので写真に撮りやすいそうだ。これはカール・ロイターヴェルスというスエーデン人の作品『結ばれたピストル』で、平和のシンボルとして国連本部にも置かれている物らしいのだが、なぜかマイコサクラは大好きで、いつも握りしめている、と母は言う。

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2008年8月 2日 (土)

2008.08.02

お行儀のsaboriday。
姦しい3人が集まれば、
お皿の上も戦場と化す。
(by Anne)


プロフィテロル
プロフィテロルは3つお皿にのっていたのに、なぜか急いでがっついた3人。


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2008年8月 1日 (金)

けっこうです!

先日、暑さにやられて真っ昼間に家でゴロゴロしていたら、ピンポーンとベルが鳴った。デリバリは済んだし、大家さんかな、誰かな、とぼんやり考えながら出た。「はい」。すると、インターフォンの向こうでひと呼吸おいてから、「あの」と話始めた。男の声。明らかに他人だ。セールスか勧誘に決まってる。そういう場合、私は必要以上に防衛する。決してひっかかるまい。決して。話を聞いてうっかり「ハイ」と相手の思う壷の返事をしたら大変だから、話は聞かないことにしている。最初から「ウチはけっこうです!」と言えばいいのだ。私はその決まり文句を喉元に準備して、もう一度インターフォンの男に「はい、なんでしょう?」と尋ねた。「あ、あの、テレビでお馴染みの○○ですけど…、」。オッ!!!某有名保険会社だ!セールスだ!私は相手が話を続けようとするのを遮って、必要以上にキツイ口調で「ウチはけっこうです!」と言ってインターフォンを切った。ついついキツい口調になってしまうのは、押し売りされたらどうしようかという不安がよぎるからだが、単に断れば良い話で、わざわざ感じの悪い口調になる必要もないわよね、と後から反省するのであった。ともあれ、セールスとピンと来て、当たりだったから良かったものの、決まり文句の「けっこうです」をのっけから言っても当たりじゃないこともあるから難しい。
つい2ヶ月前のことだ。家で食事の準備をしていると、お向かいのお宅の玄関先をウロウロしている中年男性が見えた。ん?なんだか怪しい。でもジッと観察するのもいやらしいので、そのまま食事の準備を続けた。するとお向かいのお宅から声が聞こえた。チラッと見ると、先ほどウロウロしていた男性がペコペコしながら、玄関先のお向かいのおじさんに何か話している。私は、きっとセールスだわと思い、また食事の準備を続けた。しかし、一向に話し声は止まない。またチラッと見ると、お向かいのおじさんもペコペコして、なにやら紙を受け取っている。あら、セールスにひっかかっちゃったのかしら?しっかりしてそうなおじさんなのに…。すると、セールスマンらしき男はお向かいのお宅を離れ、右見て左見て、道の安全を確認してから、ウチの方に渡って来るではないか!うわー、ウチにもセールスマンが来ちゃう!私はお鍋の火を消して、「ウチはけっこうです」を喉元に準備し、インターフォンの前で待ち伏せた。ピンポーン!やっぱり来たか!私は防衛体制に入り、インターフォンの受話器を取って、キツいトーンで「ハイ」と出た。「あのう…」。中年男性の声だ。やっぱりさっきのセールスマンだ。「なんでしょう?」、とまたもやキツい口調で。「あのう、東京なんとかかんとかで、なんとかかんとかの者ですが…」。なんだかよく分からないけど、どうせセールスでしょ。そう思った私は、さあ、いくよ、と心の中でかけ声をかけて、力強く「ウチはけっこうです!」と言った。中年男性は一瞬怯んだのか戸惑ったのか、「え!」と言い、それから数秒「あのう…」と続けようとしたのも束の間、諦めた様子で「じゃあ、ご案内を郵便受けに入れときますんで」と言って去っていった。しめしめ、追っ払ってやったゾ!私は満足した。しばらくして、何のセールスだったのか正体が知りたくなって、郵便受けをのぞきに行った。すると中には、「電気工事へのご協力のお願いについて」という紙が入っていた。近所で長期に渡る管路整備工事が実施されるので、その報告とお詫びだった。わざわざ一軒一軒、人が挨拶して回っていたってことか!ああ!なんてこと!ごめんなさい!とんだ勘違いでした!(by Anne)

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2008年7月21日 (月)

夢が見た夢/その2

(つづき)要するに、黒人を軽蔑している彼女だが、本当のところ、無意識の状態では黒人男性に憧れている、もっと言うなら襲われたいという性的抑圧があるという話だ。儘父は、アメリカには人種差別が根強く残るという話をする時に、人種差別を揶揄したこのジョークを思い出したのだったが、私は先日、マチ子の夢の話で思い出したのだった。
恵比寿で計10名ぐらいで食事をしていた時のこと。ド真ん中に座った女王様気取りのマチ子が、テーブルの一番端でひどい頭痛に襲われ黙りこくっていた男友達に向かって、突然叫んだ。「ちょっと!サトル!そういえば、あなた、ずうずうしいわよ!」。頭痛が一瞬にして消え去ったかのように彼はハッとした。「な、なに?」。「ねえ、聞いて!この人ったらね、」とマチ子。みんなに聞こえるように大きな声で、「この人ったらね、私の夢に入ってきたのよ!ずうずうしいと思わない?」と言うのだ。「人の夢に勝手に入ってきて、おまけにもっとずうずうしいのが、なんとこの私に言い寄ってくるのよ!」。周りはキョトンとしている。サトルは、ついさっきまでひどい痛みと戦っていたと思ったら、今度は散々ずうずうしいとののしられて、気の毒に言葉を失っている。しかしそんなことはおかまいなしの『女王様』は続けた。「でもね、私って良い人だから、『あなたの彼女に悪いから』って言って誘惑を断ったのよ。確かにそれもそうなんだけど、それ以上にホンネを言ったら傷つくだろうと思って」。ひと呼吸置いて、彼女は言った。「ホンネはね、あなたに興味がないってことなんだけど」。ようやく話の流れを理解した彼は、「自分が勝手に見た夢だろうが!」と言い返していたが、私は彼と黒人男が重なって、案外、マチ子はサトルに惹かれているのかもしれない、と密かに思った。しかし、すぐにその考えは取り消した。なぜなら、マチ子のご主人は、繊細なサトルとは似ても似つかない、『ドカベン』だからだ。(by Anne)
注意:登場人物の名前は、ジャン以外匿名です。

女の子の夢
マチ子とお茶した銀座のダロワイヨで。マカロンアイスとマカロンケーキを目の前に、女の子に生まれて良かったと思った、夢のひと時。ワインを毎日飲まなくなったら、けっこう甘いものも好きになってきた。


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2008年7月19日 (土)

2008.07.19

古い紋紗で初薄物。
長襦袢、帯、足袋、伊達締め、腰紐…。
呉服屋さんに一式全部持って行って、
「着せて」と言ったsaboriday。
(by Anne)

紋紗

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2008年7月18日 (金)

夢が見た夢/その1

パリの継父の周りには、数多くの芸術家や作家がいて、みんなそれぞれ相当、変わり者というのが失礼であればエキセントリックで、印象に残らない人はいないが、なぜか2度しか会ったことのないジャンの話は頻繁に思い出す。ジャンとは、ニューヨークに住むジューイッシュ系の画商。主にマックス・エルンストやドロテア・タニングなど、シューレアリストの作品をコレクションしているだけあって、『夢』というテーマには執着があるらしい。儘父が「忘れもしない」と言って、何度も何度も私に聞かせてくれた彼のジョークは、夢にまつわる話だった。そして私のユダヤ系ユーモア好きは、そこから始まったのかもしれない。
「知ってるか?この話。ニューヨークのアップタウンのとある寝室で、若くて美しい白人の女性が眠っていた。かわいそうに彼女は大きなベットでひとりきりだった。早くに亭主に先立たれたからだ。枕元のランプの薄明かりが彼女の真っ白な肌を照らしていた。辺りはシンとしていて、彼女のかすかな呼吸が聞こえるくらいだった。しばらくして突然、ミシッと小さな音がした。眠りが浅い彼女は、その音に気がついた。何かしら?ミシッ。また聞こえてきた。寝室の向こうの廊下からだ。足音のようだ。ミシッ!ミシッ!その音はゆっくりと近づいてくる。誰?!どうしましょう!!!彼女はジッと廊下に続く寝室のドアを見つめた。どうしましょう!!!いよいよ、ドアのすぐ向こうまで足音が近づいた。ギーッ。ドアノブがくるりと回り、ドアが半分開いた。黒い人影が!見開いた大きな目がふたつ。人影は部屋へ侵入した。黒人の大男だった。2メートルはあるだろう。肩から胸にかけての隆々とした筋肉、真っ黒に光る肌。どうしましょう!逃げられない!!!大男は彼女の寝ているベッドへ膝をかけ、大木のような股で彼女をまたぎ、グローブのような手で彼女を掴んで襲おうとした。彼女は思わず叫んだ。ありったけの声を張り上げて。『なんて恥知らずな!どうせ、どうせ、あんた達黒人のすることなんか!あんた達のすることなんか汚らわしい!下等よ!恥を知れ!』…。彼女は金色の髪の毛を振り乱し、叫び続けた。すると大男は低い落ちついた声で、ゆっくりと、彼女に向かって言った。『そうは言っても、これはあなたの夢ですよ、マダム』と」。つづく。(by Anne)


夢のまた夢


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2008年7月16日 (水)

みんな笑顔

駅までの道は徒歩10分弱。バスに乗った方が早いけれど、よっぽどでないと乗らないのは、緑の多い住宅街の路地をくぐる楽しみがあるからだ。庭先に咲く四季折々の花を観賞して、しばしうっとりしたり、ブスかわいい野良猫と目が合って、しばし会話を試みたり。都心からさほど遠くないのに、どこか都会を忘れさせてくれる田舎っぽい雰囲気があるのだ。そんな駅までの道を、先日、いつものように通ったら、真っ赤な大きなバラが誇らしげに咲いているのに気付いた。私はそれだけで嬉しくなった。スキップでもしたい気分になった。そして路地を抜けて駅に向かう坂を上り始めると、ちょうど今し方到着した電車から降りてきたのだろう、家路を急ぐ人達とすれ違うことになった。ふと見ると、細身で黒ぶち眼鏡をかけた紳士風のおじさんがこちらを見て、ちょっと笑った。あれ?なんだろう?知ってる人かな?次に若い女性とすれ違った。彼女も私にニコッと笑った。誰だろう?お向かいさんじゃないよね?次に親子が来た。子供が私を見て笑ってる。あれ?私、おかしい?ふと気付けば、無意識に私の方がずっと笑顔を作っていたのだった。さっき見たバラのせいだ。
駅までの道でこんなこともあった。真っ赤なジェラニウムが咲き誇る低層マンションに、仲の良い12歳くらいの2人の女の子が住んでいるのは前から知っていた。2人はよく道に出て遊んでいる。ある日、その目の前を通ろうとすると、折りたたみテーブルの脇で、折りたたみ椅子に1人が足を組んで座っている。大人っぽくしたいのだろう、少しお澄ましして、髪を耳にかけたり、膝を組み替えたり。ほっそりしていてスタイルがよく、なかなかのおしゃれさんである。フフフ。ナボコフの言う「ロリータ」とは、こんな感じの子なんだろうな。そう思いながら彼女の目の前を通ろうとしたら、「レモンスカッシュはいりませんか?」と声をかけてきた。私はとっさに首を振ったが、向かいから来たおばさん2人は、「あら、いただくわ」と言って、女の子に近づいていった。すると奥からもう1人の女の子が出てきて、「レモンスカッシュですね、おまちくださーい!」と元気のいい声でオーダーをとり、足を組み替えたロリータの方が「ひとつ50円です」とレジを担当した。おままごとなのだろう。またある日は、2人がウェイトレスの真似なのか、お盆を手にのせて、低層マンションの前の道をうろうろしていた。スタイルの良い2人だから、遠目にそれだけでちょっと絵になる感じだった。サングラスをかけた図体の大きな私を見て、普通子供なら恐れをなすだろうと思い込んでいるものだから、何の躊躇もなく近づいてきて、「マフィンです」と声をかけてきたのには驚いた。「マフィン作ったんで、いかがですか?ふたつで100円です」。私は声をかけられたことが嬉しかったのもあるけれど、子供心がよみがえり、すてきな女の子達のかわいらしい遊びに参加したくなって、「じゃあ、いただくわ」と100円を渡した。マフィンというより、マドレーヌのようなものだったが、手に2つ乗せてもらい、さようならを言って、駅に向かった。そのマフィンはプリン味だった。「当たればプリン味です。でもほとんど当たりです。」と言った女の子の声を思い出しながら、味わった。
この話を友達にすると、みんな笑顔になる。駅までの道には、たくさんの小さな幸せが転がっているようだ。(by Anne)

スモモ
駅に向かう坂道の途中の、老夫婦が住む家の門構えに、春になると美しい白い花を咲かせる木がある。先日その前を通ったら、その木にはなんとたくさんのスモモのようなものがなっていた。圧倒された私は庭仕事をしていたそこの家のおじいさんに声をかけ、「これは何という名前の実なんですか?」と聞いてみた。「いやー、わからんなあ、ナントカっていうらしいんだがね、ま、少しお持ちになりますか?」。私は「では一つだけ」と遠慮がちに言ってみた。おじいさんは「そうおっしゃらずに」と6つ私の手に握らせた。「熟してきたら、召し上がれ。甘くて美味しいよ」と加えた。

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2008年6月14日 (土)

2008.06.14.

ネジに、トンカチに、ドライバー。
いくら手伝ってと言われても、
私はソファーで傍観者。
だってsaboriday。
(by Anne)

道具

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2008年6月13日 (金)

恐怖のフランス人形/その2

(つづき)彼女は帰国子女だったというより、フランス育ちのハーフ。自分は太っていると最近気にしているようだが、とにかくフランス人形そっくりの顔立ちで、見入ってしまう程だ。日本語は書けもするけれど、漢字はダメ。ひらがな、カタカナ止まり。「そのカタカナでさえも…」と話始めた。洋服のセレクトショップを三店舗も経営する彼女は、セールの頃になると、ショーウィンドーに「T-shirt、50%off」、「スカート、30%off」、「ワンピース、40%off」などと書くそうだ。けれどカタカナもあまり上手に書けないと言う。「ワンピースって書いたつもりなのに、ワソピースになってるみたいで…」。少し恥ずかしそうだ。「もっと酷い時は、ワンピースでもなくて、ワソピースでもなくて、クソピースって」。幸い、その近辺の人々は寛大らしい。クソピースを見ても、「ああ、またあのガイジンさんね」と思ってくれるらしいのだ。しかし、暖かく迎え入れてくれる事ばかりではない。『ぽっちゃりフランス人形』が長年のフランス生活の後に日本に移り住んで間もない頃。ハチ公前での約束に遅れそうだった彼女は、時計も携帯も持っていなかった。渋谷のスクランブル交差点で、一向に青にならない信号を見つめていると気持ちはどんどん焦り始めた。どのくらい遅れているのかさえも検討がつかない。随分待たせていたらどうしよう…。ふと気がつくと、右隣に赤ちゃんを抱いた女性が立っていた。赤ちゃんを抱く左腕には、キラリと腕時計が光ってる。『ぽっちゃりフランス人形』は、「そうだ、彼女に聞こう」と思い、身を乗り出して「すみません、お時間、ありますか?」と尋ねた。しかもフランス語なまりで。赤ちゃんを抱いた女性は、目をカッと開いて、ギュッと自分の子供を抱きしめ、瞬く間に逃げて行ってしまったそうだ。何かの勧誘か、誘拐か。『ぽっちゃりフランス人形』がとてつもなく恐ろしい人物に見えたのだろう。以後、繊細な彼女はトラウマを抱えることになってしまった。日本人には自分はモンスターに映るらしい、と日々恐れている。(by Anne)

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2008年6月12日 (木)

恐怖のフランス人形/その1

私の周りには帰国子女だった人が多いせいか、年中ヘンテコな日本語を耳にする。そういう私も帰国子女の部類。日本語がヘンテコなのはそのせいです、と質悪く開き直っている。ヘンテコとは、アクセントだったり、言葉の選び方だったり、ウロ覚えの熟語を口に出してみるととんでもなく下品な言葉だったり、そしてそれを発した本人は気付かないままだったり、外国語の表現を日本語にそのまま直訳して意味不明だったり、そのまま直訳したら全く別の意味になって誤解が生じたり、などなど。うっかり放送禁止用語のようなものを使っていないだろうか日々ヒヤヒヤしているのは、多分、私だけでないだろうけれど、私が知る限り、帰国子女だった人の多くは、ゴーイングマイウェイ。あまり細かい事は気にしないタイプが多いようだ。現に友達の『趣味の良いチンドン屋』はとんでもなく下品な言葉を発した話は2008年2月5日付けのブログに書いたが、後日彼女からのメールで「あれじゃ、どんな爆弾発言をしたのかさっぱり分からないじゃない!」とクレームが来た。気にするどころか、公表しろと。相も変わらず今も会うとヘンテコ日本語を連呼して、マインドコントロールじゃないけど、私の日本語をさらに狂わせている。彼女ほどエキセントリックではないが、妹のメモリアルな発言は「道で落っこちる」だった。友達だか誰だったかに会って、「さっき、道で落っこっちゃってさ」と言ったそうだ。その友達だか誰だったかは、目をパチクリ。妹の日本語の間違いをそれとなく訂正しようという気持ちも込めて、「何を?」と聞いてきたそうだ。心の中では、「落っこっちゃって」じゃなくて「落っことしちゃった」って言うんだよ、と呟いたのだろう。妹は、「いや、いや、そうじゃなくて、私が」と返すと、相手はほんの一瞬黙って、また口を開いた。「何か大きな穴があったの?」と。「いや、いや、そうじゃなくて、ほら、擦りむいちゃった」と、妹はかさぶたになりかけている傷口を見せて、やっと理解してもらったそうだ。道で転んじゃったのね、と。フランス語を直訳すると、tomber(落ちる)という動詞を使うからこんなことになるのだった。
先日友達の『ぽっちゃりフランス人形』に会った時も、ヘンテコな日本語話に花が咲いた。つづく。(by Anne)

あじさい
梅雨の癒し、紫陽花。ぐったりと頭をたれて、雨が降れば降る程花盛り。

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2008年6月 3日 (火)

なんでもないこと/その2

(つづき)31日『お嬢さん伯母』と一緒にいて、「ああ、こういう気持ちなんだ」と、その話の心理を少し理解したような気になった。
軽井沢に着くと『お嬢さん伯母』は、「ツツジがきれいね。やっぱり来て良かったわ」と呟き、出されたお茶と共にお嬢さんらしからぬ一本をバッグから取り出して一服した。その時にバッグの中から手袋も飛び出した。「ああ、これ、アンヌちゃんの。大事な、大事な。」と言って、なくさないようにと直ぐにバッグの中に閉まったのだった。茶色の革の手袋で、表が白いレースで編んであるものだ。長年彼女が使っていたフランス製のが、とうとう穴だらけになってしまって捨てる事になった年、「東京では見つからない」という理由で私の母にパリで買ってきてと頼んだそうだ。しかし母も何年経っても、その同じような手袋をみつけることが出来なかった。ところが昨年の冬、私がパリに行った時、クリスマスセールで、マフラーやら手袋やらが山積みになっている中に、それらしきものを見つけた。なんてことはない。ただ目に入って、『お嬢さん伯母』が欲しがっていた事を思い出しただけだ。革靴の底が減るほど歩き回って見つけたわけでも、血眼になって山積みを漁ったわけでもなく、たまたま。しかしそれを「お土産です」と持って行ったら、『お嬢さん伯母』は「憧れの手袋」だと言って感激して、繰り返し、繰り返し、お礼を言ってくれた。その後も私の顔を見ては手袋の話になり、その度にお礼を言われた。そんなことで喜んでくれるなら、10個でも20個でも買ってきますよ!手袋が手に入って喜んだ彼女と同じくらい、喜んでもらえた私は嬉しかった。だから軽井沢で手袋が飛び出した時も「大事な、大事な」と言ってくれたのだった。
それから片付けをスタートして、一日中遺品と奮闘した後、「やっぱり手伝ってもらって良かったわ」と『お嬢さん伯母』は私に言った。そして夕食には、昔みんなで行ったことのある中華に連れていった。彼女はチャーシュー麺を頼んだ。出て来ると、「ああ、嬉しい。こういう透き通ったスープの中華麺が食べたかったのよ」とニコニコしている。聞けば、「おばあさんが1人で中華に入ってラーメンを食べるなんて変だ」と思っているらしくそのせいで、未亡人になってからは食べれなかったそうだ。なにをしてあげても喜んでくれる。そんなことなら、いくらでも片付けのお手伝いします。いくらでも軽井沢ご一緒します。いくらでもラーメンを食べにお付き合いします。いくらでも手袋買ってきます。そんなこと、なんでもないことですから。喜んでくれるなら、いくらでも。(by Anne)

ツツジの庭


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2008年6月 2日 (月)

なんでもないこと/その1

週末久し振りに軽井沢に行った。丁度お庭のツツジが満開でグッドタイミング。去年、セッセ、セッセと、雑草や蔦を取り除いて、枝を剪定した甲斐あって、ツツジは延び延びと枝を張り、沢山のオレンジ色の花を誇らしげに咲かせていた。しかし残念ながら私達はお花見に来たのではない。片付けても片付けても片付けきらない、祖父母や一番上の伯父、要するに故人達の遺品を、今度こそは片付けきろうと決意してやってきたから、のんびりお花見、ましてや団子なんて論外だ。本当のところ、一番決意が必要だったのは、他でもない未亡人となった伯母だった。伯父との沢山思い出が残る軽井沢に来ることさえ辛いだろう。ましてや伯父の遺品を処分するのは、断腸の思いに違いない。伯父が亡くなって10年。やっと彼女は決心したのだ。「アンヌちゃん、軽井沢に行って来ようと思うの」。伯母から電話があったのは1ヶ月前。伯父が亡くなってから決して行きたがらなかった彼女は、「もう決めたの。1人で行って来るから」と電話口で何度も同じことを繰り返した。それは、私に伝えるというより、気持ちが挫けないように自分に言い聞かせようとしている風だった。私は、最初、そっとしておいて欲しいのかなと思い、伯母が1人で行くと言ってるのを、ただフンフン聞いていた。しかし、あの片付けようにも片付けられない遺品の山を目にして、親戚の誰もがたじろいでいるのに、ましてや10年間も封じ込んでいた思い出の数々が蘇れば未亡人の伯母は胸が張り裂ける思いをするに違いない。そして途方に暮れてしまうだろう。そう、思った私は、と言うより、実はそれよりも、このおっとりとした『お嬢さん伯母』が、1人で片付けられるわけはない、と思ったのが先で、「ご一緒しますから」と言って電話を切った。頑なに「悪いから、1人で行く」と言うのを押し切って。主人と日にちを相談し、私の大事なsaboridayを提供して、31日の土曜日を大片付けの日に決めたのだった。
31日は一日中『お嬢さん伯母』と話をしながら片付けた。そして片付けながら話をしている彼女を見ていたら、ふと、昔、事務所のマネージャーさんが言っていたことを思い出した。
随分前の事だと思う。何の話だっただろう?余ったボタンだったか、端切れだったかが置いてある所で話をしていたのだったか、なにか。マネージャーさんが「こういうのを使ってね、うちの子供にお人形さんとか作ってあげるのよ」。私はその時、とても驚いた。「へー!そんな面倒臭いことするんですか!凄いですね!」。すると、なんでもないことよ、といった口調で「だって、何作ってあげても喜んでくれるんだもの」と言う。その答えにはもっと驚いた。その時、色々な思いが過った。子供とは、何作ってあげても喜ぶものなのか。いや、私はそうではなかった。むしろ何をしてもらっても気に入らない。たしか、気難しい子だった筈。それに、なにをしてあげても喜んでくれると、嬉しくなるものなのか。そして多少面倒くさいことでも、してあげたくなって、それが、なんでもないことになるのだろうか。子供を持つとそうなるのかな。母とは凄い。などと思い人間として非常に未熟だった私は、とてもインパクトのあるエピソードとして心に残っていたのだった。つづく。(by Anne)

ツツジ満開


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2008年5月15日 (木)

世界の中心で、母が叫ぶ/その2

(つづき)それから毎日母は、東京に居る妹と私に電話をしてきた。「スピーチ、送ったの、あれ、読んだ?」。呑気に聞いて来る。「まだ読んでない」そう私が答えると、「早く読んでよ、面白く書けたから」と母。次ぎの日もまたその次の日も「あれ、読んだ?」だ。早く感想を聞きたくてヤキモキしているのが見えれば見えるほど、私は心の中で絶対に読んでやるものかと固く誓った。一応母には「まだ。忙しくてね」と言い訳をした。その度に、妹は電話の脇でゲラゲラ笑って、「読んであげなよー」と言っていた。「冗談じゃない!」。メールの受信箱には、未読の青いマークが残り続けた。妹はその青いマークを見続けた。そしてついに、「じゃあ、もう、私が読んであげるから」、と私の許可を得て未読メールをクリック。読み上げた。やはり。思った通りだった。私達の披露宴でスピーチした内容とまったく同じ。もっと「面白いお母さん像」を強化したものに仕上がっていた。一つの原稿としてはいいけれど、披露宴のスピーチとしては私だったら0点をつけるだろう。しかし母にそんな期待をしても無駄なのは100も承知なのだった。
そんなことを先日母からの電話を切った後、ソファーで思い出していた。なぜなら、その電話の向こうでも、「私が主人公」節を叫んでいたからなのだ。「もしもし、アンヌ?」。「あ、ママ?」。「ついに、読んだわよ!」。本人を知らないとまるで怒っているかのような口調に、免疫を受けている私も時々ビビる。何か悪いことしたかしら?思い当たる節がないので、「何?」と聞くと、「あなたのブログよ!」と母。思想家というか、作家だった自分の父の書物を、彼の死ぬ間際まで読もうとしなかった彼女は、これもまた作家である自分の夫の作品は徹底的に読破したのを除いては、手紙以外の家族の文章を読むのは気持ちが悪いようなのだ。それに加えて、風の噂で私が母の事をブログに書き散らしていると聞いたらしく、きっと悪口か馬鹿にしているかのどちらかだろうと決めつけて、さらに読む気を失ったのだろうと思う。周りがどんなに「読んだら?」と勧めても、断固として読まなかったのだ。しかし、「ついに、読んだわよ!」と言う。どんな感想が返ってくるのかと思えば、「2月8日のあの文、あれ、違うわよ!本当はもっと面白かったんだから!」と指摘した。うっかりしていた。そうだ、母はやっぱり「私が主人公」なのだ。2月8日付けのブログは『変わらぬ母』と題して、母のオマヌケ振りを綴ったものだったが、不満らしい。本当はもっと面白いお母さんなのに、十分私が描ききれていないとでも言いたそうなのだ。どうやら最後のくだりがダメらしい。彼女いわく、本当は、家に帰るまで写真屋の腕が落ちたと思い込んでいたそうだ。家に帰って、私に「あそこの写真屋、腕が落ちたんだわ」と言って証明写真を見せた。「以前はもっと綺麗に撮ってくれてたのに、これじゃまるでオバハンよ!」と怒っている。「あのね、写真屋の腕が落ちたんじゃなくさ、ママが年を取ったんだよ」、と私は言ったそうな。私にそう言われるまでずっと自分が年を取ったことに気付かなかった、おめでたい母。「そこが、面白いんじゃない!いいわね。書き直して頂戴。」私は、2月8日の文にはタッチしないものの、こうして母のリクエストに答えている、善き娘。おまけにブログは、母の悪口でもなく、母を馬鹿にするでもなく、彼女の希望通り、いかに母が面白いかを書いてきたつもりだ。書き直しを命ずるより先にお礼を言ってもらいたい。(by Anne)

フォトマトン
証明写真なんて、所詮気に入るようには撮れていないもの。まるでダチョウのような自分の顔にげんなりする私。

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2008年5月14日 (水)

世界の中心で、母が叫ぶ/その1

母の電話を切った後、私はソファーでため息をついた。あーあ。相変わらずだなぁ。もしかして母は、世界は自分が中心に回ってると思い込んでるのかもしれないと、本当に心配になる。「主人公はこの私」なんていう風に。あーあ。おめでたい人だなぁ。ふと、私は昨年の結婚式を思い出した。
昨年、友達の『趣味の良いチンドン屋』が豪華絢爛な披露宴をパークハイアットで開催した時のこと。新婦の母である『マダム・ジーザス』がスピーチをする番になった。彼女が起立し、マイクを持った瞬間、私はヒヤッとした。マダム・ジーザスにマイクを持たせたら何を口走るか分からない。日頃から自分の娘に対して、冗談とはいえ、憎たらしいだのなんだのと憎まれ口をたたいているのしか聞いたことがないし、芸術家という思想の自由人だから披露宴とはいえタブーを気にしないだろうし、これはもう、マイクを通してブタだのゴリラだのセンスがないだの、もの凄い言葉が聞こえてくるに違いない、と私は思った。横にいる主人を不安げに見ると、彼もまた心配そうに私を見た。ところが、マダム・ジーザスの少女のように透き通った声が発したのは、その声のイメージにぴったりな言葉だった。自分の娘の名前を挙げて、「ほんとうによかったわね」なのだ。その後は「よくこんな素敵な人をみつけたわね」、「あなたはしっかりしていて偉い」、「末永く幸せに」、などなど。こっちも照れてしまいそうなくらい、娘と新郎を褒めて、祝福の言葉を述べたのだった。普通、親ならそうするだろう。あの、マダム・ジーザスさえもそうしたのだ。しかし私の母は違う。「人でなし」ならぬ「親でなし」な母親を持った気持ちに私はなった。
というのも、『趣味の良いチンドン屋』に先攻して私の方のプチ披露宴を行なったのだが、その時の母のスピーチは凄かったからだ。普通なら「アンヌ、ほんとうによかったわね」と始まる筈が、「私は〜」と自己紹介に代わり、それから自分がいかに面白いお母さんかという話を長々として、プチ披露宴の主人公の座を乗っ取った母は、いよいよ最後のくだりで、「よくこんな素敵な人をみつけたわね」と新郎を褒める代わりに「私が使える人手が増えて良かった」と言って締めくくったのだった。確かにウチの家族はみんなかなりキツいブラックユーモアを飛ばす質だし、自由な形の披露宴だったからこそのスピーチだが、ギョッとした人もいたんじゃないか気になった。しかしそれ以上に、いわゆる「祝福の言葉」というものの無さに、クソ真面目な私は項垂れたのだった。それから数日後、母はパリに帰った。妹はまだウチに居候していた。妹が私のパソコンを使おうとした時、母からのメールに気付いて、「ママからメール来てるよ」と私に知らせた。私は、あれだ!と分かった。母はパリに戻るやいなや、私に電話をしてきて、「あのスピーチ、もっとちゃんと準備しておけば良かったって、後悔しちゃった。だから書き直してあなたに送っとくわ」と言ったてた。だから、書き直したスピーチをメールしてきたに違いない。流石の母も、きっと「祝福の言葉」を述べなかったことを後悔して、正統派のスピーチに書き換えたのだろう。やっぱり母も人の親だわ。私はホッとして、「どれどれ」と台所から顔を出し、妹とパソコンに近づいて読もうとした。が、すぐにまた台所に引っ込んだ。何を私は考えてたんだ、正統派なスピーチなんて、あの母が書くわけがないじゃないか。後悔したのは「祝福の言葉」を述べなかった事にではなくて、思う存分「面白いお母さん」を演出できなかったことに決まってるではないか。当然、メールしてきたのは披露宴でのスピーチをブラッシュアップしたやつに違いない。「どうしたの?読まないの?」と声をかける妹に、「どうせ同じような内容だろうから」と、そのままセッセと夕食の支度を進めることにした。つづく。(by Anne)

タピオカデザート
母は日本に来ると、日本で食べる中華が良いと言って、滞在中は中華三昧になることがある。とりわけ『銀座アスター』にはよく足を運ぶらしく、デザートにこのタピオカを食べるのが楽しみなのだそうだ。

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2008年5月 3日 (土)

2008.05.03.

イタリアンに入ってメニューを見たが、
シェフにおまかせしたいsaboriday。
(by Anne)

前菜


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2008年5月 1日 (木)

甥も、芋も/その2

(つづき)要するにそのお母様の言っている事が分からないのだ。電話に出ると、いつものようにお天気の話や、健康の話から始まり、自分の娘が盲腸の手術をした時の話になった。話によると、彼女は入院中の退屈しのぎにお医者様との「火遊び」を楽しんだそうだ。挙げ句のはてにプロポーズまでされたという。しかし、入院中はまるで白馬の王子様に見えたお医者様も、退院とともにノッペラボウのただの人となり、彼女の熱はすっかり冷めたそうなのだ。そのお医者様には気の毒な話だが、以来、彼女は「入院中の火遊びのススメ」を唱えているらしい。「けっこういいわよ、だって退院したらすっかり熱も冷めるんだもの、本気になんかなりゃしないから、リスクないでしょ」と人差し指を立てて話す彼女の姿が思い浮かぶ。そこまでの話は100%理解した。電話を通して、私達は2人でケタケタ笑った。次に、友人のお母様はこう付け加えた。「あとオイモね、アレがダメだったのよ」と。私はびっくりして、「え?そうなんですか、知らなかった!」と答え、彼女は「ええ、そうよ」と平然と相槌を打った。「へえ、どうしてかしら?繊維がいけないのかしら?」と質問する私に、今度は「繊維?」と不思議そうに聞いて来た。「ええ、お芋が盲腸に良くないんだったら、繊維のせいかしら、と思って」。私がそう言うと、電話の向こうはシーンとしていた。私は変な事を言ったかしらと、「え?」と思わず声を出した。電話の向こうからも「え?」と聞こえてくる。「え?」、「え?」、「え?」、…。しばらくしてお母様は気がついて下さったらしく、「ああ、オイよ、甥、お芋じゃなくて、ね」と私を理解させて、「私の甥もね、盲腸でね、入院したことがあったのよ」と、オイモアレダメではなくきちんと説明して下さった。私はそれを聞いて一人で可笑しくなって笑いが止まらなくなったのをよそに、お母様はなお入院話を続けた。「そうそう、私もね、胆石で手術したときはね、…」と。その話は何度も聞いたから、ちゃんと聞かないでもいいや、と密かに思った。それよりさっきの甥っ子さんの話で思い出し笑いをしないようにしなきゃだわ、などと考えていたら、お母様が「あとオイモね、アレがダメだったのよ」と、またおっしゃる。「えー!?胆石でも入院されたんですか?」と私は思わず大声を出した。電話の向こうから「え?」と聞こえてくる。「あら?私が胆石やったの、知ってるでしょ?お見舞いにも来てくれたじゃない?」とお母様。「え?それは知ってますけど、まさか甥っ子さんも、とは知りませんでした」と私。「え?」、「え?」、「え?」、…。しばらくして、「あら、いやあね、今度はお芋の話よ。なんだかお芋を食べた時にはね、特に背中が痛くなってね。胆石に良くなかったみたいなのよ」と、またしてもオイモアレダメではなくきちんと説明して下さった。
甥も、お芋。あ〜、ややこしや〜、ややこしや〜。
最近、少しなだぎ武のファンになった私はつぶやいた。(by Anne)
(注意:本当の話だけど、登場人物はフィクションです。)

霧の交差点
碓氷峠を超えた向こうの交差点。深い濃霧に包まれて、信号が、赤なのか、黄色なのか、青なのか、分からない。あ〜、ややこしや〜、ややこしや〜!

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2008年4月30日 (水)

甥も、芋も/その1

案外日常生活では、明確な説明をしないでも、アレだとか、ソレだとか言って、通じ合うケースが多い。見ず知らずの相手では、そんな曖昧な言葉選びでは通じづらいだろうけれど、家族内、仲間内、同業者同士、とかならアレソレレベルのやり取りで恐ろしい位理解しあえちゃうこともある。例えばそれは忘れもしない、とあるショーのオーディション帰りのこと。オーディションを終えて、私はモデルのAちゃんと駅まで歩いていた。すると正面からモデルのBちゃんがこちらに向かって歩いて来る。夕方、一人で、ブックを抱えて、ミニスカートにヒール姿。オーディション姿だ。私達が行ってきたばかりのオーディションに行くんだと、分かる。近づいてくるとお互い手を振った。「ひさしぶりー!」、「元気ー?」。そして次に、Bちゃんは「どんな感じ?」と私たちに聞き、私は「でも全然大丈夫ー!」と答えた。Bちゃんは「オッケー」と納得して、そのままオーディション会場へ向かった。数分後、私はふと、Aちゃんに「『全然大丈夫ー』で通じ合ってるのもスゴイよね…」と囁いた。
このやり取りを聞いて、きっと多くの人は、こう解釈するだろう。
「どんな感じ?」。これはつまり、オーディションが、厳しい感じなのか、リラックスした感じなのか、いろいろと要求されるのか、それともサックリと終わるのか、など状況を知りたい、と。「でも全然大丈夫ー!」。これはつまり、少し固い雰囲気で、少し要求されるけど、心配するほどではない、と。
ところが、私たちの間で理解しあった内容は、以下の通りだったのだ。
「どんな感じ?」、「でも全然大丈夫ー!」。つまり、「モデルがいっぱい来ていて、混んでる?」、「けっこう混んでるけど、展開は早いから、そんなに待たないですぐ順番が回ってくるよ」、ということなのだ。この暗号のような秘密めいたやり取りをしたことに、オーディションの結果はどうであれ、私は少し浮かれて家路についた。
同業者や親しい間がらなら、どんな言葉でも通じ合える。この日を境にそう確信してきたが、先日の電話でその確信は崩れ去った。友人のお母様からの電話だ。たまに思い出したように電話を下さり、むしろ私の方がご機嫌伺いの電話をしないといけない立場なのに、とやや恐縮しながらも、ありがたく思って暫しの会話を楽しむのだが、今回はチンプンカンプンだった。つづく。(by Anne)

霧の碓氷峠
四月末、真夜中の碓氷峠。重厚な霧が私たちの車に覆いかぶさって来る。時速30キロ以下で走る車の、微かな赤いライトの後ろを、そろりそろり走る。何度も通った道だけに、記憶を頼り、なんとか峠のカーブをかわした。この道が初めてだったら、まさに五里霧中だろう。辺りの様子は全く分からない。オーディション帰りのモデルの会話が全く分からない、といったように。

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2008年4月 9日 (水)

待合室

身内が手術中。
大したことはないとはいえ、
ちょっと心配。

待合室1
まだかなー。。。

待合室2
まだかなー。。。

待合室3
もうそろそろかなー。。。
(by Anne)

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2008年4月 5日 (土)

2008.04.05

気ままに車を走らせsaboriday。
気付けば、懐かしい浜辺。
気付けば、父の命日。
あんなに大きく見えた灯台を
再現してみようとレンズをのぞく。
(by Anne)

灯台へ

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2008年4月 2日 (水)

春うらら、うわの空/その2

(つづき)。安心したのは、それなりの訳がある。昨年だったか、その一昨年だったかの春、私はそうとうトンチンカンなことをしていたからだ。今となってはsuicaをお財布の中に入れて、それまた鞄の中に入れて、改札を出る時に、ポンと鞄ごと指示されて場所に置けば、「ひらけごま」でスルーできるから、もうあり得ないだろう。しかし、その春はまだ私はパスネットを使っていて、旧定期券のように、改札口の機械に差し込み、反対側から出てくるのをピックアップして外に出ていた。行きは、あそこで乗り換えて、あそこの駅で降りれば丁度良い、とか、帰りは、あと人参を買えば良いだけ、帰ったらまず洗濯物を、だとか考えながら、私は改札口の前まで来ると、鞄の中に手を突っ込み、パスネットをつかんで、機械に差し込む。機械に差し込もうとして、私はハッとするのだ。差し込めない!と。よく見ると、それはウチの鍵なのだ。その頃、それはしょっちゅうだった。そして私は、ああ、まただ、とため息をついて、今度は正真正銘のパスネットを取り出して、しばしまごついたものの、改札口を無事スルーするのである。「なんで鍵を取り出しちゃうんだろう?」「春だからかしら?変だわ〜」、「さてと、人参は買ったから大丈夫」、「洗濯って面倒くさいなあ」などどあれこれ考えながら、駅からの家路を急ぐ。徒歩10分。ちょっとした距離だ。ウチに着くと、買い物袋を地面に置き、鞄の中から鍵を取り出す。鍵を鍵穴に差そうとして、私はハッとするのだ。差し込めない!と。よく見ると、それはパスネットなのだ。私は、げんなりして今度は正真正銘のウチの鍵で、ドアを開けるのだった。私にとってパスネットもウチの鍵も、おんなじもの。要するに、これさえあれば「ひらけごま!」なのだった。残念なことに、この話には主人は理解を示してくれなかった。理解を示してくれなかっただけでなく、変人呼ばわりだった。それだけに、後になってした『タクシーの運転手に「ごちそうさま」』話に、「オレも」と言ってくれたことに安心したのであった。(by Anne)

サクラ/猫
実家に長らく居た猫アスチュが昨年死んじゃった。悲しかった。けれど、実家には新たに二匹の子猫がやってきた。一匹はやんちゃなニニ。もう一匹は御姫さまみたいな、サクラ。こちらは、もちろん!


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2008年4月 1日 (火)

春うらら、うわの空/その1

4月らしいお天気に桜が映える今日このごろ、気分が浮かれて、うっかり変なことをしてしまっていませんか?
私は、さっき、うっかり「ごちそうさまでした」と言いそうになったのである。これが、ランチの後だったら、うっかり言いそうになるほうが常識人なのだが、シチュエーションが違えば、変な人と化してしまうだろう。撮影が終わり、私はメイクを落として私服に着替え、スタッフが集まっているテーブルに近寄った。アシスタントの子達はブツ撮りの準備に取りかかって大忙し。私は、準備待ちのスタイリストさんと編集の方とでお茶を飲みながらのんびり休んでいた。ワンちゃんの話で盛り上がりながら、私は薄ら胃のあたりに空腹感を感じて、「そうですよね、ワンちゃん、可愛いですよねー」と相槌を打ちながら、こっそり携帯で時間をチェックした。「お!まだ早い!」思わず口に出して言った。まだ午前11時だった。こんなに早く仕事が終わるのは、嬉しいやら気がひけるやらで、笑っていいのか頭を下げるべきなのか一瞬迷ったが、次の編集の方の言葉で、迷うのはどうでもいいと悟った。「そうなのよ、まだ早いのよー。ごめんなさいね、本当だったら一緒にランチでもしたいところなんですが…」。私は慌てて「いえいえ、大丈夫ですよ、家に帰ります」、と答えた。食いしん坊だということは、恥ずかしげもなく万人にバラしているけれども、ランチを狙っている意地汚い奴だとは、さすがに、狙っているわけではないだけに、思われたくない。私は立ち上がって、コートを羽織り、スタッフの方々に挨拶をして、エレベーターの前に立った。エレベーターが着くと、もう一度、挨拶をしようと、私はスタッフの方を振り返った。そして頭を下げ、大きな声で、「ごちそうさまでした!」と、言いそうになったのである。「お先に失礼します」とちゃんと言えて、エレベーターの中で肩をなで下ろした。
「ごちそうさまでした」をうっかり言いそうになるのは、仕事終わりだでけでない。夜遅く、タクシーで家に帰る時もだ。ウチの前にタクシーが近づくと、「あ、ここで停めて下さい。」と言って、メーターを見る。お財布から必要なお札を出して、運転手さんから釣り銭とレシートを受け取ると、ドアが開く。ドアが開くと、私は荷物を手に持ち、足を片方地面について、腰を浮かせ、「はい、どーも、」と言う。「はい、どーも、ごちそうさまでした」と、うっかり言わなくて本当に良かったと思うのは、タクシーがドアをバタンと閉めて走り去った後だ。今日もちゃんと「ありがとうござういました」と言って降りれたわ、とホッとするのであった。こんな私はやっぱり変なのかと思って、主人に聞いてみた。すると「あ、オレも『ごちそうさま』って言いそうになる」とのこと。どうやら私だけの奇異な言動ではないようだ。おまけに主人は食いしん坊ではない。「ごちそうさまでした」とうっかり言いそうになるのは、食に捕われている証でもなかったようだ。私は二重に安心した。つづく。(by Anne)

サクラ/花
太い幹から直接顔を出し、咲いているソメイヨシノの花。愛らしい。

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2008年3月26日 (水)

座布団抜かれる

どうやら私の思考回路を人々は理解できないらしい。私にとってはものすごく辻褄が合っていることも、皆は突拍子もない発想だと思い、ヒドい時はアホ扱いされるのだ。そんな扱いをされても、私はメソメソしません。皆の想像力が欠落していると判断して納得しているのですから。そして分かってくれる人は、私にきっととっておきの座布団を数枚プレゼントしてくれるだろうと、信じて。しかし、残念ながら先日はちょっと違った。
友達の写真が展示されているからと、中目黒のバーへ行った。友達の周りには初対面の人が数人居たけど、みんな社交的で話やすく、知らないうちに長時間話込んでしまった。とはいえ、大した話の内容ではない。干支の話が始まったときのこと。寅年だとか、猪年だとか言ってるうちに、牛年が多いことにみんな気付いた。牛年の1人が、「ほらね、こいつと、こいつと、オレも牛年」と言うと、となりに居た女性に顔を向けた。「モウさん」と呼ばれている、素敵な女性だ。「あと、モウさん。モウさんだから一緒!」と楽しそうに続けた。あだ名なのか、中国系かどこかの名字なのか、分からない。しかし名前の響きが「モウ」と牛の鳴き声に近いから、モウさんも「一緒!」と言って、牛年の仲間になったという流れぐらいは、私も分かった。分かってはいたのだが、ふと、中国系の名前なのかもしれないなー、どんな漢字をかくのかなー、などという考えが頭の片隅に過ったのだろう。私は、「へー!モウさんって、牛って書くんですかー?」と聞いてしまった。スッとぼけも通り越して、座布団抜かれるような恥ずかしい発言をした、と私が気付いたのは、散々みんな驚いて、散々みんなにブーイングされた、そのずっと後だった。(by Anne)

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2008年3月19日 (水)

行儀も無礼/その2

(つづき)鞄に関してのエチケットは、どうも勘違いなんじゃないか。女性が重たいスーツケースを持ち上げて、見るからに辛そうに駅の階段を上り下りしているのに、横を通る良い年の男性は誰一人として手を貸さない。こうしたシーンはヨーロッパから戻って来たての頃、とてもショックを受けた。もはや道行く男性は当てにできないと分かってからの私は、飛行場へは電車は使わず、必ず近くのホテルから出ているリムジンバスに乗るようになった。さらに付け加えるなら、リムジンバスが出ているホテルまでタクシーで行ける距離の所に、何度引っ越しを繰り返しても、住む事にしたくらいだ。米原万里は、こうした日本の男性の行動に対して、こう締めくくった。ヨーロッパの男性は彼ら程長時間仕事をしない。日本の男性は、毎日毎日クタクタになるまで働いて、夜遅く帰宅する。通勤中に、気配りのゆとりが持てる筈はないだろう、と。なるほど、そうかもね。まあ、荷物ぐらい自分で持つからいいわ、と思ったのと同じ頃、余計な荷物を持つ男性が目につくようになった。デート中の男性だ。この時ばかりは気を利かせて、彼女の荷物を持ってあげているようだ。明らかに彼女の物だと分かるのは、ヴィトンだとか、フェンディだとか、チェーンのついたシャネルだとかのハンドバックを、フリフリやキラキラがたくさん付いたハンドバックを、きっと口紅とお財布と携帯しか入っていないだろう小さな小さなハンドバックを、彼の方が持っているからだ。通りすがりの女性の重たいスーツ・ケースは持たず、かわいい彼女の小さなハンドバックは持ってあげる、とは!そもそもハンドバックは女性にとってアクセサリー同然のお洒落グッズな筈。それを彼が持ってしまっては、せっかくのお洒落コーディネイトも甲斐がない。そのうち、大きなネックレスやイアリングをしていたら、「重たそうだね、僕がつけといてあげるよ」、なんて言っちゃうんだろうか。そんな意地悪な想像をしてしまう。しかし、すれ違うハンドバック君達は、彼女に対して一生懸命なのだろう。やさしくしてあげたい、よく見られたい、ケアしてあげたい、と。そんな健気な気持ちを思うと、意地悪な想像をしている自分が情けなくなる。まあ、いいじゃない、そんなに重大なことじゃないじゃない、と思えるくらいの寛大な大人に、どうかどうか、なれますように。(by Anne)

チューリップ
春だ。開きかけた時のチューリップが、なんとも可憐で好き。花言葉は、「博愛」、「思いやり」。ふと、チューリップ柄を帯に描いて、キュッと締めて、花言葉を胆に命じたいと思った。

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2008年3月15日 (土)

2008.03.15

主人は仕事。
私は友達とカフェでsaboriday。
ほんの少し、罪悪感。
(by Anne)

un cafe

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2008年3月14日 (金)

行儀も無礼/その1

米原万里のエッセー集『真昼の星空』を読んでいたら、『エチケット』という話のところで、そういえば、と日頃私があまり歓迎できないことを思い出した。エチケットというものを勘違いしているのではないかというシーンを目にするときだ。米原万里によると、例えばヨーロッパの地下鉄で男性が女性に席を譲ること(最近では少なくなりつつあると思うが)は、最初はエチケットとして教えられ、意識的に行なうけれど、だんだんそれが習慣になって自動的な行為になっていくという。この自動的な行為が異文化に触れた時、例えばヨーロッパの女性が日本に来て、男性は誰も席を譲ってくれないのを見た時、改めて自らの自動的な行為を意識するのだ、と。ここで注意。作者も言ってるように、良いとか悪いとかってことじゃない。ただ、観察していて面白いと思うからなのだ。私がエチケットの違いを意識したのは、まず、スパゲッティー。20歳位の夏休みに私は久し振りに日本に遊びに来た。中学校時代の同級生達とパスタ屋で食事をした時のこと。ギョッとしたのは鮮明に覚えている。数人の男の子が、ズズズッとスパゲッティーをすすって食べていたからだ。勿論日本の家庭でも食事中に音を立てて食べるのはお行儀が悪いと教える筈だ。しかし、なぜ?麺だけに、お蕎麦を食べる時と同じスタイルになってしまうのだ、ということは後になって分かったが、たらこ味でも納豆味でも一応スパゲッティーはスパゲッティーだ。イタリアの食材だから、ヨーロッパのマナーに従って静かに食べて欲しいものだ、と心の中で反復した。しかし、そのまた後になって、その呟きの反復を反省した。とほほ。お蕎麦とは、音を立てて食べて良いものではなく、音を立てて食べるべきものだ、と知った時。スパゲッティーは「ズズズッ」で不味そうになるけど、お蕎麦は「ズズズッ」で美味しくなる、と知った時。ヨーロッパ生活が長かった私は、お蕎麦を、静かーに、静かーに、そーっと、おちょこから食べていたことを恥じた。そうと知っても、すぐに「ズズズッ」なんて音をたてる勇気はなかった。自動的に恥ずかしい行為だと思ってしまっていたからだろう。数年前くらいから、やっと、人並みの「ズズズッ」ができるようになったのだ。山梨に行ってお蕎麦を食べていたら、地元の人に「上手ですね」と言われたくらいだ。少しだけ、赤ちゃんがゲップをして「お上手、お上手」と褒められているのと、イメージが重なった。
エチケットというのは難しい。捉え方や振る舞いを間違えると、とんだことになる。例えば、レディーファーストのつもりでドアをいつも開けて先に通してくれる日本の男性を、キザだ、とかカブレてる、だとか思う日本の女性も多い筈。ドアに関しては私は大歓迎だが、どうしても歓迎できないのは鞄だ。つづく。

真昼の星空
『真昼の星空』。著:米原万里。出版社:中公文庫。590円+税。


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2008年3月13日 (木)

私の耳はダンボの耳/その2

(つづき)本当に商売しているのかそうでないのか疑問に思うおかみさんだが、今思えば、彼女も軽く3人組の話を盗み聞きしていたことになりはしないか?その一部始終を聞いていた私も然ることながら。そして、3人組は他愛もない話をしながら鰻が出てくるのを待った。「あら、松ぼっくりが置いてある」、「かわいいわね」、「遭難したら松ぼっくりを食べると良いんですって」。遭難しそうな事を頻繁にしているのかな、と私は思った。「けっこう食べれるんですってね」、「リスが食べるわよね」、「…さんが、リスが食べた松ぼっくりの芯を見て、海老フライみたいって、そういえば言ってたわ」、「ああ、こっちの方のね、分かるわ」。私は松ぼっくりに2種類あるのかと3人組の方をチラっと見た。なるほど。海老フライになりそうな長い松ぼっくりがある。ふーん…。しばらく私は海老フライの形をした松ぼっくりが、森の中に落ちている光景を想像してみた。3人組の話はその間に鰻の話に移ったようだったが、もう私の耳は元通り小さくなって、今度は盗み聞きの行為そのものについて考え始めていた。そういえば、この前セガフレードでコーヒー飲んでいた時もあった、と思い出した。私のとなりにお嬢さんルックをした20歳くらいの女の子が座ろうとした時の事。私がふと顔を上げてその子を見ると、ニコッとその子は笑った。私もニコッと笑った。たったそれだけのことなのだが、咄嗟に私はその子に興味を持った。この子は海外育ちに違いない、と。こういうタイミングでニコッとする習慣は、海外、例えばフランスとかに住んでいないと身に付かない筈だ。そんなことを考えていると、50歳くらいの男の人がその子の前に現れた。「おお!元気か!もう戻って来ないかと思ったよ」。親戚の伯父さんなのかな?戻って来ないっていうことは、やっぱり海外生活している子なのかな。「何でぇー!そんなことないよー!」若い子らしい甘ったるい声で、タメ口で答えた。「写真持って来たよ」、「これヴェルサイユに行った時」、「ルームメイトが超不良でぇー、超生意気なんだよねぇー」。伯父さんらしき人に写真をみせながらコメントしてる様子だ。フランスに留学か何かで、住んでるようだ。やっぱりね。それだけ分かると、私は自分の用事に没頭した。ジェロのCDを封筒に入れ、パリにいる妹の宛先を書く。FRANCE、と書いたその時、隣の女の子の視線を感じた。なんとなく、私のようにその子も気になっていたのかもしれない。この人、ニコッって笑ったけど、なんだろうと。盗み聞きや盗み見は、この程度のことなら問題ないだろう。そもそも「私は作家なんだから!」。と、いつもの通用しない言い訳で解決させた。だって、ゴダールはどこからシナリオのアイディアを得たかといえば、カフェですからね。毎日カフェに何時間も居座り、何時間にも渡って周囲の会話を全部メモしていって、その盗み聞きをした会話を、シナリオの至る所にちりばめて、それであんなに生き生きとした、当時にとって現代的な、現実的な、映画を作ったのだから。(by Anne)

ジェロ
なにも説明書きをしないで、演歌ファンの妹にジェロのCDを送った。ジャケットを見て、なんて思うだろう?リアクションが楽しみだ。

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2008年2月23日 (土)

2008.02.23

saboridayはヘアースパで。
オイルマッサージに、クレンジングに、トリートメント。
ミストの蒸気に包まれて、極楽気分。
(by Anne)

大島椿
Salon d'hotes de luxes(表参道駅からすぐ。tel: 03-5778-1850)でヘアのスパをした。私が長年愛用している大島椿のオイルやシャンプー等でケアしてくれる。良質なものをそのまま使ったヘアケア製品は安心だし、効果抜群だし、マッサージは気持ちが良いしで、良い事ばかりでした。大島椿がなくなったら、私は生きてゆけないっっっ、と大げさだけど思ってしまうのよね。

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2008年2月14日 (木)

心気症患者の妄想

昨日、私は青ざめた顔で耳鼻咽喉科のドアを開けた。と、いうのは2週間位前から喉に何か閊えているような違和感を感じていたからだ。一向にその感覚が消えないので、『家庭の医学』で調べてみると、なんと喉頭癌だと書いてある。原因の欄を見ると、お酒、とある。あー!これはワタシだー!私は頭を抱えた。この年で癌になったら余命3ヶ月とかだろう。私は過去を振り返り、思い残す事はあるだろうかと考え始めた。友達に相談すると、「そんな訳ないじゃん」という答えを期待したが裏切られ、「調べてもらった方が良いよ」と言う。やっぱりそうか。意を決していざ耳鼻咽喉科へ。以前にもお世話になったお医者様だ。名前を呼ばれて診察室に入る。優しそうな声で、こちらへおかけ下さい、と言って先生は私を診察用の椅子に座らせた。ああ、そうだった、そうだった。この椅子!私は恐怖で全身に鳥肌がたった。私が腰掛けた椅子は、まるで死刑台の電気椅子のようなのだ。頭も肘も腰も固定されているような感覚になる、恐ろしい椅子。先生は立ったまま、私のとっても近くに寄って来て、真上から私を見下げる。顔は半分大きなマスクで覆われ、ギョロッとした目だけがジッとこちらを見据えている。私のすぐ左手には、色々な形をした器具がたくさん並んでいる。その異様な形と金属の冷たい輝きが目に入ると、いよいよ私の背筋は凍り出した。先生は器具を一本手に取り、私はランプで照らされた。器具は私の口元に近づいた。ハンニバルに殺される!私は叫びたかったが、口を開けていたので小さく唸るだけに留まった。先生の優しい口調は、映画に出て来るシリアル・キラーをなおさら彷彿とさせた。「うーん、カメラで見てみないと分からないなあ」と先生は呟き、チューブのようなものを引っ張り出して「鼻からカメラ入れますね」と言った。「え?今?今すぐ入れるんですか?」私はカメラを入れる心構えをしてこなかったので、硬直した。先生は、そうですよ、と言いながら私の鼻に何か入れようとする。私は慌てて先生の腕を掴み、「ちょっと待って下さい」と血相を変えてお願いした。すると、今までの優しい先生の口調は一瞬にして厳しくなり、「小学生だってやってます」と私を黙らせた。私はそこで、まるで生きる事をあきらめた囚人のような気分になり、先生の言いなりになった。軽く鼻に麻酔をかけた後、カメラが入った。恐怖で放心状態さながらだったので、気がついた時にはもう診察は終わっていた。恐らく痛くなかったのだろう。先生は、カメラで撮った喉の映像を私に見せながら、とても丁寧に説明してくれた。そして「どこにもなにもないですよ。差し上げるようなお薬もありません」と私を見つめた。「そうですか」。私はお礼を言って、診察室を出た。その頃にはもう、癌かもしれない恐怖も、ハンニバルに殺される恐怖も消えていた。耳鼻咽喉科のドアを開け、外に出た。入って来た時とは逆に、真っ赤な顔をして。安心したと同時に羞恥心でいたたまれなかったのだ。前回も、耳の聞こえが悪いからと言って診てもらったが、「なんにもないですよ」だった。今回の喉も「なんにもないですよ」。きっと私のカルテには、「なんにもない」と2回書かれていることだろう。そして、コメントとして「心気症の疑い」と書いてあるかもしれない。幸い先生をハンニバルだと思い込んだことはバレていないが、それにしても恥ずかしい。もう二度とあの耳鼻咽喉科へは行けない。二度ある事は三度ある。また「なんにもないですよ」なんてことになりかねない。もしくは「三度目の正直」で何かあるか。それも怖いけど。(by Anne)