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2008年9月 3日 (水)

12人の怒れる男/ミハイルコフ版

デジタル放送用のテレビを買ったら、画面の向こう側がメチャメチャ生っぽくて、気持ちが悪くなった話は昨日した通り。実際、肉眼で見ている人の顔や光景よりも、細かく観えてしまう気がするのは、まだこの新型テレビに慣れていない私だけだろうか?なんだか、昔カッコつけで読んでいた、ヴィリリオやボードリヤール達が論じていたポストモダンの考えを、今、実感した気になった。(そういえば、ボードリヤールの『シミュラークルとシミュラシオン』は映画『マトリックス』のバイブルだった筈。)もし、画面の向こう側の世界の方が現実よりもリアルに感じるような世界になったら、っていうか、もうけっこうそうだし、一部の人達は120%そうだけど、その実態の無さがもたらす危険に対抗するために、もう一度自分自身と向き合って、一個人の自覚と感覚に働きかけなければならなくなるだろう、と思うこの頃…。なんて、にわか格安思想を綴るつもりはないですけど。けど、けど、先日、映画『12人の怒れる男』(ニキータ・ミハイルコフ監督)を観て、そこでもまた、自覚を持って個人的な感性で物事を理解することの大切さを目の当たりにしたのだった。1957年にベルリン国際映画祭で金熊賞に輝いたアメリカの名作(シドニー・ルメット監督)のリメイクにチャレンジしたミハイルコフだが、もう、チャレンジとかいう枠を完全に超えてしまっている。物語は、市民から選ばれた12人の陪審員の論議で構成されていて、彼らの評決によって、殺人の容疑をかけられている青年の有罪か無罪が決定されるのだ。有罪となれば、青年に未来はない。そこでみんなが法律や裁判官のジャッジをそのまま鵜呑みにする中で、たった一人が無罪を主張する。ドラマはそこから展開するのだ。オリジナルで黒人が青年となっているところを本作品ではチェチェン人の青年に置き換え、舞台を真夏のニューヨークから真冬のモスクワに移し、かつてアメリカが抱えていた人種問題を、現代のロシアが抱える大きな闇に塗り替えた、その勇気と器用さに、私は脱帽した。これほどのロシア批判は、監督がロシアの国歌作詞者の息子であり、プチーン現首相とも交流がなければできなかったかもしれない。なお、オリジナルがストイックな社会派であるのに対して、本作品はおしゃべりでユーモア満載。極めてロシア的だと、ロシア語ができる人が言って、上映中ケラケラ笑っていた。ハリウッドがネタ不足でミニシアター系秀作のリメイクばかりしているけれど、そこにはスターを揃えて膨大な興行利益を得るため以外の必要性はないんじゃないか。だから一部例外以外、多くのリメイク作品は、しょぼくなってしまう。リメイクする必要性とはこの事よ、と叫びたい、ミハイルコフ版『12人の怒れる男』。傑作だ!(by Anne)

12人の怒れる男
『12人の怒れる男』(監督:ニキータ・ミハイルコフ、配給:ヘキサゴン・ピクチャーズ)
http://www.12-movie.com/

2008年9月 2日 (火)

賢くなったテレビ?

随分前にキャスターをやっていたお友達と代官山でショッピングをしていた時の事。セレクトショップに入り、ふたりでマルニの服だったかを手に取ると、あまりのかわいさにキャアキャア言った。キャスターの子は「どうしよう、仕事の時の服にしようかな」とつぶやいたので、私はびっくりした。「わざとだけど、こんな生地がほつれた感じの着てニュース読むの?大丈夫?」。当時の私は、日本のテレビでニュースを読む人は、カッチリとしたスーツじゃないといけないと思い込んでいたからだ。しかし彼女は、「うん。大丈夫なのよ。それにこのほつれた感じだけど、テレビってバカだからこんな細かいところまで、映んない、映んない」。彼女は首を振った。ところが時代は代わった。先日しつこいデジタル化の勧誘にとうとう降参して、新型テレビを購入した。人の話によると、テレビ売り場では、大きすぎるように見えても、いざ家に置いて暫く経つと、もうひとまわり大きいサイズにすれば良かったと後悔するものらしい。それを聞いて、ウチにも本来購入予定していたサイズよりも、ひとまわりどころか欲張ってふたまわりも大きいテレビにしてしまったのだ。無事入ったから良いものの、電源を入れてみると、なんだか気分が悪くなった。画面が大きすぎて、すぐそこの窓の向こうに人が居るような感覚になる。大して広くないリビングに大の大人がウヨウヨ。おまけに質感がクリアすぎて生々しい。ファンデーションののりまではっきり見えると言ってもいいぐらいだから、オエ、オエ。しかしDVD観賞と大きさの面ではミニシアター気分で楽しめてなかなか良いが、ブルーレイで観る画質に関しては、まだ慣れない。クリアすぎて映画を観ても映画じゃないみたいだ。昔、ビデオ映像が出始めた頃、ゴダール以外のシネフィルが挙って、観るに絶えない映像だと罵倒して、フィルム映像の美学に執着していたのを思い出す。私は、あのざらついた感じ、あの「バカ」っぽい感じの、アナログ映像にすでにノスタリジックになっている。もはや、テレビは賢くなった、デジタルと共に???(by Anne)

2008年8月22日 (金)

マジック・アワー/その2

(つづき)要するに『マジック・アワー』が面白かったというだけの話なのに、オーバカナルのテラスで友達の「趣味の良いチンドン屋」に、そんなふうにだらだらと、語っていた。夕立が来そうな昼下がり。暑くて気持ちが緩んでいるのか、レモンタルトに夢中なのか、キレのない私の話に珍しく突っ込んでこない。聞いてなかったのかしら?疑いたいぐらいであったが、私も気にせず、自分のプレートに没頭することにした。食べ直しのプレートである。ランチに頼んだブイヤベースが、大きなお皿に雀の餌ほどの量しかなくて、そのケチ臭さに腹を立てた私は、某有名シェフのレストランを出る時、「ごちそうさまでしたぁ〜」の代わりに「おなかすいたぁ〜」と言って出てきた。あまりに欲求不満だったのでオーバカナルに移動し、「趣味の良いチンドン屋」は大きなレモンタルト、私はケチなブイヤベースを忘れるために、同じような魚のプレートを選んだ。とはいえいくらなんでも2回もランチをするなんて、危険、危険。夜は控えよう。そう思った頃、「趣味の良いチンドン屋」は口を開いた。「そうなのよ、三谷幸喜の作品って面白いのよね」。なんだ、私の話は聞いていたんだ。「よく見に行くわよ、前にもゴッホとゴーギャンの話のお芝居を観に行ったわ」。「ゴッホとゴーギャン?ああ、喧嘩するやつ?」と私は魚とラタトゥイユをフォークにさしながら相槌を打った。「そう、そう、仲悪かったじゃない?えっと、もう一人誰だっけ?仲を取り持っていた人」。宙を仰いで、人名を探している様子の彼女に、「セザンヌでしょ?」と答えた。「あ、そっか、セザンヌね」と彼女。「そうじゃない?彼も南仏だし」と私。「でも、彼もキャラ強そうよ!きっとセザンヌじゃないわよ」。「そう?じゃあ、あれだ、南の島に行っちゃった人」。「だから、それはゴーギャンよ!」。「あ、そっか、じゃあ、誰だったけ?」…。うーん。私たちは黙りこくった。オーバカナルのテラスで、足を組んで、腕を組んで、首をかしげたり、宙を仰いだり。必死になってもう一人の画家を思い出そうとしていた。片方は、有名な彫刻家の娘でソルボンヌの美術史卒。もう片方はフランスの勲章まで授与した美術評論家の儘娘。とてもそんな2人の会話だと思えない。「良かったわ、誰にも聞かれなくて」と辺りを見渡した私たちであった。しかしそんな間抜けな姿を、私は書かないではいられない。(by Anne)


『マジック・アワー』のストラップ
結局ゴッホとゴーギャンの仲を取り持っていたのはスーラ、と言いたかった私たち。三谷幸喜の作品『コンフィダント・絆』には、もうひとりシュフネッケルが登場する。

2008年8月21日 (木)

マジック・アワー/その1

先日、ワイン友達の「ビー玉」と「アイドル」と共に、夕方からシャンパーニュ7種をティスティング&飲み比べるという会に参加してきた。そもそも私のワイン友達は白や赤ワインよりも泡を好んで飲むので、私も頑固なボルドー派だったのが、今じゃすっかり影響されてスタートでもしっかり泡、〆にも泡、その間も泡ならなお良いと言うようになってしまった。カジュアルな時はCAVAやスプマンテで済ますけれど、やっぱりシャンパーニュは香りをかぐだけでもうっとりする。と、いうわけで、そのシャンパーニュの会のお誘いに積極的に参加した。丁度日が沈んで、青と赤に染まった空の光が銀座のビル郡を照らす頃、「アイドル」と映画の話をし始めた。シャンパーニュに気を取られていたので、何の映画の話をしたのかあまり覚えていないのだが、彼女が『マジック・アワー』(監督と脚本:三谷幸喜)は面白かった、と言ったことだけはなぜか、その翌日日比谷のシャンテ・シネの前を通った時に思い出した。そこでどれどれ、観てみようか、と軽い気持ちで入場したのだが、映画館を出る頃には完全にやられて、その余韻は翌日まで続いた。物語が進行すればするほど面白い。規模もジャンルも違うけど、スピルバーグさながらアイデアの連続。言葉の面白さを存分に披露しているのと同時に、佐藤浩市の役者としての面白さも120%見せられてしまった。翌日、主人とランチをしていても『マジック・アワー』の台詞や佐藤浩市の仕草を所々思い出しては、薄ら笑いをしていたくらいだ。気味が悪いと言われも仕方がないが、だったら観に行こう、と主人を引っ張って、またしてもシャンテ・シネに入場することにした。要するに私は2日連続で観たというわけだ。シャンパーニュを片手にしたマジック・アワーにすっかり魔法をかけられてしまったのかもしれない。今だって、もう一度、観たいと思っている。そういえば、アン・リー監督の『ラスト・コーション/色・戒』も2回目はここだった。どうやら、この映画館は私が癖になる作品を上映することが多いのかもしれない。つづく。(by Anne)


ルイーズ
シャンパーニュの会で、最後に特別に出てきたポメリーの『キュヴェ・ルイーズ』の89年。泡はまだきめ細かかった。


2008年7月 3日 (木)

シネメモ2008年初夏/その2

なんとあの『セックス・アンド・ザ・シティ』がスクリーンデビューすると知って、早速試写会へ。数年前に私がDVDで観た時は、なんて楽しませてくれたことだったろう。それに当時いろいろな女友達会う度に、このドラマの話が話題に上らなかったことはない。一体どれだけの女性が励まされたり、パワーをもらったことだろう、とつくづく思うのだ。『セックス・アンド・ザ・シティ』は、単に下ネタトークを炸裂する品の無い女達の物語では決して無い。ニューヨーク特有の知性とセンスが光る、ブラックユーモアのスパイスがメチャメチャ効いたトークが炸裂するのであって、その点でいえば、ニューヨークのジューイッシュのエスプリにメチャクチャ近い感覚で描かれたドラマだと思うし、もっと言うなら、登場人物の4人の女性は、ウディ・アレンの娘達でしょ、と思うわけなのだ。おまけに、全94話にも及ぶ長い物語の始まり、つまり起承転結でいう『起』の部分はセックスの話が多いが、物語が進行するにつれて、テーマは恋愛観へと移行してゆく。最後の方では心うたれるシーンに幾度も出くわすわけなのだ。この物語は、下品だのなんだの、というレベルのものではなくて、もう、本当に、30代〜40代に代表される大人の女性達の、リアルなのだ。同世代の心を掴まない筈が無い。
と、前振りが長くなったが、映画版の方は、ドラマが1話が60分未満とやや私は欲求不満だったのに対して、2時間30分と、長い間楽しませてくれる仕上がりになっている。前半はライトでトレンディー。おなじみのテンポの良い会話が飛び交い、まるでファッションショーを観ているかのように華やかだ。後半はディープでラブリー。4人それぞれの恋愛の神髄に迫っていき、何度も何度も目頭が熱くなる。見終わった後の爽快感は、ホット・ヨガで沢山体を動かして汗をかいた後に似ている、とちょっと思った。ちなみに、4人の中で誰が好き?とよく人に聞く。幼なじみのY子は「当然サマンサでしょ!」と言い、友人の45歳の男性も、サマンサだと断言していた。確かに彼女の徹底振りはアッパレでかっこい。この映画で50歳を迎える彼女には、盛大な拍手を送りたいと心から思うかたわらで、私は、逆の意味で徹底している、常に愛に真剣な、シャーロットに痛く心打たれる。でも、ミランダの皮肉に勝るものはない。映画の最中では周りを気にして無理だったが、DVDをウチで観ていた時は何度手を叩いて喜んだことか!(by Anne)


セックス・アンド・ザ・シティ
『セックス・アンド・ザ・シティ』/8月23日より、日劇3ほか全国東宝洋画系にてロードショー。
監督・脚本:マイケル・パトリック・キング、配給:ギャガ・コミュニケーションズ
http://sexandthecity-movie.gyao.jp/

2008年6月26日 (木)

シネメモ2008年初夏/その1

『881 歌え!パパイヤ』(8月9日よりユーロスペースにて公開予定)。試写状に魅了されて、なんだか分からぬまま観に行ったシンガポール映画。試写状は、赤や黄色の色使いで、めちゃめちゃ明るくて楽しい雰囲気を漂わせ、すごいパワーがもらえそうな、とにかく元気になる、そんな作品なんじゃないか、と思ったからだ。まるで東南アジア版ピンクレディー、といった2人の女の子のポートレイトのまわりには、「ウワッ!すごいっ!」、「ガーリー・パワー炸裂」の「トロピカル・エンタテイメント・ムービー」、「衣装200着!」、「ド肝を抜く歌と踊り」、などというワクワクする言葉が、それこそ炸裂している。おまけになんとシンガポール国民の10人に1人が観たという、2007年シンガポールNo1の大ヒット作品だとういう。観てみたら、本当だ。本当にその通り。スターを夢見る2人の美少女が、様々な困難を乗り越えつつ、成功するまでのシンデレラストーリー。ユーモアあふれる会話や心に滲みるシーンもあって、なかなか観応えがある物語になっていると思うのだけど、それ以上に、もう、なによりも、2人の歌と踊りと衣装と化粧と、表情がすごいのだ。一旦、彼女達が歌いだしたら、もうそこは、ボロ家だろうと、路上だろうと、まるでムーランルージュのフレンチカンカンのような華やかさに包まれる。いや、もっとパワフル。いや、なんだか観たこともない姿に、息をのんで、もう、うっとり。気がつけばエンディングロールが流れているのだ。あと、面白いのは、シンガポールの他民族性が反映されているところ。知らなかったのだが、この小さな国はマレー語を国語とし、英語(といってもシングリッシュという北京語と英語が混ざったもの)を公用語としているそうだが、(って聞いても、どうなちゃっているの、って感じだけど)、この映画の中で頻繁に飛び交う方言のような福健語(ふっけんご)が映画で使われるのは、この作品が初めてだという。それだけでも、アジアの交差点であるシンガポールのコスモポリタンなパワーが、グワッと押し寄せ、私は大興奮なのである。(by Anne)


881 歌え!パパイヤ
『881 歌え!パパイヤ』/監督:ロイストン・タン、配給・宣伝/マジック・アワー+チャンネルアジア。8月9日よりユーロスペースにて公開予定。www.881movie.com

2008年4月 4日 (金)

Paris/Tokyo間iPhotoリポート

ミケランジェロ・アントニオーニの映画で『欲望(Blow-up)』というのがあった。ロンドンのファッションシーンを舞台にした、サスペンス映画だ。売れっ子カメラマンがある日公園を散歩していると、遠くに素敵な女性がいることに気付く。職業的な衝動から、なにげなく彼女を追うようにシャッターを切る。しかし、その写真を後で現像し、引き延ばすと、そこにはある殺人事件の秘密が隠されていた…。というような話。カメラやビデオが押さえた映像を、ズームしたり、巻き戻して繰り返し見たり、スローモーションで見たりすることで、事件の真相が明らかになる、といったパターンの映画が、66年の『欲望(Blow-up)』を筆頭に以後、特に80〜90年代とても増えたと思う。さっきiPhotoで写真を見ていて、ふとそんな事を思い出した。というのも、私のiPhotoには、私が撮った写真だけでなく、人から送られて来た写真も、なんでもかんでもミックスされていて、きれいにファイル別に保存しない無精が、思わぬ発見につながったのだった。人が送ってきてくれた写真もiPhotoに入れると、自動的にその写真が撮られた日時順に並べられる。例えば、昨年の8月26日に友達が撮った写真が今日送られてきたとしよう。だけど、iPhotoに取り込んだ段階で、私が昨年の8月26日に撮った写真の間に混ざって、自動的に並べられるのだ。おまけに時間によっても順付けられる。先日母が送って来たチビ猫2匹の写真は、みごとに1月30日、私が恵比寿のKIORAで撮った写真の間に入っている。ということは、1月30日、東京で私が美味しいイタリアンで鹿肉をほおばり、デザートワインを試飲していた同じ時間に、パリで母は、私に送るためにセッセと子猫達の写真を撮っていたのだった。(時差があるから、まったく同じタイミングで、という話ではないが)。たかが子猫の写真なのに、「いつなんじどこでだれがなにをしたか」という情報まで伝わってしまうとは!プライバシーの境界線は消えつつあるのかと思うと、恐ろしい。(by Anne)


Paristokyo1
パリで。話し込んでる最中、子猫は作家の背中に潜り込む。

Paristokyo2
その間東京で、私は鹿肉を食べる。

Paristokyo3
スパイシーな赤と共に。

Paristokyo5
食後には甘口ワインを数本ティステイング。

Paristokyo6
どれもイタリアのもので、珍しいものばかり。

Paristokyo7
シチリアのものが印象的だった。

Paristokyo8
パリでは本棚の陰で、子猫2匹がじゃれあう。

Paristokyo10
そして1匹は作家の膝枕で休憩。

Paristokyo11
するともう1匹やってきて、2匹仲良く作家に膝枕。
東京の私に酔いが回ってきた頃…。
(本当は時差があります)

2008年3月 6日 (木)

アイム・ノット・ゼア

トッド・ヘインズ監督の最新作の試写会へ行った。『ベルベット・ゴールドマイン』や『エデンより彼方へ』の監督。初期の『ケミカルシンドローム』からジュリアン・ムーアとの絶妙なコンビネーションに注目していたが、今回は彼女は脇役。なんてたって、主人公は男性ですから。『生ける伝説』とも言われるボブ・ディランの生き様を描いた新作、『アイム・ノット・ゼア』は、単純に彼の過去をなぞっただけのストーリーではない。詩人、無法者、映画スター、革命家、放浪者、ロックスター。どれもボブ・ディランであり、その多様な顔を持つ彼の姿を6人の豪華キャストによって演じられている。6人の俳優がこの男性を演じた、というと、ちょっと違う。5人の俳優と、そして1人の女優なのだ。しかもその女優はジュリアン・ムーアではなく、ケイト・ブランシェットだ。あまりにそっくりで、素晴らしい演技だったため、2007年ヴェネチア映画祭主演女優賞に輝いたのは当然のことだろう。とにかく彼女の演技には驚いた。それに、正直、私はボブ・ディランを意識して聴いたことがない。村上春樹の小説を通じてしか知らなかった。どこかで彼が、「静かに降る、細かい雨のような音楽」とかいうような言葉で、ボブ・ディランの音楽を表現していて、想像上ではゾクゾクしたが、それでもちゃんと聴いたことはなかった。いやはや。こんな詩人が居たなんて!まるで20世紀のランボーのよう。最初のシーンで、ボブ・ディランのギターボックスに、「これはファシストを殺すためのマシン」と書いてあるのを見た瞬間から、2時間15分の間、どんどんこの芸術家とも言える人物に魅了されていくのだった。しばらくは、ボブ・ディランの音楽ばかり聴いていたくなるだろう。(by Anne)

アイム・ノット・ゼア
『アイム・ノット・ゼア』。トッド・ヘインズ監督。キャスト:クリスチャン・ベイル、ケイト・ブランシェット、マーカス・カール・フランクリン、リチャード・ギア、ヒース・レジャー、ベン・ウィショー、シャーロット・ゲンズブール、ジュリアン・ムーア。配給:ハピネット/デスペラード。GW、シネマライズにて公開予定。

2008年2月21日 (木)

2月のシネメモ/その2

(つづき)。後者は旧東ドイツのベルリンを舞台にした、国家保安省の大将の物語。共産主義体制に抵抗する脚本家を長期に渡って盗聴するが、次第に彼と恋人との深い恋愛関係に心奪われてゆくといった展開だ。大将は自分の立場と葛藤しながら、結果的に勇気ある行動を取ることになる。『マンデラの名もなき看守』の方は、アパルトヘイト政策の南アフリカ共和国を舞台に、投獄中のネルソン・マンデラを監視した男の物語。黒人を下等な人間とみなし、黒人囚人に対し冷酷な対応をしていたが、マンデラと関わるにつれ、次第に彼の思想に感銘を受けるようになる。どちらの作品も、同じ時代の政治の話だということも然ることながら、自分の「標的」と関わりを持つ事で、自分の人生に大きな変化が訪れるといった感動の物語だ。そして最後、どちらの主人公もドラマティックな態度がないところが、また良いのだ。正しいと思い込んでいることが、必ずしも本当に正しいことではないこともある。過ちはだれにでもあるけれど、大切なことは何が過ちなのかを知ることなのだとつくづく感じた。ちなみに大将役のウルリッヒ・ミューエは昨年、胃がんのため死去したそうだ。アカデミー賞外国語映画賞を受賞したばかりだというのに、残念だ。
あと、もう1つ。これまたDVDで観た『マリー・アントワネット』(ソフィア・コッポラ監督)。あの、「パンが無ければお菓子を食べれば良い」と「名言」を放った人物のポートレイトと言うべき作品。彼女を1人の女性、というより、女の子として捉えた監督の視点は、彼女に対して批判的な所が全くない。観ていて、私たち(とくに女性は、かな?)はむしろ、オーストリアから裸でフランスに嫁いだこの孤独な王妃に、共感してしまうのだ。しかしフランスでは賛否両論で、しかも然程流行らなかったというのも分かる。と、いうのも、ルイ16世とマリー・アントワネットをギロチンにかけたフランス革命があってこそ、共和制ができ、今のフランス共和国があるわけで、もしこの王妃を肯定するとなると共和制に反対する極右の意見に同調することになるからだろう。ま、極論を言えば、ってことだけど。でも、監督はフランス人じゃないから、このイッちゃってる、ある種アナーキーな王妃を、もっと自由な視点で描けたんだと思う。宮殿を抜け出してパリのオペラ座で踊りまくるシーンにはロック。色とりどりの靴を並べて、どれにしようかなと選ぶシーンの脇にはコンバース。時代が違っても女の子は女の子。監督の普遍的な視点が、そうだ、私は好きなんだ。ところで、マリー・アントワネットの終期は「オーストリア女め!」と民衆に罵られたが、最近人気が落ちたサルコジ大統領も「ハンガリー男め!」とそのうち言われちゃったりしないかな?彼のオリジンがフランス人でないところが、唯一のチャーム・ポイントだと、私は思っているのに。(by Anne)
マカロン
やっぱり好き。ラデュレのマカロン。『マリー・アントワネット』の中にもマカロンはたくさん登場した。美味しそうだった。


2008年2月20日 (水)

2月のシネメモ/その1

どうしてももう一度映画館で『ラスト・コーション』が観たくなって、「趣味の良いチンドン屋」と「マダム・ジーザス」に声をかけてシャンテ・シネへ出かけた。まもなく80歳になろうとするけどそうはとても見えないエネルギッシュなマダム・ジーザスに、私はこう言った。「この映画を観たら、もう一度恋愛したくなりますよ」と。一笑に付されたが、私は映画を見終わった後の彼女のリアクションを楽しみにしていた。照明が消えて、いざ本編が始まると、それからエンディングロールが流れるまでの時間はあっという間。2度観ても感動して、しばらくの間2人のリアクションを聞くよりも先に、「もう、ホント、うっとりしちゃうのよねー。なんて切ない話なのかしらー」と1人で映画の余韻に浸っていた。少しして私が落ち着きを取り戻すと、彼女達のリアクションが気になった。食事に行く恵比寿までの地下鉄の中で、私は彼女達を覗き込み、「どうだった?」と聞いた。マダム・ジーザスは私が「もう一度恋愛したくなるって言ってたけど、やっぱりアンヌって少女みたいね」と少しバカにして、本人は全くその気にならなかった風に答えた。しかし、その80歳になろうとしている女性が地下鉄の中で、この映画の名シーンであるラブ・シーンを事細かにコメントし始めたのだ。しかも張りのある透き通った、美しい声を張り上げて、大声で。さすがの「趣味の良いチンドン屋」も私も慌てて、どう言葉を慎むように伝えればいいのか戸惑った。マダム・ジーザスはそんな私達の慌てようには全く気付かず、「やっぱり中国の男って素敵ねー」と遠くを見るように、地下鉄の広告が貼ってある方に目をやった。大連育ちのマダム・ジーザス。「もう一度恋愛したくなりますよ」を一笑に付したのも当然かもしれない。恋愛ぽっちとは言いたくないが、もっとスケールの大きな色々な思いが彼女の心の中に蘇ったのだろうから。
ところで『マンデラの名もなき看守』(ビレ・アウグスト監督)の試写会に行った。先達て『善き人のためのソナタ』(フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督)をDVDで観たばかりだったから、まるで兄弟のような作品だなあ、と思った。つづく。(by Anne)

マンダラの名もなき看守
『マンデラの名もなき看守』。ビレ・アウグスト監督。ネルソン・マンデラの生き方に感銘した看守の物語。5月シネカノン有楽町1丁目、シネマGAGA!にて公開予定。