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2013年11月12日 (火)

涙の訳

唯一、私が自慢できることといえば、寝起きの良さだ。

目覚ましが鳴ると同時にパチッと目が開き、パキッと起きれる。

目覚ましが鳴る前に起きることもできる。

二日酔いでも起きれる!

すごいでしょ(笑)。

しかし4歳のウチの子は違う。

目がすぐに開かないのが気持ち悪いようで、不機嫌になる時期があった。

朝、ウチの子を起こす役目の私は、なにか対策を、と思いあれこれ考えた挙げ句、名案が浮かんだ。

物語が大好きなウチの子には読み聞かせが一番かも、と。

寝ぼけ眼に「ご本読むぅ?」と問いかけてみると「うん」と答え、イライラが治まる。

読み聞かせているうちに、楽しそうに起きて来る。

読み終わる頃には目もパッチリ開いている。

というわけで、毎朝寝起きの数分は読み聞かせタイムとなった。

目がまだ開いていないので、絵がなくてもお話だけで十分。

なので、出産前に買っておいた本を引っ張り出して来た。

みねまち学園という幼稚園の園長先生がまとめた短いお話集。

『親と子の心をつなぐ、日本の名作昔ばなし』と『親と子の心をつなぐ、世界名作おはなし玉手箱』だ。

幼稚園や保育園で、是非子供達に聞かせたいお話を集めたものだそうだ。

たくさんの素敵なお話が詰まっているし、読み聞かせのポイントもついていて文体も読みやすく、気が利いている。

とにかく母子共に気に入っているのだ。

そこで、先日も朝、「ご本よむぅ?」と、昨日の続きを開いてみると、その日は『かぐや姫』だった。

15夜のお月様の晩に、月からのお迎えがやってくる。

かぐや姫は目に涙をためて、今まで育ててくれたおじいさんとおばあさんにお別れを言うシーン。

そこでウチの子は口を挟んだ。

もう目が覚めたようだった。

そして、「かぐや姫はなんで泣いているの?」と質問してきた。

私は、ひょっとしてこのお話はウチの子には難しかったのかなと思い、物語を略して説明して、最後に「それでね、おじいさんとおばあさんとお別れしないといけなくて、それで泣いてるの」と答えてみた。

ウチの子は「ふーん」と分かったような分かってないような返事をして、物語続きを聞いていた。

またしばらくして「なんでかぐや姫は泣いているの?」と聞いてくる。

あら、この月齢には難しいお話なのかしらね、と反省しつつ、もう一度説明した。

「おじいさんとおばあさんとお別れしないといけないからなのよ」。

またしばらくしてウチの子は同じ質問を繰り返した。

「なんで泣いているの?」、「なんで?」。

私も同じ説明を繰り返すのに正直うんざりしてきて、「だからぁー!」と少しトーンを強めてしまった。

するとウチの子の方も、この分からず屋のママめ、と思ったらしく、強いトーンで答えた。

「だから、なんでかぐや姫は泣いてるの、って聞いてるの!おじいさんとおばあさんの事が好きだったから?だからお別れしたくなかったの?」

あ、なるほど。

お別れするのが悲しいのは、その相手のことが好きだからだ。

だから泣くんだった。

説明不足ですみませんでした!

子供に説明をするのって、本当に難しい。

正しい対応、正しい返答、正しいしつけ、うーん。。。

本当によくわからない。

私ってダメな母だなぁ、と反省してばかり。

けれど、まずは子供が喜ぶことと、向き合う私が楽しいと思えることをすれば良いのかも、と自分を励ますこの頃です。

(by Anne)

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『世界名作おはなし玉手箱』と『日本名作昔ばなし』

著:齋藤チヨ すずき出版

どちらも4・5歳から。自分で読むなら小学3年から、とある。

2008年2月 5日 (火)

マリアでなくマザー

「アンヌってホント、ズッコケてるわよねえ〜」。そう私の友達「趣味の良いチンドン屋」は繰り返す。多分、私の幼馴染みはみんな、うん、うん、と頷くだろう。しかし、私はやっと最近になって、もしかして私はズッコケてる人かも知れないと認識するようになった。それでも心の奥では、「趣味の良いチンドン屋」のズッコケレベル程酷くない、と思っている。ある意味、ズッコケの教祖様だ。拝んでも良い。彼女は説得力のある、尤もらしい口調で話する。フランス育ち特有の話方だ。日本語で聞くとたまに偉そうに聞こえるかも知れない。鼻っぱしをへし折ってしまいたくなる人もいるだろうけれども、未だに彼女の高い鼻はつぶれていない。その理由は、話の3分の2は納得できる内容とジョークだから。残りはヘンテコな日本語を使うので、カッとなった人も笑ってしまうのではないか。多分、うろ覚えの言葉を確認もせず、躊躇もせず、堂々といい加減に発音してみるからなのだろう。もっとヒドイのは、フランス人形のように美しい彼女が発するヘンテコな日本語は、必ずと言って良い程下ネタ寄りなのだ。例えば…。
ある日のこと、「趣味の良いチンドン屋」が地方へ営業に行きました。なかなか交渉がスムーズに運ばず、ため息まじりで東京に戻り、別のクライアントと打ち合わせをしました。相手の男性は某有名会社のお偉いさんで、とてもエレガントだったそうです。打ち合わせの内容に彼がとても理解を示してくれるので、気を良くした「趣味の良いチンドン屋」は、地方では難しかったことを打ち明けました。「やはり、難しいこともありますね。地方の人は、…」。エレガントな某有名会社のお偉いさんの表情が、ほんの一瞬、微かに固まったそうでした。
私はその話を聞いて、七変化。青ざめたり、赤くなったり、笑ったり。あーあ、「地方の人は、封建的ですからねえ」と言いたかったのね。(恐らく、この話を読んで「趣味の良いチンドン屋」は、早速メールしてくるだろう。私が、「地方の人は、…」と書いて、センサーしたことに対して、きっと、きっと、「カマトト振るんじゃないわよ!」と言ってくるに違いない。おお、コワイ、コワイ。)そんな彼女のズッコケ爆弾発言に比べたら、1月21日付けのブログで、「マザー・テレサ」なのに「マリア・テレサ」と、ズッコケた事を書いてしまったけど、大した事はない。と、自分を慰めたいのだが、まるで自分の貧困な知識は脳みそでふやけきってしまっている事実は、恥じないわけにはいかない。とほほ。昨日、本屋でマザー・テレサの本を見かけて、ハッと気付いたのであった。(by Anne)

まこ
マザー・テレサの本を見かけて、ハッと気付いて、ガーン!!!しかし次に目に入ったのは、好きで好きでたまらない、まこの本。速攻買った。『まこという名の不思議顔の猫』、中央公論新社、1500円+税。まことは、一度でいいから抱きしめたい猫だ。飼い主のブログを見ると、デザイナーさんだ。いつか会えるかナ。この本を読んでる私に、主人が、「なんだ、ニコニコしてるから料理の本かと思ったよ」と言った。ちなみに1月21日のブログは、マザー・テレサに直しました。
http://scomu.jp/makocat/

2007年8月20日 (月)

米原万里の本

昨年米原万里が亡くなった時には、ウチの家族挙ってがっっっかりした。彼女の文章を、もう読めなくなるという悲しさで。正確には、彼女の文章が読みたければ、今までのものを読むしかなく、次にどんなものを書いて出してくれるのかな、という楽しみは取り上げられてしまったという事だけど。中でも、主人が一番がっかりしていた。もしや彼女に恋してたんじゃないかというくらい。私は内心メラメラ。嫉妬した。が、仕方がない。私だってこんな女性、憧れます。東京外語大ロシア語学科卒業のロシア語同時通訳者でもあり、文筆家で、非常に優秀な人なんだけど、文章が愉快で、愉快で。まるでジェットコースター。下世話な話や下ネタのような、一般的にレベルの低いと言われている話をしているのかと思えば、それがいきなり政治や文化の、一般的にレベルが高いと言われている話になって、そしてまた下世話な話に戻る、といったような感じで、引き出しの多さ、揺り幅の広さ、知識の豊富さ、インテリぶったところがないところ、国際的なところ、におどろかされる。実際のジェットコースターが嫌いなウチの皆も、活字を追って体ではなく気持ちだけが盛り上がったりダウンしたり、スローだったりワクワクしたり、ってことなら大喜び。主人は本屋で見かければ、もう持っている本であろうと「予備に」買ってるし、あとの皆もパリ〜東京の長時間飛行には、時間を忘れるので数冊は抱える。だけど読みながら時々奇声をあげるので、隣人は要注意。キャハハ!ガハハ!イヒヒ!フフフ!ゲヘヘ!こんな風に土曜日も、米原万里を読み続けた。『米原万里の「愛の法則」』(集英社新書 660円)という学生を相手にした講演録集。冒頭の章は、男女の話で聞いてる学生が盛り上がっている様子が目に浮かぶ。だけど全部で四章から成り立つこの本は、彼女が常に触れてきたコニュニーケションという問題を、解き明かしてくれる。人と人、言葉と言葉、文化と文化、国と国。私たちはコミュニケーションなしでは存在しないも同然。もっと、かかわり合うことを大切にしよう、と思った。そこで知る色々な事が、人生をより楽しいものにしてくれるんだろう。こんな愉快な文章を読んでいると、そう、思う。
本文中に「外国語を学ぶと、ふつう日本語で物を見たり、考えたりするときにあった常識が、外国語でとらえ直したとたんにひっくり返るんです。すると日本の常識が通用しなかったりする。」とあった。その時、あ!そうだ!とピンときた事があった。日本語で「転がる石に苔むさず」って諺があるけど、フランス語にも全く同じ表現がある。ただし、意味は真逆。日本語の方の苔は良いものとしての例で、フランス語の方の苔は雑草のようなものの例。後者では、動いていないと腐っちゃうよ、ってことだ。飽きっぽい私は、この場合日本語ができないことにしよう。(by Anne)

2007年6月29日 (金)

共にした眠れぬ夜

とは言え、恋愛話ではありません。「またやちゃった」とは、お酒を飲み過ぎた朝の決まり文句だが、私がそう呟いたのは夜中の3時頃。一昨日の夜も、昨日の夜も、「またやちゃった」だった。犯人はお酒ではなく、本だ。あの、寝る前に読んだらアカンの、森絵都の本。わざわざカバーをかけたままにして目に触れないようにしていたのに、つい手が伸びてしまった。買った本を、読みたくならないようにする、とは不可解な話だが、寝る前ののんびり過ごす一時間に、目に触れてしまってはヤバいからなのだ。先日、『風に舞い上がるビニールシート』が眠れなくなる程、私にとって面白かったから(5月24日参照)、読書家の従姉妹のお誕生日プレゼントにと、本屋に入ると、他の作品も目に入り、「これと、これ、二冊頂いてきます」と、店員に渡した。「こちらは包んで下さい」と『風〜』を、「こちらはこのままで」ともう一冊の作品『いつかパラソルの下で』を、指差した。店員は、「では、こちらの方にはカバーをおかけしますね」と再生紙を折り曲げ始めたのに、この度だけは「けっこうです」と言わなかった。再生紙といえども、過剰包装に私のエコ心が反発して、いつもなら「けっこうです」をやたらキツい口調で罪も無い店員に言ってしまう、感じの悪い客になれなかったのは、これが森絵都の本だったからだ。本の装丁丸出しにして、机の上に置いたら、きっと夜寝る前の、あの、のんびりした時間に手を延ばすに違いないと思ってのこと。過剰包装だけど、眠れぬ夜を過ごす&寝不足の昼間の辛さを免れるのなら、今回はオーケーしよう。その甲斐もなく、二晩連チャンで、「またやちゃった」のだった。やっぱり面白い。文体はするすると私の脳に、何の障害もなく入ってくるし、特に物語の進め方に、夢中になるのだ。恋愛の話かと思ったら、父の一周年の話かと思ったら、母の病気の話かと思ったら、病気じゃない話かと思ったら、実は父に愛人が居たという話かと思ったら、愛人は別の人かと思ったら、父は潔癖だと思ったら、絶倫だったと思ったら…。なんというか、ページを追うごとに裏切られる感じ。私の想像を裏切るから、余計に惹かれる。悪そうな男が優しかったりする時の、ブサイクな男がスマートな行動をした時の、天真爛漫な男が悲しそうな表情をした時の、ギャップにキャーッってホレちゃう女心に近いのかも。寝れなくなる本だから、一昨日も昨日も数十ページでストップし、寝酒に柚子酒を飲んで、ベットに入ってみた。が、アルコール8%の柚子酒程度では眠気も酔い心地もやって来る筈もなく、どうせ寝れない結果だったのだから、一気に読んでしまえば良かったという後悔と共に、布団を蹴ったり抱え込んだり枕をひっくり返したりして気付いた、「またやっちゃった」の夜中の3時頃だったのだ。明日はsaboriday。今晩は読み切ろう。きっと数ヶ月後には、『いつかパラソルの下で』と柚子酒と共に過ごした眠れない三夜を、懐かしいと思うのだろう。(by Anne)

いつかパラソルの下で
『いつかパラソルの下で』。著:森絵都。出版社:角川書店。1400円。もともと児童文学者だったらしい。他の作品も読んでみたい。

2007年5月24日 (木)

目覚ましブック

引き続き、眠気と覚醒話。私のベットサイドにはいつの間にか本がたまってゆく。山になったな、と気付いて片付けては、また徐々に山になってゆく。ほんの少しの時間があれば活字に触れていたいからという、渇望あふれる程の文学少女でもない私にとって、最高の害のない睡眠薬をそろえているだけで、本を読むことは好きでも、寝る前となれば、数ページ読めば睡魔が訪れるというわけだ。昔は哲学書っぽいものが、覿面だったが、最近は少し時代を遡った頃の人たちのエッセーが丁度良い。軽いし、何度読み返しても面白い。しかもやや古めかしい言葉遣いに、異国情緒に似た感覚を味わいながら、はっきりと分からない言葉の意味を理解しようとするうちに、心地よく眠くなってくれる。昨日も、森茉莉の『ベスト・オブ・ドッキリチャンネル』を読んでいた。この本は、映画のコラムニストでも超有名な中野翠さんの編集によるもので、そもそも彼女がコラムニストの道を選んだのも、森茉莉の超辛口テレビ評に感動して、だという。まあ、それくらい、森茉莉の文は面白いわけなんだけど、目の前に、「噺(はなし)」とあったり、「嫩くて」とあると、なんとなく話の筋から意味が分からなくもないが、分からない、と、だんだんぼんやりして、ああ、睡魔がきたなで、パチッと電気を消して、明日調べよう、で寝るのだった。寝る前の本とのお付き合いは、こんな素っ気なさが良いのだが、たまに失敗することもある。先週も大失敗した。一年前程に、友達がウチに忘れていった『文藝春秋』をパラパラとめくって、目に入った直木賞受賞の『風に舞い上がるビニールシート』(著:森絵都)という短編を読み始めた。あっという間に読み終え、ものすごい感動を追い風に、同じような立場にいる友達に強く勧めたという、心に残る短編だった。『文藝春秋』を友達に返した後、やっぱりもう一度読み返したくて、最近雰囲気が良くなった馬事公苑脇のTSUTAYAで単行本を買った、その晩が先週。幾つかの短編からなるこの本の最後に、この『風に〜』が入っているわけだが、とりあえずは、と最初の短編を寝る前に読み始めた。ほんの数ページ読むつもりが、胸はどんどんドキドキして、またもやあっという間に読んでしまった。読み終えた頃には、興奮して、すかっり目が覚めてしまっていた。その晩は、何度体勢を変えても寝付けないまま、朝を迎えてしまったのだ。彼女の物語の構成のしかたは、読み手の心を完全に奪ってしまうし、何よりも、ゆるいほのぼの系の短編作家が多い中に暑い風を吹かせるような、社会派で情熱的な内容を、まったく押し付けがましくなく書いているのが、30代の女性にとってリアルで、且つ魅力的なのだと思う。『風に〜』は、国連機構関係の仕事で、危険と言われる地に恋人がいる女性の話。その他、話の構成が素晴らしい『犬の散歩』は、ワンちゃんの話なのか、ボランティアの話なのか、牛丼の話なのか、それは読んでのお楽しみ。今、気付いた。二人とも、森さんだった。(by Anne)

風に舞い上がるビニールシート
目覚ましブック。『風に舞い上がるビニールシート』(著:森 絵都)、文藝春秋、1400円+税。135回直木賞受賞作。

2007年4月26日 (木)

私の楽しみ

4月16日に書いた『ブラッド・ダイヤモンド』の件で、補足したい。って程の話でもないんだけど、この映画の中で、息子の行方がわからなくなってしまったソロモンが、敵から身を隠している最中だというのに、うっかり息子の名前を叫んでしまうシーンがある。目の前に息子らしき子供の姿が見えたからだ。一瞬にして頭の中は息子のことだけになり、自分のおかれている状況が危険だとかいう意識が残る余地もなく、どんな感情よりも先に息子の名前が口から飛び出たのだろう。彼を見つけ出したい気持ちで一杯で。愛情とはそういうものだろうな、と思ったのと同時に、あの話にもこんなシーンあったな、と芥川龍之介の短編を思い出した。『杜子春』だ。私の大好きな作家のうちの一人だから、もう何回も読んだけど、杜子春がお母さんの名前を叫んでしまうくだりって、どんなだったけ、と思って本棚から引っ張り出した。杜子春が自分も仙人になりたいと、仙人にたのむと、どんなことがあっても声を出してはいけないという条件をクリアしたら、という。どんなに恐ろしい怪獣が襲ってきても、キュッと口を噤んでいた杜子春だったが、ある時お母さんらしき人が痛い目に合っているところを見たら、黙っては居れなかった。思わず「お母さん!」と叫んでしまう…。そういえば、私の楽しみのうちの一つに、芥川の『奉教人の死』を人に話てきかせることがあった。クライマックスに目を丸くしてくれるように話すのが楽しくて仕方が無い。ここしばらく話してないから、今週末に誰か捕まえよう。(by Anne)
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『蜘蛛の糸・杜子春』。著:芥川龍之介。新潮文庫。

2007年4月24日 (火)

悲しいかな、興醒め

「ねえ、アンヌ、どう思う?」バカ話で大笑いした後、「趣味の良いチンドン屋」(3月7日参照)が急に真面目に聞いてきた。「リルケの詩で、こんなのあるでしょう?」

どうぞ私の眼を拭い去ってください
ほら、私にはあなたが見えます
どうぞ 私の耳を投げ捨ててください
ほら、私にはあなたの声が聞こえます

たとえ足がなくとも 私はあなたのもとへ行けます
たとえ口がなくとも 私はあなたを呼び出せます

どうぞ 私の腕を折ってください
私はあなたの心をつかみます
手でつかむように この心で。。。
(『リルケ詩集』富士川英郎訳 新潮文庫)

「ああ、あれね、素敵な詩よね。で?どうしたの?」私は「趣味の良いチンドン屋」に尋ねた。彼女は、前屈みになっていた体を今度は仰け反って、「でしょう?素敵な詩でしょう?なのにアイツったら!私達の披露宴で、彼に詩を読ませようと思ってるんだけど、これ見せたら気持ち悪いって言うのよ。自分から詩読みたいなんて、ロマンチストみたいなこというくせによ?せっかく選んであげたのによ?まったく。詩心ないんだから。」と、やや憤慨ぎみ。私は少しの間黙った。披露宴の最中、「ライオンギャング」のような新郎が立ち上がって、すました顔で朗読するのだろうか?「どうぞ私の眼を…」なんて言って?急に寒気が襲ってきた。と、言うより、体が痒くなって来た。きゃあ、気持ち悪い、発狂しそう。少なくともこのリルケの詩は止めた方が良いと思った。一同興醒めか、もしくは、会場爆笑の嵐か。後者なら良いけど。とても良い詩なのに、悲しいかな、披露宴には、なんと言うか、深刻すぎる。フランスの披露宴では、よくあることなのに。(by Anne)
                     
招待状
ユニークな披露宴の招待状